「キレイな写真」と「良い写真」は全くの別物だと私は考えてます。
昨今の技術進歩は誰にでも「キレイな写真」が撮れるような方向で進んできましたが、一方で「良い写真」が確実に撮れるような技術は写真というものが発明されてから以降、全く進歩なんてしていないように感じます。
そもそも何が「良い写真」で何が「良くない写真」かなんて、見る人の主観でしかないのですから、この部分が機械技術でどうにかなる訳がありません。
仮にカメラが自律的に動き回って素晴らしい被写体・素晴らしいシャッターチャンス・素晴らしい構図・完璧な露出で人の心を揺さぶるような写真を撮ってしまうような時代が来たら…私は写真を辞めるかもしれません。自分で色々と苦労するからこそ「写真を撮る」という行為は面白いのに、何でその「面白い部分」を機械に譲ってやらねばならんのか!
ただ、カメラという趣味は「撮影」とか「作品」だけが全てじゃなくって「蒐集」という要素が含まれているのも事実でね。
なかなか巡り合えない銘玉を、あるいは高額故においそれと入手し難いようなレンズを手にするってのはそれ自体が喜ばしいことであり、そういったレンズの吸い込まれそうに巨大な前玉を覗いてはウットリしてみたり、ファインダー越しの映像を眺めてニンマリしてみたり、無意味に部屋の隅にある小物にピントを合わせてニタニタしてみるってのも「カメラ趣味」っていう大きな枠の中に入ります。
…まぁ私個人の主観で言わせて貰えば「所詮は道具」であって、どんなレア玉であっても鏡筒撫でさすって楽しんでるだけでは意味が無くって、フィールドに持ち出してナンボだとは思いますけどね。
「道具」って観点で言えば、確かにレンズに依存する要素が大きい場合もありますが、そこはあくまでも「道具」でしか無いんで、撮影者が必要だと思えば必要な「道具」を選択すればいいだけです。そこは他人にとやかく言われるトコロじゃありません。同時に他人が何使ってようが干渉すべきでもありません。自分が満足してりゃそれでいいじゃん?って私は思う。
「カメラ趣味」っていう大きな括りで考えると色々な考え方を持っている方々が存在するのが事実です。「絶対XXXXで無くてはいけない」なんて規則は趣味の世界では存在しないでしょう。
>なんか、安物カメラで撮影したものは、全然だめなの?
>って言いたくなるほどカメラに詳しい連中が、レンズ・レンズって
>言うので質問しました。
質問者様がそういった人達よりおおきな視野を持って寛容な心で接されることを希望します。
お礼
ありがとうございました。 確かにレンズって美しいですね。