- ベストアンサー
人を信じられません
私は現在、人間不信です。 原因はある心の病気をしたときにだれにも手を貸してもらえなかったことです。 誰にも、と言いましたが、何よりのショックだったのは親が見知らぬふりをしたことです。 病院には一緒に行きましたが、親は気のせいだと思っていたようです。 そして、一度も心配の声などを聞くこともなく、家族内で私の病気は“なかったもの”になっています。(現在は治っています) むしろ、病気中の刺々しい態度に対し、怒られた記憶の方が鮮明に残っています。 友達は元から多くなく、まして、難しい問題なので協力は諦めていました。 2人に言うには言いましたが、それっきりでした。 私は本当の友達がいないのだなと実感しました。 ネット上で別の心の病気と闘っていた人と話をしたりしましたが、 「家族や友人には助けてもらった」という話を聞くだけで、 「いいね。力になってくれる人がいて」と内心突き放してしまいます。 他にも色んな悩みを持っている人の話を聞きましたが、 誰々に話を聞いてもらって少しずつ良くなった、と聞くと、あ~私の悩みとは次元がちがうなぁと感じます。 また、友人・恋人に裏切られた、という話を聞いても 「それって他人でしょ?家族に裏切られたことはないでしょ?」と自分の方が不幸だ!なんて考えてしまいます。 今では、人と楽しく話したり一緒に笑ったりすることは出来ますが、信用することは出来ません。 冷めた目で見ている自分がいて、「どうせ何かあったら、親と同じようにそっぽを向くんだろう」と思っています。 しかし、時々、人を信じられないことが大変つらくなります。 やっぱりどこかで、信じたい気持ちがあるのです。 その気持ちがなかったらこんなところで相談もしないでしょうし。 同じような経験をされた方、人を信じられない気持ちとどう向き合いましたか? 些細なことでけっこうなので教えてください。
- みんなの回答 (15)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
大変お辛い経験だと思います。 しかし親にも行くとおりかの親が存在します。 子供を可愛がるにも猫っ可愛がりして駄目にする親もいれば、厳しく接した方が良いとおもって必要以上に厳しく接して愛情がないと思われてしまう親もいます。 子供を自分の所有物のように考える親も居れば血のつながりに甘えてしまう親もいます。 日本には遠くの親戚よりも近くの他人という言葉があります。 日本ってこんな言葉が出るくらいに別に血のつながりを重視していなかったんですよね。 だから家族なら裏切らないって考え方は間違ってますよ。 確かに今まで本当の友人を築くことができていなかったのでしょう。 でもそれがわかったのなら今後築いていけば良いんです。 ちなみに自分は人を信用するのにどうしているかも書かせていただきます。 自分は徹底的にその人を疑います。疑っても疑う必要が無かった部分を信じます。 だからその人に対してすべてを信用するということはありません。 肉親でも親友でも盟友でもです。 人間は価値観がさまざまなのだから、価値観が大きく違うことは相手が良かれと思ってもこっちには迷惑なこともあります。 相手は悪いと思ってないこともこっちにしてみれば裏切り同然ということもあります。 だからこの人にはすべてのことを信用できるわけがないんです。 でも逆にどんなことも信用できないという人間もほとんどいません。 おかしな言い方をすればこの人はお金に汚くお金のためなら親でも売っぱらうような行動を取るということは信用できる。 こんな信用の仕方もあるんです。 そう考えると、この人のこの部分だけは信用できるという、限定付の信用であれば信用したより任せることが出来る人は多くなりますよ。 裏切るかどうかもしれない少数の人間に依存するような信頼を寄せるよりも、 沢山の限定付の信用が出来る人間が居る方がさまざまな相談もしやすいしお願いもしやすくなります。 またこちらも自分を壊してしまうような負担がかからない、とてつもない無理をしない、自分が出来る範囲での信頼のこたえ方をすればよくなるので負担など無くなります。
その他の回答 (14)
- weakweak
- ベストアンサー率34% (350/1003)
私は病気になるほどまじめな人間ではありませんが、私も人を信頼することはほとんどありません。そもそも他人を信頼して生きている人は誰もいないと思います。 実際、ほとんどの人は信頼できません。自分が不利益を被りそうになると、大体の人は平気で他人を裏切ります。私も多分その一人です。 信頼しないということは自分を守ることになりますし、不信感を他人に持つことは悪いことでも特別なことでもなく、むしろ自らを守るために必要なことだと思いますので、とくに気にされることはないと思いますよ。 他人は、半分くらい信用すれば充分だと思います。
補足
私はもちろん、全面的に信じる必要はないと思います。 「こいつはあくまで他人。裏切る可能性はある」と少し思うことは必要でしょう。 しかし、私の場合、信じない部分の方が大きいように思われます。 常に「こいつは絶対裏切る」と決め込んでいて、強迫観念のように存在しているのです。 他の人が、どのくらい他人を信じて生きているのかはわかりませんが、私にとって今の状態は辛くもあります。
果たして本当に家族に裏切られたのでしょうか?? 数年前、私は上手く周りと溶け込むことができず、憂鬱で学校も休みがちでした。部屋も散らかりたい放題。勉強もせずにインターネット。 親はそんな怠惰な私にイライラし、よく喧嘩しました。ある日、 「親はちっとも私のことなんか理解してない(つーか心配するそぶりさえ無かった)」というと、 「所詮他人や!理解できてたまるか!何?心配されたいん?」 と親に言われました。まぁもっともですよね。 親といえど所詮、自分じゃないんですよ。 今思えば、確かにハタから見れば単に怠けてるようにしか見えませんし、ちょっとぐらい心配してくれ?甘えんなって話なんですよね。 それにいくら病院で診断が下されようとも、単なる怠け、と理解しない人もいます。 大学進学後、高校時代の事を親に話し、ようやく理解してもらえました。遅いっちゅーに! そういう私も人を信じられないです。 でも、基本的に信用する必要ないんじゃないですか? 信用してどうしたいのかわかりません。単に甘えたいだけなのでは? でも、お互い信用できる人を見つけられるといいですね♪
補足
いつも人を信用しないで生きていくのが辛いんです。 もちろん甘えたいです。弱い部分も受け止めてくれる人が欲しいです。 私は人を信じたいです。なら信じろよっていうのが無理だから辛くなるんです。 ※信じるっていうのは全面的な信頼ではありません。
- shivaree
- ベストアンサー率17% (43/248)
人は、全てに敏感に成る事が難しい生き物だと思います。 順位は、勿論有ります。 でも、自分の心に余裕の無い時には、周りの重大さが見えなく成ってしまいます。 secret_barさんが助けを求めた時に、親が手を差し伸べてくれなかった? でも、secret_barさんが何かに悩み苦しい時に、誰かを助ける事に全力を出せる と思いますか? 間が悪い事が、偶然に起こる。 そして、心が閉ざされる 心を閉ざすと、些細な事が、とても重大な事に思えてくる。 でも、周りには伝わらない。 そして、心が離れてしまう。 誰も、自分を見てくれない。 そして、誰も信じられなくなる。 自分を曝け出す事は、ワガママでは無い とても怖いけど、勇気を持って心を開きましょう secret_barさんは、相手の心が解りますか? 何を考え 何を望んで居るのかが、見えますか? もしも、見えるのなら 心が通じ合っているから もしも、見えないのなら 見える努力も、必要だと思います。 自分の心を、解ってもらう為には 相手の心を、ほんの少しでも解る事 そして、お互いに、歩み寄る 分かり合える気持ちが、芽生える 深呼吸して 少し、穏やかな気持ちを持って下さい。
お礼
助言ありがとうございます。 じっくり心を開いていこうと思います。 私はやっぱり人を信じたいので。
- f5system
- ベストアンサー率8% (79/896)
世の中には話さない真実と話せない真実とがあるのです。家族が話せないのには理由があります。あなたに100個程話したいことやいいたい事がある場合、なにを話すべきかで悩み、それが話せない真実となります。また、医者や周囲の相談者からも、今は何を言っても気にするので、口止めされている場合、そこには話さない真実があります。
補足
すみません、もう少し具体的な内容にしてもらっていいでしょうか。 抽象的で読み取れないです。
- 1
- 2
補足
全面的に信頼する必要はないと思います。 そして、信じられる部分だけを信じる、というのはわかります。 ただ、私の場合、自分が辛いときにいかに力になってくれるか、という点がとても重要なんです。 それは本文での経験によって作られた考えでしょう。 いつもは力になってくれる、けど、一番力になって欲しいときには力になってくれない。 肝心なところで知らん顔をされているような空しさがあります。 (模試では良い成績なのに、本番の試験では大失敗をやらかすような感じでしょうか…) また、私は今までほとんど弱みを見せたことがなかったので、弱い自分は駄目な自分という価値観があります。 けど、本当はやはり弱いしへたれなところがあるので、そんな自分も知って欲しい、わかってほしいと思っているのかもしれません。