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未来のために生きる。or今したいことを一生懸命する
私は中学生です。私の身近にいる男子は結構目標や夢がある人が多いのですが、よく「未来のため」とか「将来ため」といっています。まっすぐで夢に向かって頑張っているのは男らしくてかっこいいと思います。 けれど「未来のため」というのはそんなに大切なことなんでしょうか。「いい高校に行くためにやりたいことを我慢してる」などというので「何もそこまで…」っと思ってしまいます。確かに将来のことを考えるのも大切なことですが「今」をちゃんと生きるのも大切だと思います。 周りが「将来将来」というので私もただ未来のために生きればいいのか不安になったりもするんです。 将来自分自身が今を生きすぎて後悔するのか、未来を見すぎて後悔するのか分からないので皆さんの失敗談などを元に教えていただけると嬉しいです。お願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
その人にとって見れば「良い高校に行きたい」という想いの方が「何かを我慢する」より強いから勉強をしている。 すなわちよい高校に行くために勉強することのほうがしたいことになるんです。 将来は今の積み重ねだから、今を大事にしないといけません。 でも、今の道が将来の目標が続いてないような道じゃ困ります。 ただ、結構多いのがいい高校に行くために勉強することが本当にその目標に続いている道なのかどうか。 よく努力の仕方を間違えている人は居ます。 ただ勉強すれば言い訳では無いのに、勉強だけしてれば良いと思っている人も多く居ます。 そういう人は社会人になるとこんなはずではなかったという挫折に出会ってしまいます。 その目標は本当に自分で作った目標なのか? 自分で作った目標でなく、親や先生が作った目標の場合、途中でその目標に違和感を感じ進めなくなる人も居ます。 実は本当の目標を忘れて、本当の目標のための手段を目標にすり変えてないか。 大きな家に住みたいというのが目標で、その手段として給料の良い会社に入ると考え、その前準備で良い高校に入ろうだったのが、いつの間にか良い会社に入る、よい高校に入るが目的になってしまい、最初の目標がなくなってしまう。 このように手段を目標にしてしまうと、目標を達成しても何も残らなくなり虚無感だけが残ってしまいます。 そのためにやる気がなくなってしまう。 又は本来の目標を思い出したときに、給料は良いが転勤の多い仕事を選んでいてとても家など建てられない。という本当の目標から大きくずれている道を歩んでしまう人も多く居ます。 こうなりたいという目標と今の自分をしっかり線を引きそれに続いている道であることを確認しながら、ちょっとした寄り道や休憩、迷い道を含みながら歩いていく。 これが大事です。 今だけを刹那的に楽しんで将来という目標が無いのも駄目。 将来の目標ばっか見て今の足元が見えていなくてその目標に続いて無い道を歩んでいたり道を踏み外したり、長距離をゆっくり周りを見ながら寄り道しながら歩いていく道なのに、全力疾走して目標に着く前に疲れ果てて倒れちゃうのも駄目。 過ぎたるは及ばざるが如し。です。
お礼
自分の本当にやりたいことをやることで達成感を味わえるんですね。 目標を勘違いしないようにします。 目標を持ってじっくりじっくり進んでいきたいと思いました。 ありがとうございました!