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みなさんはどう思いますか?
大学生の女です。 皆さんは叶いそうに夢はサッサと諦めるのが格好いいと思いますか? 叶いそうにないことを願っているのは格好悪いと思いますか? 例えば・・・ 「あの会社に就職したい」という夢。 「将来100歳まで生きたい」という夢。 「将来宇宙で暮らしたい」という夢。 「あの人と結婚したい」という夢。 「あの人に好きだと言ってほしい」という夢。 「世界から戦争がなくなってほしい」という夢。 これらの夢の重さは違うと思いますか? 違うなら何が違いますか? 私は今、不可能に近い夢を持っています。 口に出したら「くだらないなぁ~」って笑われてしまいそうな。 だけどそのことを考えるだけで、少し元気が出たり、幸せな気持ちになれたり、 なにかやりたくないことも頑張れたり、前向きになれます。 だけど頭のどこかでは叶わないと分かっています。 この夢を口に出すことは、周りから呆れた目で見られると分かっています。 夢ってなんでしょうか。 人それぞれ夢はあると思います。 なにを不可能と思い、何を可能と思うのでしょうか。 皆さんは、どれくらいの夢を持っているのでしょうか。 それを知りたくて書き込みました。
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質問者が選んだベストアンサー
自分は、かなわない夢はないと信じています。 「あの人と結婚したい」、「世界から戦争がなくなってほしい」どの夢も重さ、というものがあると思いますが自分は違いと思います。 夢の重さは他人が決めてしまっているからです。 周りの意見で自分には荷が重すぎると決めつけて、自分を縛り付けてしまうのです。 夢に重い、軽いを決める必要はありません。 自分も「自分で会社を作って、世界一周して、いずれは、宇宙旅行をしたい」と思っています。 周りから見たら、ばからしいと思われますが、自分は本気です。 その夢のために、必死に努力しています。 自分の夢をかなえるのは自分でしかありません。 周りが何を言おうと、実現不可能だと決めつけないでください。 むしろ、周りを見返すぐらいの気持ちでいてください。 必死に頑張る姿を見せれば、周りも応援してくれます。 自分も夢をかなえようと頑張っている人を見るのは大好きです。 貴方も夢をかなえられるよう頑張ってください、応援しています。
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- dai-ym
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子供のときの夢や寝ているときの夢と違って、ある程度の年齢になった人間が使う夢とは自分がこうなりたいと願い目標とする姿ですね。 そしてその夢を持ったら、その夢を実現させるためのスケジュールをたて、行動に移します。 多くの人はこの部分で挫折してしまうので夢が子供のときの夢と同じになってしまいます。 夢を果たす人はちゃんとこの部分をしっかり作り上げるのでたとえ夢を果たせなくてもそれなりの結果を残す人が多くなります。 あと、夢には自分だけの努力でどうにかなるものと、自分だけの努力ではどうにかならないが自分の努力も大きく影響するものと、自分の努力ではどうにもならない大きなものがあります。 「あの会社に就職したい」という夢。 「将来100歳まで生きたい」という夢。 「あの人と結婚したい」という夢。 「あの人に好きだと言ってほしい」という夢。 これらは自分の努力でどうにかなりやすいまたは、自分の努力ではどうにもなりませんがでも自分の努力が大きく影響するものです。 「将来宇宙で暮らしたい」という夢。 「世界から戦争がなくなってほしい」という夢。 これらは自分の努力だけではどうにもならない部分が大きいかもしれません。 でもこの中で不可能なことと思うとしたら戦争がなくなってほしいというものくらいでしょう。 これは自分がどうなっていると言う目標でないうえに全人類の考え方が関わってきます。 すべての人間の考え方を変えないといけないうえに、戦争というものが政治活動な部分もあるためにかなり難しいものになります。 ほかのものは努力次第で不可能じゃないです。 ただ、その努力がどれくらい大変かはわかりませんが。 >口に出したら「くだらないなぁ~」って笑われてしまいそうな。 他人の夢なんてそんなものじゃないですか? それで別にかまわないと思いますが。 大事なのは自分がその夢をかなえるために今どうしているのか。 ただそれだけですから。 周りの目など気にしていたらもったいないですよ。
夢を実現させるためぬは段階が必要だ。宇宙飛行士になるのが夢ならどのタイミングでどれだけできるようになっているかを考えなければなりません。 飛躍していきなりド素人が宇宙飛行士になんてなれません。デキル人は途中の段階を計画立てるのがうまいです。
- zyukun
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夢という字が幻想を抱かせるんですが、要は置き換えると、目標とか願望ですよね。 >> これらの夢の重さは違うと思いますか? >> なにを不可能と思い、何を可能と思うのでしょうか。 願望はそれぞれ、実現する程度も違うし、 当人がどれだけその目標を実現させたいかという重きも違う。 言ってしまえば人それぞれで、 例が同じに見える人がいれば、違う風に見える人もいるでしょう。 何ができて何ができないかは、あなた自身にしかわかりえないことで、 それは、誰でもそうであると思います。 今まで生きてきた中で、これが得意だ、これは苦手だ、 これくらいならがんばれる、これはもうちょっとでできるとか、 自分の能力や才能について、総合的に判断してできるかできないかを 自分で決めるんです。 あなただって、 >> 不可能に近い夢を持っています。 きちんと自己を把握して、夢の実現可能性を計っているじゃないですか。 僕なりの夢の捉え方。 夢を実現させようと日々努力している人はかっこいい。 絶対実現させてやると思っている人はかっこいい。 ただ、夢ばかりみて周りが見えなくなっている人はカッコ悪い。 口先だけであ~したい、こ~なりたいと言っている人はカッコ悪い。 諦めを持ちながらも夢を追いかけてる人はカッコ悪い。 現実を踏まえつつ、夢に向けて着実に頑張っている人は、 どんな人でもかっこいいと思います。
私も大学生の頃同じように悩んでいたので、思わず書き込んでしまいました^^ 私は元バレエ団員なのですが、プロを目指すか、諦めて安定した仕事につくかそれはもう悩みました・・ 数多くのライバル達のレベルにはぎりぎりついていってるぐらいだし、 足首の怪我を重ね、トレーナーさんには元々足首が弱く、ただでさえ負担がかかる部分なのに踊りには不向きと言われ、厳しい先生に求められる表現ができずそんなだったらやめれば!と罵倒されることも多かった ので、プロなんて不可能と思い知らされることばかりでした。 すっかり自信をなくし、私はバレエに対する気持ちは誰にも負けない、人一倍二倍の努力だってしてきたけどそれを仕事にする、プロになるということになると、自分の気持ちだけでできるものではないんだ・・と幼い頃から育ててくれた恩師に泣きながらやめますと言いました。 でもね、その時恩師に 「あなたはバレエの専門家が、踊りに向いてないよやめたほうがいいねって言われたらやめるの?できそうにないって思ったらやめるの? 向いてない、できそうにないと不安になったりやめられるならそれはバレエに対する気持ちがまだ本物じゃないってことよ」と言われてプロに進む道を決めました。天性の素質をもってるダンサーさんよりはるかに下積みも長かったですがあきらめないで正解でしたよ! 何だか今時スポ根漫画みたいですが本当のことです; 長くなってしまいましたが、人それぞれいろんな夢があると思いますがその夢の比重はその人の気持ち次第で周りが決めることではないと思うな。 周りの評価が気になったり、叶わないかもしれないからという気持ちがあるうちはまだその夢に対する気持ちがまだ本物ではないんだとも思います。 自分がベテランといわれる立場になった時、その時の自分がなんて甘ったれてたんだろうと思うようになりました。下積みの時期に、やれずにはおれない!どうしてもなるから!という心持ちの自分に気付いた時、苦労することが楽しくなりましたよ^^ たとえ目指す夢の100%達成が絶対不可能だとしても、70%の達成に努力して、その為に人生の時間を費やせるならとても幸せなことだと思います。綺麗事ではないと思いますよ。 100%じゃなきゃ意味がないね、そもそも自分は素質がなかったんだよね、所詮あの業界なんてさ・・なんて言い訳して自分を納得させてる大人にはならないでほしいです。あきらめた時がその人の夢に対する思いの程度なんだと私は思います。
- ye11ow
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夢の候補はより大きく、より多いほうがいいはずです。 「夢」と一概に言っても、 ほんの少しであろうと、それに近づくような行動をとっているものもあれば、 ただ願望として持っているだけのものもあるはずです。 夢候補の単なる創出には、実現性をあまり考える必要はありません。 想像力を駆使し、自然な欲求のまま、自由にアイデアを膨張させていけばいいわけです。 そして、膨張させたアイデアを、今度は収縮させていくことで、候補から「夢」が絞られます。 絞りの作業には、「夢の評価基準」が必要ですが、それは単一ではなく、複数のはずです。 「実現可能性」「達成欲の高さ」「過程の中で与えられる喜びの大きさ」などがありましょう。 「叶うかどうか?」という実現可能性が低くても、達成欲の高さなどの他の基準で高ければ、 夢としての優先度は高まってくるわけです。 そのような評価の末に、夢の「本命」や「セカンド」が決まることでしょう。 さらに、今回は選ばれなかったけれど、捨てきれずにとっておく「キープ」や、 すぱっと諦め、整理する「リストラ」なども決まることでしょう。 などなどそうしているうちに、新たな夢候補が浮上してくるかもしれません。 「夢マネジメント」は個人が自分の責任で行うことなので、自由にやればいいわけです。 こうして決まった、夢の「本命」や「セカンド」は「具体的なターゲット」です。 実現可能性の大きさにもよりますが、きっと将来、達成の日を迎えることでしょう。 その後は、セカンドが次の夢の本命に昇格するのかもしれないし、 突如現れたニューカマーが、初登場一位となるのかもしれません。 しかし、忘れてならないのが、「達成された夢の連続性」についてです。 憧れの人とめでたく結婚できたら、それで終わりではなく、次は結婚生活が続きます。 入学や就職などの夢も同じです。でも、「世界1周旅行」などは、普通1回で完結ですね。 前者の「連続性のある対象」については、「具体的なターゲット=通過点」と考えておき、 達成後のことまでセットで考えておくと、より現実的で、いいでしょうね。 ではここで、質問者さんの「不可能に近い夢」をどう捉えるか? 実現可能性は低いながらも他の基準を十分に満たす「本命」なのかもしれません。 そうではなくて、一旦置いておく「キープ」なのかもしれません。 例えキープであり、行動が伴っていなくても、ある現実的な効果があることに気が付きます。 質問者さんの仰る「そのことを考えるだけで、少し元気が出たり、幸せな気持ちになれたり、 なにかやりたくないことも頑張れたり、前向きになれます」という効果です。 この効果が現れるのは、「具体的なターゲット」ではない夢が、 「抽象的なコンセプト」として働いているためだと思います。 つまり、具体的目標の実現自体はほとんど信じていなかったとしても、 その夢に含まれる考え方や価値観などの要素がどこかで叶うことは強く信じているのです。 考え方や価値観などの抽象的コンセプトは、本質的に目に見えないものなので、 自分の現実の中のところどころに、ちらちらと反映させることもできます。 「抽象的なコンセプト=方向・方角」です。定点に立つことが目標ではありません。 「将来100歳まで生きたい」と夢を持つ人のコンセプトとは、 「少しでも長生きすること」や「長く健康でいること」、「より幸せに生きること」などです。 なので、その人がもしも99歳で亡くなったとしても、夢の不成就を嘆くようなことはなく、 夢に近づいていく過程で達成されていったコンセプトに満足できるのだと思います。 持っているだけでもいい、持っているだけで幸せな夢とはそういうものだと思います。
- koketa58
- ベストアンサー率18% (355/1961)
>皆さんは、どれくらいの夢を持っているのでしょうか。 結構いい歳のオヤジだけど・・・ バイクでコーナーをフルパワーで駆け抜けたときに「スッパ」っとした感覚を未だに夢見ます。 どうしても掴めないし、どうにもならない。 タイヤは横滑りしてフレームは悲鳴をあげるようによじれ始めているんだけどまだそれに到達できません。 ここで転倒したら大怪我、下手すりゃ死ぬかもしれないけどコーナーではアクセルを開けずにはいられません。
- kuku82
- ベストアンサー率25% (367/1464)
はじめまして まず、夢は自分が見るもので、他人視線では、はかれないものと思います。 では、そこに可能・不可能があるとすれば、それは物理的な障害でしょう。 ただ、それをどのように解釈するかも自分自身です。 端的に言えば、貴方が○○さんになりたい・・・と夢見たら、物理的に無理です。 でも、なれたかどうかは、自分が判断することですので、 何かの基準をもってすれば、それは叶ったとある種錯覚することができるでしょう。 宇宙に住みたい・・・これも、物理的には不可能に近いでしょうが、 精神的には・・・可能と思います。 つまり、目に見える物質世界は可能・不可能がありますが、 精神世界には不可能という文字は限りなく無くすることが可能でしょう。 ただし、本人の考え方、次第。。。 白馬に乗った王子さま・・・ 現実では不可能に近いでしょうが、 どれを白馬でどれを王子と見るかは本人次第なんですよ。 ただし・・・夢だけでは生きていけません。 何故なら、自分の存在の半分は物質なんですから。 バランスの問題と思います。 ちなみに私の夢は、 退職後、駄菓子屋でもやって、赤字気にすることなく、 近所の子供を怒鳴り散らすことですw
- lovegive
- ベストアンサー率16% (9/54)
夢を持つ事、目標を持つ事ってとても素敵だと私は思います。 たとえそれが超えられない壁でも、壁の大きさを知ることで、自分の成長に結びつきますから。 周りがど~こ~言うのはあくまで、意見として受け入れる事をおすすめします。
- precog
- ベストアンサー率22% (966/4314)
学生の頃は少し大きめの夢で、、、 最近読んだ記事でピンと来るものがありましたのでポイントします。 http://www.4gamer.net/games/043/G004340/20080213051/ 恐らく夢について言い尽くしているかと。 >これらの夢の重さは違うと思いますか? 重さというか、質的に違いますよね。 >違うなら何が違いますか? 実現させたとして意味があるかないかです。 >私は今、不可能に近い夢を持っています。 本人が不可能だと思ってしまったら、荒唐無稽に成り下がってしまいますね。 >なにを不可能と思い、何を可能と思うのでしょうか。 他人が不可能と思っていることに可能性を見出すことが快感なんですよ。 >皆さんは、どれくらいの夢を持っているのでしょうか。 ビルゲイツ越えるって辺りですかね。中学生の頃から興味を持ってたので。 現実化することを進めて行けば、現実味を帯びてきます。当たり前の話ですけど。わたしの場合は、人生に限りがあると思ってないあたりがポイントかな? 絶望しないコツというか、、、 あるやり方でダメでも、しつこく別の方法を考えたりしてます。で、行けそうだと思うと周囲の人に話してはスルーされてますが、スルーされたら悔しいので説得に掛かります。 まぁ、そういう過程で普通の人は得ようとしない知識や知見などがどんどん溜まっていきますね。最終的に自分の役に立つかどうかは知りませんけど、人の役には立ってるようです。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20251/40149)
敢えて口に出さなくても良いんですよ。 貴方がその夢を胸に秘めて、その気持ちで頑張れる、元気が出ると言う事実。その事実こそ大切であってね。 こうなれば良いなと思って夢に向かう事。 プロセスに意味があるんですよ。夢が形としてしっかり叶うかどうかが全てではない。もちろん実現すれば嬉しい。 でも自分なりにその為に努力したり、頑張って進む道程が夢を掴むという事実以上に自分を成長させ、瑞々しい自分を創っていくはずですからね。貴方の夢は貴方の夢。 どの位とか、夢を個別的に意識している人もいるかもしれませんが、 多くはこうなれば良いなという実現の有無とは別に持っている願望のような思い。それが夢ですからね☆