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自分の性格が悪く、孤立状態です

自分の性格がとても悪いです。文句ばっかり、愚痴のオンパレード。会う人、見るもの、ちょっと自分の尺度に合わないと思うと、とても腹が立ってしまい、態度に出ます。自分では尺度に合わない=自分の中の常識ではないとの理由で正当だと思いこんで来ました。 でもさすがに最近自分の器の小ささにうんざりしています。旦那は私より短気だと思っていたのですが、私がムカっと来た事に対して、特に怒っていなかったりして、やはり自分は怒りすぎだと思いました。 よく考えてみると、近所や子供関係の知り合いなどに、苦手な人が山ほどいます。私が苦手としているので、態度に出ますから、相手も私を苦手に思っていて、避けられます。それがよく考えると何人もいます。でも気が合う方もそれなりにいて、その方達はやはり気遣いができて素晴らしい方ばかりなので、私が苦手だと思う方達とはかなり違います。そこが、私なりに苦手でもしょうがないと思う部分です。 よくニュースで「人から恨まれるような人ではなかった」というのがありますが、私は多分すごく恨まれるタイプです。 もう中年なので、この性格を直したいのですが、可能でしょうか?苦手な人を避けているあたりが大人気(おとなげ)ないと思っています。また、愚痴っぽく文句ばかりの性格を直したいです。 良いアドバイスをお願いいたします。

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noname#203655
noname#203655
回答No.3

私自身が半知半解なことのですが、もしかしたら参考になるかも 知れないと思うことを書きたいと思います。抽象的なことなので、 かなり分かりにくいかも知れませんが、ご容赦ください。 私たちはほぼ例外なくすべての人が無意識に「エゴ(我)」というもの を持っています。エゴというものは意識されません。というのも、 エゴは意識されれば解体されるからです。 エゴは「自分の思う通りに周囲は動け」「自分を敬え」「自分は お前より優れているんだ」などなど人によって違うとは思いますが 様々な要求を持っていますし、様々な欲望を生み出します。 その要求や欲望に周囲の環境や他人の行動などが適わないと私たちは 怒りや憎しみや不満を持ちます。 私はエゴはもちろん善いものとは思いませんが、力んで敵視する形で 対処しない方がよいものと思います。「エゴよ、そこにもいたか」と 微笑んで解体させればよいものなのかもしれません。 自分だけでなく、他人もエゴを抱えています。エゴの性質から言って その他人も自分のエゴには気づいていないでしょう。繰り返しに なってしまいますが、エゴは気づかれると解体されるからです。 私は先ほどエゴは微笑んで「そこにもいたのか」ですませればよいもの ではないか言いました。とすると、他人が愚かと思われる言動やこち らに不快なことをするのはその他人自身の仕業ではなく、その他人の エゴのなせる業なのかも知れません。そのとき、その他人の(無意識 の)エゴと他人自身を同一視すれば、その他人は敵になります。その 他人もこちらを敵とみなすでしょう。そうして、エゴとエゴが反応し あって私たちは憎みあい、恨みあうのかも知れません。でも、本当は 他人の(無意識の)エゴはエゴとして認識して、その他人とは別物と みなせば、自分に怒りや憎しみは起こらないし、他人もこちらに怒り を持つことはなくなるかも知れません。私たちが他人のエゴを 見抜き、そのエゴに反応しなければその他人のエゴは力を失い、 解体するからです。言うのが遅れましたが、私たちはしばしばエゴが 生み出す自分のイメージを自分だと勘違いしていますが、実は (流行の?)「本当の自分」はエゴの生み出すイメージとは別物なのか も知れません。エゴは自分ではない。他人のエゴと他人自身(「本当 のその他人自身」?)は同じではない。「本当の私たち」はもっと 自分たちが思っている以上に尊く、優れているのかもしれません。 自分も含めて私たち人間の多くは本当には正気では生きていないよう です。実際はエゴに動かされてるというのが現実かもしれません。 大げさなことを言えば、人類はエゴに騙され続けて生きてきたし、 これからも生きて行くのかもしれません。ただ「またそこにいたか」と 気づけば解体されるエゴに支配されて。 以上の分かりにくい前置きの上で質問者様の「性格を直すことが 可能か」という質問に私なりに答えますと次のようになります。 可能だと思います。肩の力を抜いて(質問者様は力んではいらっしゃら ないかも知れませんが)、自分のエゴを冷静に微笑む余裕を持って 見抜けばよいのだと思います。「そこにもいたか」を繰り返して いれば、その内に性格は変わると思います。他人に対しても 「そこにもいたか」を繰り返していれば、他人の自分に対する 反応も変わるかもしれません。 以上が私なりの回答です。参考になればと願います。

nekosan593
質問者

お礼

ご親切なご意見ありがとうございました。皆さん、優しくて感激しているところです。 「エゴはエゴとして認識して、その他人とは別物とみなす」なるほど、すごく参考になります。そういう視点で見れば、今まで苦手としていた人もその人全体が苦手じゃないと見れそうです。嫌な事だけ、その人の「エゴ」と見ればいいのですね。少し楽になれそうな気がします。 性格を直すことを「可能」と言ってくださってありがとうございます。努力してみます。

その他の回答 (5)

  • forever116
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回答No.6

30代♂です。 あなたは変われますよ(^.^) 今、変わりたいと思えた事だけでも素晴らしい(^.^) あなたの周りに集まる人であなたが嫌悪感を抱く人は あなた自身と同じ性質の人です。 そして、あなたが好意を持てる人達は、あなたが今そうした 人間になりたいと思える見本のような人達なのです。 つまり、その嫌だなと思う人を見て、学ぶことが必要という ことです。 こういう事を言うと相手が嫌がるな、こういう行動を取ると 嫌がるのだと理解していくのです。 そして、逆にあなたの気が合う人達のしていることを 真似ていけばいいのです。 こういう事を言うと相手が喜ぶな、こういう行動を取ると 喜ぶのだと理解するのです。 「友は類を呼ぶ」のごとく、同じようなタイプの人間が 集まりやすいです。 周りの友人を見て、自分にはこんな嫌な所があるのか、とか こんな良い部分もあるのかと気付かされることも多いです。 いずれにしても、相手を幸せにするには、常に相手の立場に たって物事を考えることが必要です。 今まで築き上げたあなたの性格は、一朝一夕では直りません。 地道に改善していくしかありません。 これはとても大変なことです。かなり強い心が必要です。 でも、諦めないで頑張ってみて下さい。 こうして真剣に悩み苦しむことは、心を輝かせるのです。 絶対に変われますよ。応援しています(^.^)

nekosan593
質問者

お礼

変われますよ、と言っていただきありがとうございます。 そうですね。苦手な人からも、気の合う人からも、学んでいかなくてはいけない、と思いました。ただ漫然と生きていた事に気づく事ができたような気がします。努力してみます。ありがとうございました。

noname#107982
noname#107982
回答No.5

人の付き合いは 文句は本人に直接直ぐに言う事 相手の為に物を言うのは結構です。 言えば今後愚痴はかなり出ません。 その時自分の事を棚に上げて話されたら嫌われるだけです。   気持ちの通わない知り合い何千人いても仕方がないです。 嫌われて結構じゃないですか?  私も 本当の事なら、きつい事言います。  うわべ面しで付き合う人などは必要ないのです。 しかし 社会的に立場のある人など大勢仲間がおります。   

nekosan593
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 私もはっきり物を申して生きてきました。それを受け入れてくれる方とそうでない方に分かれますね。最近はそうでない方にしか会いません。やはりキツすぎるようです。 やはり、嫌われ者では人生辛いので、生き方を改めるように努力したいと思います。ありがとうございました。

  • gunto
  • ベストアンサー率19% (347/1784)
回答No.4

苦手な人を受け入れるのは、かなり辛いと思うので ただ、ちょっとだけ発想を変えてみたらどうだろう? 「人は何しても何を言っても自由なんだ。私がそれを気に入らなかったらそれを受け入れない自由があるんだ」と。 自分の気に入らない人間気にしてたらきり無いです。 例えば、あなたを気に入らない人がいるとします。 自分の生活を大切にする人は、あなたに心をオープンにしないで 自分の生活をさり気無く楽しむでしょー そのコツは「私はnekosan593さんを気に入らないけど、私の生活には 何の支障も無いし、又、影響力なんてある訳ないわ。 何故かって私は私だし、nekosan593さんはnekosan593さんだし お互い自由だし、私が彼女を受け入れなければいいだけだから」と。 だからnekosan593さんも、気に入らない人たちにそういう意識持てば 結構、気にならなくなると思います。 自分の生活がそんな気に入らない人を気にして、不愉快にしちゃったら 損じゃないですか~ 自分の生活を邪魔させない、邪魔しない。 それは精神の持ち方だと思います。 我慢するって意味じゃないですよ。 言いたい事はメリハリつけて毅然と言う事が必要。

nekosan593
質問者

お礼

ありがとうございます。優しいご意見嬉しいです。 私も苦手な人は自分に必要がないから平気、と思っていましたが、ふと考えるとそうやって敵に回している人がたくさんいる事に、気づきました。そして、苦手な人ほど、避ければ避けるほど結局行動パターンが似ているようで、色んな場所で出くわしてしまいます。 苦手な人をスルーしてばかりではいけない、と思ったのは、自分の気の合う人が、自分の苦手な人と仲良く話しているのを見た時です。自分のふがいなさをひとしきり感じました。少し努力すれば変われるのなら、良い方向に努力してみたいと思います。どうしてもうまくいかなければ、あきらめようと思います。ご意見ありがとうございました。

  • told
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.2

私もその気持ちは理解できます。誰でも数人は自分の苦手とする人がいるものだと思います。 この文章だけでは把握できませんが、おそらく神経が細かな方なんだと思います。 世間でよく言われていることなんですけど、相手の気にくわないところというのはそのまま自分の気にくわない部分らしいんです。 裏を返せば、自分の駄目だと思うところに常に気づくことができるのではないのでしょうか。些細なことでしゃくにさわるというのは、神経質ゆえにそれが人より多少敏感なせいなのかもしれません。 もし、他人の言動に苛立ちを覚えたとき、人の愚痴を言いたくなったとき、心の底で「もしかしたら私にも同じフシがあるのかもしれない」と立ち止まって考えなおしてみるのもいいかもしれません。 そう考えてみると、少し横柄な物言いになってしまいますが、あなたの神経質な部分をカバーしてくれるような、そんな気遣いのできる人とは相性もあうはずです。つまり、対称的だということ。でも、神経の細やかさという点では共通しています。だからあなたはきっと、もっと気遣いのできる人になれると思います。 そういう人と交流する上で、自分の理想とする人格に気づき、そして苦手とする人たちから自分を知り、内省していく…。 そうやって考えていくと、自分と巡り合う人に無意味な存在なんてないことに気づくと思います。 自分を振り返ることができれば日々の人間関係の中で少しずつではありますが改善できるはずだと思います。 年端もいかない若造にしては不躾で教訓めいたアドバイスではありますが、少しでも参考になれば幸いです。 私もまだまだ内省の日々です。

nekosan593
質問者

お礼

共感していただいて嬉しいです。皆さん、優しくご指導くださって感激です。。「神経が細やか」と例えて頂いてありがとうございました。もっと厳しいご意見があるかと覚悟していたので、ホッとしました。 相手の気に入らないところ=自分の気に入らないところ、そうですね。その通りだと思います。確かに苦手な相手とは行動パターンが似ていて、苦手だと思えば思うほど色んなところで出くわします。不思議なくらいです。 立ち止まって自分にも当てはまらないか考えてみるのを実行したいと思います。苦手な人から学ぶのも大事な事なんですね。ありがとうございました。

回答No.1

一日の終わりに、今日あった事を感謝しノートに書いて行くといいと思います。些細な事でいいので書き出して行く事が大切です。例えば ご飯が美味しく食べられた。とか、天気が良く気持ち良かった。とか、買い物でお買い得な買い物が出来た。とか、お友達との会話が楽しかったとか。 一日のあらゆる出来事に感謝していけば優しい気持ちになって行けると思います。最初は書く項目が少なくても慣れていけばどんどん増えて行って、明日は今日より、いい日にしよう。と自然に思えて来ます。 そうすると日々の行動や言動にも変化が出て来ると思います。 バカバカしいと思うかもしれませんが、紙に書く事で自分を見直す事が出来ます。ネガティブな事は書かないでポジティブな事を書く。 そして毎日に感謝する事が変わって行く一歩になると思います。

nekosan593
質問者

お礼

ありがとうございました。この相談をした時に、すごく悪い事を指摘されて凹むのではないか、と思っていましたが、皆さん優しいご意見で嬉しかったです。 感謝する事をノートに書いていくのですね。やってみます。考えただけで、今までとは違う発想なのでいい効果が期待できそうです。少しずつでも変わっていけそうで、無理なくできそうなアドバイスをありがとうございました。

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