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両親を亡くした後の諦観
私には両親がいません。正確に言えば、 父が6年前に殺人事件で亡くなり、母は昨年うつ病の末に自殺しました。 12歳離れた妹とこの一年間頑張ってきました。 (前回の相談を参照してください。)http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3923171.html 運よく希望していた仕事にも就けました。 なんとか軌道が見えてきたような気がする時もあります。 一番辛くて自殺しそうになった時期を乗り越えて 今があるはずなのに、全然気が晴れません。 どんよりして何もできない気分の時は以前より少ないのですが 明らかに以前と違うのは自分の中に諦観が強いという事です。 最初は両親がいない事、中学生の妹の面倒を見る事、 人に打ち明けられない事、仕事で思うようにこなせない事 夢や目標を諦めなければならなかった事 など、最初はすごく辛くて何度も泣きました。 毎日、一人でばれないように泣き続けました。 「お前はもう一人前なんだからしっかりしなさい」的な事を言われて 「そう言うあなたは帰れば家族がいるくせに」と斜になって思ったり。 結局は、寂しかったんです。 「甘えるな」「社会人だろ」「いい加減忘れろ」「仕事に関係ない」 言われる度に寂しかった。 心の拠り所が欲しかったんです。 そうこうするうちに僕の中にこんな考えが生まれました。 「家族とか、優しさとか、温もりとかそういうものを求めるから辛いのだ。 だったら、諦めてしまえばいいじゃないか。」と 自殺したいという訳ではありません。 何かを求めたり執着して苦しいのなら、それを追わなければいい。 生きていくのに息苦しかったら、それを捨ててしまえばいい。 以前のような意気揚々と目標を追いかけた自分には戻れないような気がします。 それを特段良くないとも思っていません。 今までの自分に全く無かった価値観です。 落ち込んでたり、気分が沈んでいてこう考えているのではなく、 自然体でこう考えています。 ですが、現実的にホームレスになるとか 妹との生活を捨てて自分は消え去るという事ではないです。 うまく言えないのですが、それがすごく自分にとって 自然体でいられるんです。 夢や希望に満ち溢れた去年までの自分とは大違いですね。 こうやって考えるのは現実を受け入れ始めたからなのでしょうか? それともうつ病的な考えなのでしょうか?
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私も両親はいませんけど、 お母様は酷い人ですね、子供を置いて自殺だなんて。 許せません。 あなたは、生きていくと決めているのなら、 辛いかもしれませんけど、頑張るしかないです。 私も両親がいなくなって、辛かったですが、 精神的にも体力的にも、大丈夫でした。 案外強いな~って思いました。 とにかく妹さんにもう少ししっかりしてもらって下さい。 相談出来るところもあるので 大人の助けを借りながら生きるしかないです。
- 0430
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負担になって囚われるようなら、捨てることです。 只、凡・凡と日々を過ごしているうちに、自分のしたいことが見えてきたりします。妹をきちんと教育せねばならないとかの気持ちは不要です。 私も子供を育てましたが、中・高生時はウゼー、カッタルイ、クソババーの連呼でしたよ。ほっときました。 自分で考えますよ。か家事は喧嘩してもやらせましょう。 年齢から考えても、妹さんの心の痛みは図りしれませんが、貴方の趣味の仲間等に呼んで、少しでも多くの人と交わって戴くことですね。 12歳離れていると、お父さんの様に思ってしまいますね。 貴方への依存心は普通以上でしょうね。 でも塾へ行き、有名校へ行けとは無理ですね。 本人の希望が有れば、当然、家の売却金や保険金(確かめられていますか)で、予備校や大学へ進まれるのが望ましいですね。 両親の預金や保険や不動産等の名義はきちんとされましたか。 市役所の相談室等で、財産の相続の相談をされ、遺産相続をしっかりしましょう。 遺産処理のことを調べている内に、興味を持って宅建も取れるし、じゃー司法書士も取ろうかとか、も有るかも知れません。 私は61歳ですが、司法書士の勉強を始め、1年で独学で絶対受かろうと思っています。 クソ子ババーと連発していた息子も、30歳で妻子持ちとなり、ITの会社を立ち上げたとのことです。(私には、さっぱり分からないけど) 貴方を抱きしめて、無理しないでねと言いたいですね。
私は別の面で今年諦観せざるを得なくなったことがありまして、それは単に精神的な面だけではなく、実生活において普通一般的な生き方をするのを実際に諦めて、最低限現実に暮らしていけるレベルでの生活をすることにしたのです。(生活保護という意味ではないです) それまで約20年自分の現実問題解決を目指して色々時間・金銭等を費やし取り組んできたのですが、その結果なんと諦めざるを得なくなるほどむしろ状態が悪くなりまして、それで精神的にも実生活的にもダメならダメなりの範囲でできる生活を送ることに決めたのです。 そうしたら、私は明確に楽になりました。 もちろん、こういう生活が送れるのは他の方々の恩恵が実際にあってこそでして、この点は私の場合忘れるわけにはいきません。 また、一方で、諦めた以上は、実際に通常世間的に行われる様々な事柄を行わないことが色々あるという状態ではあります。 ただ、ともかくやれる範囲の中でやれること・やりたいこと・やったらいいこと、をやっていて、実際、この状態になる前よりは明確に楽になりました。 むしろ一番辛かったのはその前の約20年間であり、何が苦しかったかと言いますと、よくなるのかどうか定かでないまま、よくなるのではないかと期待を残しながら改善に努め続けてもよくならないままの状態が続き先が不明であることと、ダメになった場合の最悪状態時で生きて行く具体的方法は案として持ってはいるけど、現実にその方法をとって生きる決心はつかない、ということ等でした。 しかし、諦めざるを得なくなるレベルまでひどくなったおかげで、あっさり諦めがつき、その結果楽になった、という次第です。 質問者様の場合は私とは事例が違いますから、軽々しいことを言うのは失礼かと思いつつ、しかしむしろ軽々しくても思いついたことを書いてみようかと思います。(気分を害されたらすみません。) 両親を幼少時に亡くした人が身近にいますが、その人は10代頃まではやはり相当辛かったりしたようですが、20代以降結婚したりするようになると次第に薄れて行ったようではあります。ただ、その人は、幼少時親代わりに育てて下さった方への感謝はものすごく深いままではあります。 通常、親は程度の差はあれ、自分よりかなり先に亡くなりますし、30代頃になるとそういうこと自体は割合ひょうひょうと受け入れられるようになることも結構ある面はあるかもしれません。 ちなみに、人間=肉体+魂でして、死んで肉体は焼失しても、魂は火で燃える【物質】ではありませんので、存続します。 ですので、やがては自分も魂となった時に再会することができないことはないのです。 数十年という期間、会えないだけ、ではあるのです。 あとは、質問者様の場合、ご両親の亡くなられ方が実に大変であったこと、この点はおかけする適切な言葉も見付からないです。本当に大変だったと思います。 この点につきまして、一つ書いておきますと、あの世にはやはり医療系や宗教系の魂として、いわゆる天使と言われるような方々が多数いらっしゃり、苦しんだ人々の救済に努めておられますので、そういう救いもありうることをお知らせしておきます。 また、この世においても、マザーテレサやナイチンゲール、空海といった方々は、孤児達にも深い愛情を精神面・実生活面ともに注ぎ続けられましたし、そうした方々以外にもそのようなことをされている方々は多数現実にいらっしゃいます。 また、それ以外にも、親切にしてくだる方や窮地を救って下さる方もいらっしゃるでしょう。 私は孤独を感じる時は、そうした方々がいて下さることに思いをはせるようにしています。 この世でもあの世でも、そうした方々は多数いらっしゃるのですよ。 そこを一つのポイントにされることもいいのではと思います。
- uribou9
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さて,私には貴方の心の中は推し量ることは出来ませんが,私自身も貴方に負けない位辛いことは沢山ありました。でも,私には信念がありました,「諦めないこと,勝たなくても良いから負けないこと」,それが今の私を支えています。ですから私と貴方とは価値観は逆なのかもしれませんね。私の本性は闘争心の塊・人に負けない・人に出来ることは自分にも必ず出来るというものです(形は違うことは勿論ですが)。楽観主義なのでしょうね,ですから辛いことも楽しく変えていけるのです。不思議ですよね,人間は不可能などないように思えるのですが?
- humptypapa
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うつ病の典型だと思います。 心療内科で薬を貰いましょう。 少しは気分が晴れるかもしれません。 物事に固執しないのはいいことですが、 気持ちが晴れることがないのは病的な症状と思います。 親を亡くすのは、配偶者を失くす位、一番辛い状況なのです。 妹さんのために、立ち直ってください。