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生き方を変えたい
はじめまして、初めて質問させていただきます24歳女です。 わたしは小さい頃からずっと生きること辛いと感じており、でもこれが異常だということにはっきり気付かず生きてきました。 周りはわたしのことを面白くて、精神的に強いと思っているようですが、日常的に死を考えているときもよくありました。 しかし最近あまりの辛さに、何か病気ではないかとネットで検索していたら、「アダルトチルドレン」という言葉とその内容を知って、これだっ!と思いました。 それからこの辛い人生から抜け出せるのでは?と思うようになりました。 人の役に立つことでしか喜びを感じられず、色々なことを背負って疲れ果ててしまう、自分の為に喜んだり行動したりできない、こんな毎日を変えたいんです。 お勧めの本や、こんなことをして効果があった等、何かアドバイスをいただけると嬉しいです。
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<ボケ~っと打っていたら、また長くなってしまいました。 すいません。無理して読まなくてもいいです。お礼も無理していりません。すいません。今日ヒマで、つい・・・> #6の者です。 こちらが予想していた以上の回答をいただいて、とてもうれしいです。 >このままではダメだと思っていた今の生き方が、理想の生き方に見える見方もあると思うと、 考え方次第でいくらでも変われるのかもしれないと思いました。 同感です。質問文を読んで直感した通り、あなたは、思想が高尚な人でした。 あまり書いたら、出版社の人に怒られそうですが、 ひっそりと、もう一文どうぞ。 :新渡戸稲造は、順境・逆境の区別をつける前に、 その区別を外に置かないで、内に求めるべきだ。と言っています。 世には、財産を失い、名誉を傷つけられても、なおうれしそうにし、 いかにも重荷を下ろしたかのように喜ぶ人もいる。 また、高い地位から突き落されても、鳴き声一つ発せず、 かえって身軽になったと喜ぶ人もいる。 こういう逆境にある人が、むしろ自分を幸福だと思うのは、 いわゆる逆境を、順境に転じるのに、外部からの他力を要する事が少ないからと思われる。 自分の立場を変えさえすれば、十中の八九は境遇の順逆は変えられる。 楽しみは、外形にあるのではなく、内部における心の作用により生ずるのである。 楽しみは、「夕顔棚の下涼み」である。夕顔棚の下の日陰も、 高楼の屋根の日陰も、日陰には変わりないが、 夕顔の風雅な所、食物に現れた自然の妙を解せぬ物は、 ただただ大工左官の手になった屋根や柱のみを崇めて、 棚の下を逆境とし、屋根の下を順境と称するのである。 このように、順逆の標準を外に置かずに、内に求める事に務めたならば、 世に失望する人も、不平を訴える人もなくなり、人生の憂苦なるものは、七、八部は消えてしまうのではないか。 「菜根譚」に「人生の福境禍福は、みな念想より作り出す」とあるが、 人生の禍福の境地は、全て自らの心が作り出すものである。 (普通は、こんなにサービスはしません。あなたは、劇的にいい方向に変われる気配があったので・・・) ・・・すいません。おじゃましました。それでは頑張って下さい。
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35歳会社員です。 最近、このサイトで、みんなにこの本ばかり、ご紹介していて、 ワンパターンで申し訳ないのですが、 新渡戸稲造の「修養」を現代語訳にした本、 「いま自分のために何ができるか」 この本をお勧めします。 自分の事で、悩んでいる人には、個人的には、超おすすめです。 (共感されるかかどうかは、解りませんが・・・) 例えば、 >人の役に立つことでしか喜びを感じられず →新渡戸稲造は、なした仕事で人間の価値は決まる。と言っています。 なので、人の役に立とうとしているあなたは、 充分、価値ある人、又は、その可能性を持っている人だと思います。 >色々なことを背負って疲れ果ててしまう、 →新渡戸稲造は、勇気と称するものには2種類ある。と言っています。 1つは「前進する勇気(Courage)」と、 もう1つは「耐える勇気(Fortitude)」である。 両者の意味は、少し違う。 徳川家康の遺訓に「人の一生は、重荷を負う、遠き道を行くが如し」とある。 「重荷を負う」が、「耐える勇気」で、 重荷を負って「遠き道を行く」のが「前進する勇気」である。 「前進する勇気」は、すこぶる派手で、惰力がある。しかし、 「耐える勇気(退いて守る勇気)」は、ちょっと見ても、勇ましい所が現れない。 しかし、必要な勇気の量は、「耐える勇気」のほうが、「前進する勇気」よりも、同じか、あるいはさらに多いだろう。 勇気を修養するものは、進む方の勇気ばかりでなく、しりぞいて守る方の勇気も養うように心がけねばならない。 両者がそろって、真の勇気が得られる。とあります。 そう考えると、<色々なことを背負って疲れ果ててしまう>というのは、 まさに、新渡戸稲造が言う所の、「耐える勇気」を修養する場面ではないでしょうか? >自分の為に喜んだり行動したりできない、 :「犠牲は進歩の法則であり、利己は非生産的である」 「すべて人は、己に勝つをもって成り、自らを愛する事によって破れる」 「なにか自分よりも偉大なもののために一生を投げうってこそ、歴史は生きてくる」 「己の命を捨てて、はじめて大いなる命を得、小我を捨てて、はじめて大我を得る」 「己を殺す事は、これ生命のもとなり」 まあ、こんな感じです。 ひまだったので、お気に入りの文章を、一部、書いてみましたが、 つかれたので、もうやめます。 興味があれば、あとは、自分で読んでください(笑)。(10年前に買った時の定価は、450円です) 最後に、この本の内容と、あなたを照らし合わせると、 あなたは、はたからみれば、人として、理想の生き方をしている様に見えます。 もう少し、今の自分を、ほめてあげてもいいのではないでしょうか?(長い回答でごめんなさい)
お礼
長い回答でごめんなさいだなんてとんでもないです。 ありがとうございました。 耐えたり自分を犠牲にすることは、自分の中でしないように意識する程のことだったので、この考えには何だかびっくりしてしまいました。 このような考えの人にアドバイスをもらう機会が今までになかったので、正直今すぐ共感とまではいけませんが、 もっと視野を広げて自分を見たり考えたりしてみようと思いました。 このままではダメだと思っていた今の生き方が、理想の生き方に見える見方もあると思うと、考え方次第でいくらでも変われるのかもしれないと思いました。
こんばんは。 何だか自分と似ている気がして、お邪魔します。 二十代後半の三児の母です。 >人の役に立つことでしか喜びを感じられず、 私もそうですねえ。。。大好きです「誰かの役に立つ事」。 質問者様はお嫌いですか? 私はそう言う自分に気付いたのが、確か中学から高校に掛けて、でした。 気付いた時は、何だか「他力本願」な気がして「私自身の人生は何処にあるの?」って思いました。そして、「自分の望みを望もう」と試みたのですが。。。。あらあら、「何も無い」事が分かりました。笑 「何がしたい」って思わないのです。汗 周りは皆「生意気盛り」で、「あれが欲しい、これ買いたい」「小遣い少ない、親がうるさい」等「素直に望んで」いるのに、私には「無い」。 不思議でした。何か欠陥が在るのかしら?と心配にもなりました。 でも、だからと言って「不幸せ」とは思わなかったのです。それどころか「とても幸せだ」と信じていました。それ程突出して恵まれていたのではないですし、むしろ経済的には不遇な家でした。でも、「自分が幸せ者だ」と信じていました。 だから、「このままでいいや」って思いました。「私は人の望みを叶える為に生きるんだ」って。「期待を実現する為に頑張るんだ」って。。。。でも、そうしたら、その人が「本当に望んでいる事」を「見抜く力」が必要な事に気が付きました。「言葉とは裏腹に」と言う事は良く在る事ですし。^^ >色々なことを背負って疲れ果ててしまう、 質問者様の「疲れ」は、「本当に望まれている事」とは違う事をしてしまっての「疲れ」とは考えられないでしょうか。。。? >自分の為に喜んだり行動したりできない これは、「まだまだ役に立てていない自分」に気付いているから、と言う事ではないでしょうか。。。? どうでしょうか?「とことん人の役に立つ人間になろう!」と言う目標は。 あ、間違いました、 「とことん「本当に」人の役に立つ人間になろう!」ですね。^^ 「役に立つ人間」って、決して「他力本願」でもないし「自分の為に喜べない」人間ではない、と思うのですが、いかがでしょうか? 「他人に利用される」って、「嫌な言葉」のようですが、私は「利用される価値のある人間になろう!」って思いました。「利用する価値も無い人間」なんて思われたら「悔しい」と思いませんか?^^ 「価値」はその人の「能力」ですもん。 「人の役に立つ」って、その人の「能力」ですし、「才能」ですもん。 「人の役に立てない」人生なんて、寂し過ぎるって、思いませんか? 「人の役に立てる能力」のある質問者様って、とてもとても「幸せ者」だと思います。^^ 最後にお勧めの本、紹介しますね。 「愛するということ」エーリッヒ・フロム
お礼
誰かの役に立つ事、好きです。でも、自分の心の安定の為か、純粋にその人の為なのか、時々分からなくなります。 疲れは、わたしが何でもやってしまうので、周りの人がすべてわたし任せにしてしまい疲れることがあります・・。きっと、その人の為でなく、自分の安定の為になってしまっているときなのかもしれませんね。 本当に望んでいる事を見抜けるようにこれから意識してみようと思います。 それと、役に立つことができる自分をもう少し誇りに思うようにしようと思いました。ありがとうございました。
- tomban
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ちょーっと待った!!。 自己判断はしないでくださいよ。 ちゃんと然るべき機関に行って、そこで判断してくださいね。 さて質問ですが、 >日常的に死を考えているときもよくありました。 これはね、変じゃないよ。 私も同じ時期があったし、同じように「想っていた」人はたくさんいるはず。 感受性が高い人、想像力が旺盛な人ほど、そういった傾向はあると思う。 ただそれを、成長してくるに従い「尾ひれ」をつけて考えるようになると「ドツボ」にはまってしまうんですよね。 おそらくはまだ「自己愛」について、未熟で割り切れない部分が残っているんじゃないだろうか?。 そこのところはカウンセラーさんなどの「対面者」がいないと、よくわからないことだよね?。 とにかく「自己判断は大方が間違い」だと思います。 きちんと分析が出来る、精神科医かカウンセラーさんなどの力を借りるべきです。
お礼
ご回答ありがとうございました。 そうですね!!自己判断でどんどん思い込みにはまっていくところでした! とにかく今の状態から脱出したいという気持ちから、こじつけもあったかと思います。 死を考えているのが変じゃないと知って少し安心しました。 カウンセリングは前から受けてみたいと思っていたので、近所で良いところがあるか調べてみようと思います。
- mimi--ko
- ベストアンサー率29% (386/1308)
質問者様のお気持ち、何となく分かります。 私は小さい時から大人の話の分かる子供でした。 こうすれば大人が喜ぶ、と分かってしまうので、先生の意に沿った作文などを上手に書き、特に小学校時代は周囲から高い評価を得て、随分得したと思います。 その後も、周囲の期待や評価を基準に生きてきたかも知れません。 必要以上に周りの空気を読んでいたかもしれません。 周囲の期待を裏切らなかったせいか、何不自由ない生活を手に入れることができ、幸せなはずなのに、何故か、「幸せ感」がないことに気がつきました。 それから、自分が本当にしたい事は何だろう?と自問自答することもありました。 本も随分読みました。 お勧めする本は特にありませんが、質問者様の場合は、図書館に行って、親子関係について書いてある本を片っ端から読んでみるといいかもしれませんね。 親御さんを、1人の人間として捉えることができると、質問者様のお気持ちも軽くなるかも知れません。 私は今、色々なダンスを習っています。 下手ながらにも、体を動かし、自分を自由に表現することが楽しいです。 特に、ベリーダンスの先生から、自分をアピールするポーズや振りを習ってから、とっても楽しくなりました。 鏡に映る自分を、可愛いとさえ思えるようになりました。 下手でも楽しい、誰かに評価されなくても私が可愛い、と思えるようになって、自分自身が少し変わった気がします。 上手くお伝えできないのですが、質問者様も、ご自分を解放できる方法を見つけてみてはいかがでしょう?
お礼
お返事ありがとうございます。 わたしも小学生のときは賢いしリーダーもできる優等生でした!将来が楽しみだと周りも自分も思っていましたが普通でした。。。笑 あと、確かに親に1人の人間として捉えることができていないと思います。 趣味とか、自分が心から楽しいと思えるものを見つけることは大切ですよね。飽き性でいつも続きませんが、懲りずに色々試してみたいと思います。
こんばんは。 『アダルトチルドレン』という事は、親御さんから虐待にあった、と言う事なのでしょうか? だとしたら、専門医にかかった方がよいと思います。 アダルトチルドレンって、自覚がない所で心に深く傷を負っているのです。 私が即ギレな性格を治したいというのとは違うと思います。 私の友人にもアダルトチルドレンの子がいました。 その子は、私から見ても専門医に診てもらった方がよい、と思えるくらいでしたが、なぜか頑なに行こうとはしませんでした。 結局、なぜか私を信頼し、私に子供返りをされ、私はそこまでは責任は持てないので、自然消滅してしまいました。 今でも気になります。 そういう経験からも専門医に診てもらった方がよい、と思っています。参考になれば、と思います。
お礼
お返事ありがとうございます。 虐待という程のものはありませんでしたし、アダルトチルドレンというには大げさなのかもしれません。 ただ、常に何か見つけては否定され怒られ、異常に行動を制限されたり、毎日愚痴を聞かされたりしてました。 でも、回答者さんの体験のように、わたしも無意識に誰かに迷惑をかけているかもしれませんね。 楽になれるなら何でも試してみたいですし、専門医に診てもらうことも考えてみようと思います。
お礼
大変お返事が遅くなりました。 2度も回答を本当にありがとうございました。 以前に本でそのような内容を読んだことがありました。 でもそんなことはすっかり忘れて、ついつい人と自分を比べたり、人の目や考えに惑わされていたように思います。 自分の捉え方や考え方次第でどうにでもなる、ということを常に忘れないようにしていこうと思います。 気休めになればとここで質問をしましたが、こんなに回答をいただき本当に嬉しいです。 ありがとうございました。