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大学で勉強をしないことの問題性
大学の教授をなさっている方が、バイトをする学生のことで困っていました。留学生などはほぼ全員がバイトしているそうです。そして日本人でも留学生でも、バイトに熱中するあまり勉学がおろそかになっているというのです。また、バイトの有無に関わらず、最近の学生には学ぶ意志がないということもおっしゃっていました。その方は教員という立場から学生達を心配なさっていたのだと思いますが、同じような意見は学生の方からも聞かれました。社会人学生の方が多かったとは思いますが、現役でもそういう問題意識を持っている学生は少なくないようです。でも私にはそれのどこが問題なのか、よくわかりませんでした。勉強をしたい人はするし、「4年制大学卒業」の肩書きが必要だという人は、単位が取れる最低限のところで頑張って、あとは遊んでいてもいいと思うのです。学生さんたちはどんな点で問題視していたのだと思いますか?ご意見をいただければと思います。
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まずバイトの問題ですが、留学生は生活費の問題があり、世界トップレベルの物価を誇る日本で生活するには親からの仕送りがまず大変です。ですからバイトをしないとやっていけないという事と、自分が何故大学に行くのかという明確な理由がない学生が多いという事ですね。 アメリカなどの大学は教員も学生も毎日が真剣勝負です。教授の間も実力社会なので研究に対する意識が日本とは段違いで学生も週に何回もテストがあるのでそれが一定の標準に達しないと卒業が出来ないので日本とは学業に対する意識からして違うんです。 何故日本と西欧はここまで違うのかというと、これは必然的な理由があるんです。それは民族的な背景が社会に根付いているからです。西欧は「狩猟民族」なので、いわゆる実力主義の世界です。一方、日本は「農耕民族」なので、農業において重視されるのは経験です。ですから実力より年季と経験がものをいう社会になっているんです。 それらが今でも民族特性として根強く社会に残っている訳です。ですから日本では「何事も経験、経験」と叫ばれています。教授も実力以前に肩書きや経験で評価されしまうんです。外国と違って論文と経験さえあれば良いのが今の大学ですからそんなレベルの教授の講義を聞いたところで面白い訳がないです。 無論、留学生は実力世界から来ていますから日本がさぞ珍しく思うんじゃないでしょうか。日本の学生も勉強に専念する人はちゃんといますけど明らかに大学に行く目的が薄れている事は確かです。学生がバイトに専念してしまう理由は3つ。「金と生活費」「バイトとしての社会経験」「講義よりバイトが面白いから」と言えると思います。日本においてはバイトに明け暮れてしまう人がいるのは必然なんですね。
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- otafukutiger
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chihiroさんの求めている回答からちょっとそれてしまいますけど お許しください。 ここに回答されている皆さんがどこの大学に所属されて いるのか分かりませんが、そんなにみんな勉強していませんか? それはちょっと違うと思う。 僕の周りは、まぁ、学部生なんで大学の勉強はまぁそれな りにがんばってる。そして、そこには天才的に勉強好きな 人が一部いる。あたりまえでしょう。日本の大学は大衆的だし。 (国の税金でものすごい補助を受けている国立の医学部や理学部 の人には勉強をがんばってもらいたいですけど) でも、その一部の勉強好きに入らなかった人も、与えられた 時間で自分の活動や勉強に一生懸命取り組んでいてとても エネルギッシュですよ。 だから、日々僕は劣等感を感じてしまいます! 学生をあそばせておくことで有名な大学でもこんな感じですよ。 P.S.僕は落ちこぼれです。 先日、同じ専攻の友達と飲む機会がありました。 彼らの好奇心の強さはものすごい。学ぶ意識にあふれています。 そこが文学部だからかもしれませんけど。 また、趣味人がいて、これが徹底的にすごいんですよ。 そんじょそこらのテレビに出ている評論家よりあることについて 詳しかったりするんですよ。 僕はやられた。と思いました。早くこんなとこ卒業して 社会に出て、最低限いまよりは切迫感に追われないような 状況に行きたいと思っていました。 泣きそうでした。 こんな大学もあるってことを言いたかった…。 もっとすごいところもあるに違いないけど…。ブルブル。
- otafukutiger
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nayamuotokoさんのめちゃくちゃなステレオタイプ的決め付け に危機感を感じたのでちょっと発言します。 まず、アメリカの現状の理解が誤っています。 アメリカの大学生の平均学力は日本に比べかなり劣っています。 劣等性ばかりです。 また、欧州のことですが、フランスの場合望む人のほぼすべてが 大学に進学することができるのですが、途中で学業意識が 低下し、学業を途中放棄する人であふれています。 日本に入ってくる情報は有名大学の情報のみで、とても偏っています。 例をとるとアメリカ工科大学系のトップクラスに名を連ねる MITの学年の学生数(全体立ったっけな?)は600名ほどらしいです。 東大の一学年の学生数は5000人ほどです。 西欧は狩猟社会、日本は農耕社会と、適当な解釈がされていますが そんなものは関係ありません。西欧もちゃんと長い間、 農耕社会を形成してきました。 日本の大学生の学業意識が低いというのはしょうがない問題のような気がします。 そこにはよい面と悪い面があります。 よい面はアメリカと同様、すべての学業の意思あるものが 高等教育が受けられる社会を形成してきたということです。 ここまで機会の平等が整った国はめったにありません。 また、大学卒業生の社会における扱われ方も、大学教育未就学者 と大して変わりません。 アメリカやヨーロッパでのような、差別が比較的に本では 少ないです。 悪い面としてはその反面、学業の意思のないものも受け入れてしまっていることです。 これにより、教育の効率が低下する恐れがあります。 ただ、これらの問題も、ここ数年で解決(?)されるでしょう。 これからは、学業の意思があってもすべての人が大学に入れる 社会ではなくなりそうです。 (ほとんどの大学はカルチャーセンターのようなものになる) 少数の高レベル大学の学費は高騰するでしょう。 [肩書き] についてですが、これはしょうがない問題だと思います。 社会の制度が、それを許すように作られているからです。 それに、大学養育は教養を学ぶところだと考えています。 専門学校のような「実学」を学ぶ場所ではありません。 「実学」は確かに生きていくには必要でしょうが、それでは 実際世界で起こっている多くのものごとを見過ごしてしまいます。 とても細分化された世界での些細な知識に他なりません。 それはそれですばらしいと思いますが、そういう知識をもっていても 全体を見渡すすべを学べません。 単独で読書などをし、世界の事象を学んでいる人がいるなら 別ですが、世間の目は厳しいでしょう。 また、「大学に行った」というのはひとつのキーワードで、 それだけで信用がその人に生じます。 いくらこれを否定しても、それが現実なのですから認める以外ありません。 たまたま僕は大学生ですが、自分自身を運がよかったと、 認識しています。 (ちなみに僕は専門学校を否定しているわけではありません。 教育の位置付けが違っているのだと思います。) では。
- shikakuhonpo
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「大学は本来、学問を学ぶ場である」 ここまでは下記の皆さんと同じ意見です。しかし、現在の大学はそのような環境になっていません。これは学生の側の問題ということもありますが、それ以上に学校の側の問題です。教師の質が低すぎます。 例えば。僕は経営学関係に進学したのですが、一流の企業で過去にトップを務めたような人を招き、彼らに「より実践的で、それでいてよりわかり易い」講義をしてもらうというのが筋だと思います。ところが、大学の教師陣というのは実業界で成功した人などほとんど皆無といっていいはずです(最近はそうでもないのかな?)。そんな素人に教わってもしょうがないというのが正直な感想です。 これは経営学だけの問題ではないはずです。文学部に一流の小説家や評論家が教師陣として名を連ねているという話はあまり聞きません(まったくとは言いませんが)。 それでも、講義が上手ければ別に文句はありません。ところが、講義は下手くそ。その道の素人の僕だって、もっとずっとましな講義ができます。 結局、はじめからやる気のない学生はともかく、もともとやる気のあった学生さえも見限ってしまうというからくりになっています。 だから、大学を「肩書きを得るためだけの場所」とみなすことは、当然の成り行きと感じます。 僕は社会人ですが、今、それなりに勉強しています。勉強するにあたって、専門の教育機関を使う、独学で勉強する、通信教育を受講するなどいずれかの手段を利用しますが、大学を利用するということは「絶対に」あり得ません。それほど大学の学生の質以前に教育の質が低すぎます。
- Paul03141983
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一大学生として意見を述べさせてください。 今の世の中、果たして大学に行く意味を問われて明確な答えを述べられる人が何人といることでしょうか。昨今の日本の教育現場は、塾、予備校のいわゆる偏差値教育に影響され一流ブランド校に入学できればそれでよしとする風潮が強まっています。その結果、生徒の大多数は一流校に入学した後、そこから自らを振り返るのです。そして最後に行き着いた結果、いったい、何を学べばよいのか分からない、と。 そもそもこのような荒廃しきった日本の教育システムに問題があると思います。生徒が自ら学びたいことを探し、自分にあった大学で勉強できることはもう実現されないのでしょうか。全て偏差値教育で行われてきた日本の教育はそろそろ転換を迫られていると思います。 私の友人は経済的な問題からバイトをしないと生活していけない環境で専門学校に通っています。専門学校に行って早くプロの腕前を持ちたいと言う一身の願いからでした。その様な話を聞くと、私は感動せざるを得ません。 バイトを行うことに問題はまったくありません。明確な将来に対するビジョンを常に持ち、しっかり授業に出席し、習った内容を復習する時間を持てる時間さえあれば。しかし残念なことに、今の大学生のほとんどは勉学のほうにはほとんど目もくれず、ひたすらバイトをしています。その様な人たちが大学に残っていては本当に学びたい人たちにとっては大きな迷惑だと思います。肩書きを得るために大学に行くんではないのです。今一度、大学に行く真意を考え直さなくてはなりません。
- amanogawa
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大学は肩書きをあたえる場所じゃないから目的意識のない学生によって社会的評価と品位がおち、予算と優秀な人材が確保できなくなり、先進的研究も発信できなくなるという悪の連鎖を嫌っているのでしょう。 大学というブランドを利用する人は、勉強しないという批判に疑問を持つこと自体、恥知らずと思いますがどうでしょう。
- fujishiro
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現在、修士。 最近はどこの大学でも多かれ少なかれ似たようなものですが、そもそも「大学は勉強しに来ている」と思ってる学生と「4年で卒業できれば良い」と思ってる学生では問題意識はぜんぜん違うでしょうね。 私が思うに、これは学生の問題ではなく社会と大学のあり方の問題だと思います。 社会と大学はやっぱり「大学」っていうところは勉強するところだと思っていて、社会は「大学卒業生」は役に立つかどうかは知らないけれど、とりあえずひととうりの勉強をこなしてきた人間だと評価している。(評価していた。) ここで重要なことは「4年で卒業できれば良い、最低限以外は遊んでてもいい。」と思ってる人達も、カンニング連続でやってきて卒業してきた人達もやっぱり「一通り勉強してきた人」と思われること。ようするにあくまでも勉強なんてどうでもいいと言って来てる人も、「大卒だから勉強してきただろう」とおもわれる「社会的常識」にはちゃっかり乗っちゃってるってこと。 つまり、「4年卒の肩書き」は結局、勉強しに来る人が支えてるわけ。まー今まではなんとかかんとか支えきれてこれたけど、こうも勉強しに来てるわけではない、って言う学生が増えてくると結局、そういう肩書きも意味をなさなくなってしまう。 年金制度と一緒だね。自分の面倒は自分でみるっていうのはある意味正しいけど、そういう人ばかりだと年金制度は意味をなさなくなってしまう。ようは勉強しない人達は大学を無意味にしてるんだ。まぁその人達にとっては大学は鼻から無意味なんだろうけど。 うーん、長くなってしまったけど…。 結局、個人一人一人がやりたいようにやればいいという問題ではない気がする。 いいたいことばばっか言ってごめんなさい。
- kobalt
- ベストアンサー率31% (1861/5998)
私は大学を受験しませんでした。 理由は勉強したいことをするには、大学よりも専門学校に行ったほうが その名の通り「専門で勉強ができる」と思ったからです。 大学受験を経験し、卒業まで適度な勉強しかしない人に対して思う ことは「今まで頑張ってきたのだから、遊んでもいいんじゃないか?」と いうことです。 専門学校に入るのは案外簡単ですが、大学は難しいですよね。 社会に出ても、ほとんどの大手企業では、仕事のできるできないよりも 国立大学を出たとか、有名私立を出ているとかで出世させている企業も まだまだあります。実力主義だと言っても、国立大を出ている40代の 主任なんていないんじゃないでしょうかね。 もちろん学歴を気にしない企業も多くなっていると思いますが、大学で学んだ ことが仕事に活かせるわけでもないし・・・ 専門学校卒の場合、勉強してきた内容を買われることはあるでしょうけど、 大卒者の場合は「名前」もありかな・・・と。 あくまでも私の意見です・・・
- namisem
- ベストアンサー率20% (4/20)
現役理系大学生です。 バイトをすることは別に間違ってはいないと思います。 仕送りが少なく、もしくは仕送りがなく、自分で稼いでいる友達が沢山います。 ただ、ここで私が思うのは文系学生と理系学生の違いです。 文系の学部に通う友達は、授業数が少ないので暇だからバイトする、 理系の友達は、授業は多いが授業よりバイトの方が楽しいとバイトする、 なのです。 私の周りだけかも知れませんが。 >バイトの有無に関わらず、最近の学生には学ぶ意志がないということ これはよく言われますが、全てではありませんね。 そう言われても仕方がないのかもしれませんが、正直腹が立ちます。 レポートや実験に明け暮れている自分たちは何なんだと。 もちろん単位は頭にありますが、決して最低限頑張ればいいやなんて雰囲気ではありません。 そういう学生も沢山います。 しかし、全く学ぶ姿勢のない学生もいます。 バイトに明け暮れ、学校に来なくなった人もいますし、 テストで平気でカンニングを行う人もいます。 同じ学生として腹が立ちますし、なにか解決策は無いのかと思うのですが。 回答ではなく、愚痴に近いものになってしまいました。 うまくまとまっていなくてすみません。
お礼
ご回答どうもありがとうございました。理系学生と文系学生の比較、面白い情報をありがとうございます。理系の方が実験やレポートで忙しいんでしょうかね。確かに文系でも心理科の方は実験とそのレポートが多いのでバイトをしている人は少ないように思います。(…心理学は文系ですよね?…あれれ?) namisemさんが学ぶ意志のない学生、バイトに明け暮れたり、カンニングをする学生を腹立たしく思われたのは、やっぱりそういった人たちも頑張っている自分たちと同じように単位はもらって卒業できてしまう、という点ですかね?そうするとやはり数人の方がおっしゃっている大学のシステムの問題になってくると思うのですが。 現役さんの生のご意見、とても参考になりました。
- HAL007
- ベストアンサー率29% (1751/5869)
不思議に思うのは、バイトばかりして卒業できる大学の仕組みが判りません。 でも、ちゃんと勉強して単位が取れるのであれば、問題ないとはおもいますが、 学力もないのにトコロテン方式で卒業出来る仕組み、言い換えれば授業料を 払えば卒業させる大学の存在価値そのものを問う問題だと思います。
お礼
ご回答どうもありがとうございました。確かに、言われてみればそういうシステム自体の問題はありますよね。やはりNO.1の方のおっしゃるように、入学は大変だが卒業は簡単、というシステム自体の問題は考えるべきでしょうね。なんでそうなってしまったんでしょうかね…?またご意見がありましたらお聞かせいただければと思います。どうもありがとうございました。
- ururai
- ベストアンサー率13% (89/674)
バイトがいけないのではなくて、授業に関する勉強しないことの是非だと思います。高校まではともかく、大学は本人が自主的に学問をするところですから、本来、大学が勉強を強制するものではありません。 また、大学の成績がよかったからといって、人生に成功するとは限りません。 価値観が多様化するなか、学歴社会や教育制度の見直しが求められる中、あるいは、大学そのもの存在意義が問われる中、大学の教員も考えてほしいと思います。 最近では、実務家を客員教授として招いた講義もふえており、いろんな形で本当に、学生に将来にとって有益な場を大学は提供すべきです。
お礼
ご回答どうもありがとうございました。おっしゃる通り、もう少し実践的な講義も必要かもしれませんね。ただ、ある大学教授などは大学時代という時間は、「まだ自分が何をしたいのかわからない」という人に、それを探させるためのチャンスの時間としての役割ももっているのではないか、と言っておられました。そう言った面があるのも確かだとは思うので、とことん専門性に走るのも少し違うような気がします。ururaiさんはどう思われますか?よかったらまたご意見をお聞かせ下さい。どうもありがとうございました。
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お礼
ご回答どうもありがとうございました。「肩書き」を手に入れるためというのもOKというご意見ですね。専門学校のほうが大学に比べて「入学は簡単、卒業は大変」という状況なんでしょうかね? 肩書きが幅を利かすということが実際にある以上、やはりそれを目当てに大学にいるのも無理はない、という気がします。これは社会のシステムの問題ですよね。ただ実力主義に移行しつつあるので、やはりこれからは肩書きの力も減っていくのでしょうかね…。参考になりました。