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画期的な映画

エポックメイキング(画期的)な映画というと何を思い浮かべますか?どこがどのようにというコメントもつけていただきたいです。 映画を見てると「あーこのネタ前にもどっかで見たことあるなあ」と思う事しばしば。 やはり「こんな映画初めてだ」という映画を見たらとてもうれしいものです。 例えば最近では「メメント」は時間をどんどんさかのぼっていく映画で「おっ」と思いました。「マトリックス」の映像はゆっくり動いているのにカメラはガンガン動いている絵もはじめて見ました。D・リンチの「ロスト・ハイウェイ」は一人の役を途中から別の役者が演じてました。 独断と偏見で結構ですので、色々と教えていただけないでしょうか? ちょっとしたことでいうと、「ダイ・ハード」のナカトミ社長の役はこれまでの日本人と違ってとても堂々とした役どころで驚きました。などなど。 宜しくお願いします。

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noname#155689
noname#155689
回答No.11

再びコンニチハ。 >ストーリー展開とは これは別に私の功績ではなく、当時はよく言われてたことなんです。 蓮實重彦に影響を受けた黒澤清や青山真治、塩田明彦といった 若手(もう中堅かな)(黒澤は大御所かな)の監督たちの対談集 ●ロスト・イン・ハリウッド:デジタルハリウッド出版局 なんかに、もっとシャープに語られています。 宇宙人の話も出ていたんじゃなんかな? 昔は映画の中の宇宙人は人類の敵だったんだす。それが ●惑星ソラリス ●2001年宇宙の旅 といった作品から「インナートリップ」もしくは「神との遭遇」 といったテーマが出てきます。少し前では ●コンタクト がこの直系で真摯に取り組んだ作品ではないか。 ●ミッション・トゥ・マーズ もこの手の変形として不可思議な作品でした。 やはりキリスト教文化が生んだ映画だな、と思います。 宇宙人を敵にしなかったのは ●未知との遭遇 ですね。 ●E.T. になるともはやアイドルです。あとで ●マーズ・アタック に皮肉られていますね。 >30年代と60年代なんですか? 30年代はハリウッドがスタジオシステムを確立し プログラムピクチャーという方法論を編み出した頃です。 その、ハリウッド映画で育った世代がプログラムピクチャーに飽きてしまい 従来のルールをひっくり返した新しい方法論が 60年代のアメリカン・シネフィルやヌーベルバーグという訳です。 シネフィル後期の作家で、その後、映画界の中心を担っていくのが スティーブン・スピルバーグですね。 前出の「ロスト・イン・ハイウッド」では現在のハリウッド映画を スピルバーグ以前とキャメロン以降で評論していて興味深かったです。 さて、個人的に今後のエポックとして注目したいのが 先日朝日新聞で黒澤清が「マイノリティ・レポート」評で書いてあったような 最近のスピルバーグの訳のわからない部分。 そして「ダンサー・イン・ザ・ダーク」で日本でも有名になった(かな?) デンマークのラース・フォン・トリアーといったあたりの流れです。 トリアーが30年代ハリウッドのプログラムピクチャーを逆手に取ったのが ドグマ95というヤツです(下記URLを参照ください)。 一般受けしにくい映画ですが ●MIFUNE なんかは一見の価値ありではないか。 少なくとも、あの手持ちブレブレカメラは、流行ってませんか?

参考URL:
http://www.ltokyo.com/yanasita/works/mags/esq/9906.html
MONKEYMONKEY
質問者

お礼

有難うございます。 URLいろいろ見せていただきました。 柳下さんは凄いですね。 エスクァイアと書いてあったので本棚から昔エスクァイアの米映画の特集号を引っ張り出してきてみると柳下さんの文自分も読んでました。80年代までの映画史をスタジオシステム崩壊、ニューシネマ、インディーズ系出現とくくり、今どうなんだという対談でした。基本的に「アメリカ映画」なんてものはもうないという前提で、そんななかで悪しき流れとして「サンダンス的映画群」という言い方で批判してますね。どの映画もサンダンス的でこじんまりとしていると。HPでは「バッファロー66」や「マグノリア」などが例外として誉められている。 それから、ニューシネマの後80年代以降長らくスピルバーグ、キャメロン世界が続いていて何も変わってないとも。なるほどなあ。 「ロスト・イン・ハリウッド」も紹介されてました。面白そうですね。 宇宙人の話有難うございます。 柳下氏は「宇宙人はアカだった」と言ってますね。そーしてソ連もなくなり、いろいろ解明されて宇宙への恐怖も夢もなくなった。宇宙人なんて来っこないと。 「ソラリス」って昔見たんですがちょっと覚えてないんですよね。もう一度見てみようかな。自己の内面を反映するような幻想を生む湖という話だったと思いますがそれでどんなテーマなんでしたっけ?「2001年」は神のテーマは考えてみたらやはり人間の常識の範囲内で描かれる神だったなあと思います。難解とかいわれてたが、実はわかり安すぎ。神が進化を導くってそんな人間本位な宇宙っておかしいかも。天動説的な気がする。「エイリアン」の方がたまたまそこに文明があった的で自然。かな?。 プログラムピクチャーってなんかそれが当たり前のように認識してしまっているのでいまさらですが、それもやはり生み出されたものなのですね。それが30年代。日本の興行成績は1960年がピークだそうです。映画興行に下降はTVのせいだと聞いております。TVに対抗する意味でTVに真似の出来ない大作主義がとられた。画面もでかくなった。ニューシネマ、ヌーベルバーグはその大作主義に反する意味で出現したのでしょうか?。 「スピルバーグのわけのわからなさ」ってなんなんでしょう?スピルバーグにわけのわからなさがあるんですか?どの部分のことを言っているのだろう? ドグマも読ませていただきました。10カ条を課している。知りませんでした。 手持ちカメラというと僕は「仁義なき戦い」ですが、あれは「なんじゃこら?」という感じで面白くなかったなあ。最近見たのですが。既に後出の手持ちカメラの映像をたくさん見てたからでしょうか。方や、キューブリックがいかにぶれない映像を撮れるかとステディカムを開発してるのと、ぶれてる方が面白いという映画とがあるわけですね。 あ、全く脈略なく思い出しましたが「ストレンジャー・ザン・パラダイス」というのにも驚かされました。台詞は別に会話がキャッチボールされてなくてもいいんだ!というのに驚きました。誰かが何か言ってもしばらくだれも何も言わなかったり。でも日常会話って結構そうだよなあとか思いました。 こうしてみると「新しい技術」という正当派の「エポック」と「枠を壊す」という意味での「エポック」があるのだなあと思います。

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  • nikubo
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回答No.13

日本映画で個人的に画期的なのは「妖星ゴラス」 完成6年前に小学3年の私が考えついたアイデアが飯の種になるなんて画期的でした。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

はっはっは~(凄く笑っている)。 これ他の人にはわからない。 詳しくはnikuboさんの回答履歴「類似映画」で。 「画期的なアイデア」というとでは ■「さよならジュピター」の木星太陽化計画。 ■「復活の日」で細菌で地球滅亡。 といった小松左京案は斬新でした。 ■「ニューヨーク1997」のマンハッタンの橋を全て封鎖して島を監獄に、、ってのも驚き。そこに大統領専用機が墜落!あまりの無法状態に軍も手出しできない。救えるのは最悪の極刑者「スネーク・プリスキン」のみ。 ■「太陽を盗んだ男」は中学の理科の教師が隠密に原爆製造に成功!。男は政府にむちゃくちゃな要求を開始する。「ナイターを試合終了まで放送せよ!」「ローリングストーンズのライブを武道館で実施せよ!」 ■「恐怖の報酬」油田の火災を消火する為、ちょっとでもゆれたら爆発するニトログリセリンをトラックで運ばなければならない!

  • nikubo
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回答No.12

古くは「戦艦ポチョムキン」のモンタージュ、「市民ケーン」のパンフォーカスとか 俗な物では立体映画、シネラマとかエポックメーキングな作品ありましたが。 わたしの個人的なエポックメーキングな作品は中学の時観たフランス映画の予告編で 踊り子がロッカールームで後姿がすっぽんぽんのやつですね。 当時18禁以外の映画で裸が拝めたのは私にとってこの予告編が初めてでした。 正直いって映画史上の画期的な作品よりもこの予告編が一番画期的でした。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

有難うございます。 「戦艦ポチョムキン」のモンタージュっていうのはよく聞きますね。でも、実はどういう事を指してるのかわからなかったりして。見てないんですが、あの、乳母車の事でしょうか?。関係ない乳母車を挿入することによって緊迫感をだすとか?違いますか? 「市民ケーン」のパンフォーカスはわかります。近くの人も遠くの人もピントが合ってる。 そのフランス映画は無名のやつですか? それは画期的ですね。僕はファラ・フォーセットのウエットスーツごときで画期的でした。 個人的とおっしゃっていただきましたが、「個人的なエポック」というのもっと聞きたいですねー。みなさま。

  • CINEMA
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回答No.10

ANo.#6です。 お礼のお言葉ありがとうございます。 その中にいくつか質問がありましたので,再度,お邪魔させていただきました。 まず,「イントレランス」ですが, >カメラが下から上昇する時はカメラはどっちを向いてい るのでしょうか? これは,お礼の中にもあったようにカメラは水平を向いていて,そのまま上昇していきます。宮殿を正面やや左向き(カメラのレンズがやや右向き)の画面で,はじめ宮殿の中央階段を行き交う人々の群れがとらえられ,そこから宮殿本体の全体像が見えてきます。その宮殿に象が二本足で立っている像があるのですが,「グッド・モーニング・バビロン」では,その象を作ったと設定される双子の兄弟の話で,その兄弟のイタリアでの出生からアメリカ移住,そして・・・という話です。その中では,ハリウッド創生の頃の映画撮影についての場面も沢山あります。その映画に携わっていただあろう無数の人々の中にイタリアから渡ってきた二人の双子がいたかもしれないという話で,個人的には大変好きな映画の一つです。 それと「テレーズ」ですが, >そんなセットで最後までいくんですか?どんな映画なんだ。 この映画は,内容は修道女になるテレーズの生涯を描いた作品で,そのセットのまま映画は終了します。なかでも,3人娘の2人が既に修道女になってしまっており,最後の娘も修道女として送り出す父親が大変見ていて切なくなりました。しかも,修道女として送り出すシーンがあたかも結婚式ようで・・・。 >「友だちの恋人」 これも全然知りません。オープニングとエンディングの服が最大の複線なんて、なんてわくわくさせるんでしょう? これは,映画館で見ていて,自分は気がついたのですが,友人は気がつかなかったようですが,話自体は,良くある話かもしれません。でも,個人的には,いきなり見て欲しい感じがしますので・・・。 >アラン・レネってヌーベル・バーグなんですか? ヌーヴェル・ヴァーグでも映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」出身でゴダール,トリュフォー,シャブロル,「友だちの恋人」のロメール,ジャック・リュベットは特にカイエ派,また,パリの地理的条件から右岸派と呼ばれ,左岸派としてはアニエス・ヴァルダ,アラン・レネがいますので,ヌーヴェル・ヴァーグの映像作家の一人です。それと,ものの本によると,右岸派はアメリカ映画愛好家集団で,左岸派はアメリカ映画への強烈な肩入れは無かったということです。 最後に画期的な映画を一つ。 ネオ・ヌーヴェル・ヴァーグともいわれたレオン・カラックスの「汚れた血」を。 理由:デヴィット・ボウイの「モダン・ラブ」が流れる中主人公のドニ・ラヴァンが疾走するシーンをドーリー撮影するシーンは,本来の映画らしさ,動くもののを写すという躍動感を再認識させられたから・・・。 何か,書いていて,テクニカル部分が強調された感じの画期的映画という感じになってしまいました。他にも色々あるのですが,長くなってきたので,この辺で失礼します。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

どうも有難うございます。 少し昔の本などを繰ってみました。共同通信社の20世紀の映画という本です。「イントレランス」のセットの写真があり、ご説明頂いた「イントレ」のイメージがわかりました。クレーンで撮影されたのでしょうか?その本ではその場面ではないと思いますが、当時の先端のカメラワークや編集テクニックを総動員したと書かれており、気球にカメラを載せて俯瞰で撮影などとも書かれてました。その後の映画でこの「イントレ」はどういうところで使われてますかね?ちょっと違いますが、カメラが長く回ってて、被写体が途中で変わるのは面白いですよね。「コットンクラブ」でリチャード・ギアが歩きながらしゃべっていてすれ違うグレゴリー・ハインズと「ハイ」と挨拶を交わしたところでカメラはハインズらを追い始める。 「グッドモーニング・バビロン」もあらすじを読みました。イタリア人の数奇な人生の中に渡米があり、そこで「イントレランス」の撮影があるという感じみたいですね。あるべくしてあるというより、たまたまそこに至るような。面白そう。 「テレ-ズ」はじゃあ「CUBE」同様ワン・セットなわけですね?。 「友だちの恋人」はそれではいきなり見てみます。 そういった切り口っていうのは「ひらめき」だと思います。そんな発見こそ映画の楽しみ方だと思います。押し付けられるだけではない。又、作り手の意図せぬ価値というものも映画の素敵なところだ。 ヌーベル・バーグの評論家出身者らは政治的にも発言力を持っていたらしいですね。詳しくは載ってませんでしたが、カンヌ映画祭を中止に追い込んだらしい。なんか中国の文革っぽいなあ。こわいですね、ちょっと。 「汚れた血」もかなり記憶薄ですが、そのシーンは(だけは)印象に残っています。そうですね、ドリーこそ映画ならではのイメージですからね。ちょっと違ったらごめんなさいですが、「シャイニング」の迷路や「アウトランド」の追跡シーンの回廊のようなところをカメラがどんどん進んでいく(下がっていく)イメージも独特の快感がありました。

noname#155689
noname#155689
回答No.9

古典、て言ってしまうと30年代や60年代の映画が有利 になってしまいそうなので、最近の話で。 視点を変えればいろいろ思い当たるのですが 一番メジャーなところで考えてみると 例えば「タイタニック」のジェームズ・キャメロン監督や 「アルマゲドン」の仕掛人ジェリー・ブラッカイマーといった ハリウッドの大物たちの映画づくりのパラダイムとして ●サム・ライミ監督「死霊のはらわた2」 ●ダン・オバノン監督「バタリアン」 ●トム・ホランド監督「フライトナイト」 あたりの85年前後のB級ホラーを挙げようと思います。 何がエポックだったか?というと ストーリー展開が早くなったんです。 映画が始まって30分ぐらいで従来のホラー映画の クライマックス的展開に達してしまう。 ええっ、この後どうするの?って思ってると そっからドンデン返しが続く、続く。 起→承→転→結、ではなく、起→転→転→転→結、みたいな。 で、ホラーなのに笑えてしまうんです。 これはパラダイムシフトだな~と、当時感動しましたね。 こんな展開がやがてアクション映画にも使われて 大穴的なヒットになったのが ●ジョン・マクティアナン監督「ダイ・ハード」 じゃないでしょうか? このノリで大金を投じて初めてつくられたのが ●ジェームズ・キャメロン監督「エイリアン2」 だと思います。 もっとジャンルやテーマを絞っていろいろ挙げたいんですが 例えば「SF映画に於ける宇宙人の描き方」とかね。 でもまあ、今日はこの辺で。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

有難うございます。 のっけからとても興味深い。 30年代と60年代なんですか?40、50を飛び越えて。深いですね。やはりニューシネマって事ですか? そしてまたまたCUE009さんの切り口こそ「画期的」と呼びたいのですが、ストーリー展開とはもう私など完全に見逃していたというか気づかなかったというか、よくそんなことに気づきましたね。でも、おっしゃる通りかもしれません。しかも85年あたりにポイントがあったと言い切っている。すごい。そうだったのか。確かに最近70年代の映画を続けてたくさん見たんですが、ほんとうに前半は何も起こらない。これは結構作品によってはまいりましたね。でも、それは古い映画だからと思ってましたが、そんな最近に転機があったとはとっても驚きです。確かに「ダイハード」は当時やたらと面白かった。でも、なんか「コレ!」という目新しさがあるわけでもなかったのでエポック性に気づきませんでした。ストーリー展開だったのか。 ストーリー展開のパターン分類はとても興味深いですね。 でもどんな分け方があるのか。オープニングに「一山」もってきて、そこから改めて本筋に入る「007」パターンぐらいはわかりますが。「レイダース」とか。 「宇宙人」論。お待ちしております。わくわく。

noname#6085
noname#6085
回答No.8

No.3の者です。お礼を頂き有難うございます。 お礼に書かれていた補足と言う事で再登場させて頂きました。 >「古典てどんな映画ですか?」と質問してもよかったと思います。⇒古典の定義なんて大それた物は私にも分かりませんが、各人、それぞれお持ちの感性で、これはもう古典の名作だ!と思えば良いのではないかと思います。これが古典で、これが現代作と言う区分けは必要ないでしょうね。名作はいつまで経っても名作ですから…。 >「ヨーロッパの解放」すいません。全く知りません。24時 間ぐらいあるという事でしょうか? ⇒実はこの映画、私が中学時代に初めて自分のお金で観た映画でもあります。ソ連の強さを見せ付ける為に作られた映画と言えばそれまでですが、当時のソ連でしか作れない作品だと思います。TVで放送される事はまずないでしょうね。(過去に深夜映画で放送された事はありますが…。)セミドキュメント作品です。全3部作で、私が映画館で観たのは、その内の第一部だけですが、DVD化されていて、全作観ています。 トータルで468分と言う映画ですが、この後に、続編が作られており、これらを全て合計すると20時間位になります。 >監督的には誰あたりが火付け役だったんでしょうか。⇒火付け役と言うのは分かりません。確かに仰るようにロマンポルノ出身の監督が、一般映画を作ると、「ロマンポルノで活躍されていた監督で…」と言う風に書かれてしまいますね。こう言う書き方が日本の映画界をダメにしてしまっているんだと思いませんか? 映画には色んなジャンルがあって当然、一般映画だから、ポルノ映画だからとか色眼鏡で見るのは間違っているように思います。 >「アメリカン・ニュー・シネマ」ってのも画期的だったと思うのですが、「俺たちに明日はない」でしょうか「イージー・ライダー」でしょうか?。⇒映画の製作年度から言えば「俺たち」の方でしょうね。(1967年作品)イージーライダーは1969年作品です。まぁ、この時代、「アメリカン・ニュー・シネマ」といわれる作品は沢山出ていますね。(「卒業」もそうだと思います。←自信ありませんが…。) 今回はお礼の補足と言う事で失礼させて頂きました。それから、私の質問(「マイノリティ」の感想)にも回答して頂き、改めてお礼させて頂きます。有難うございました。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

有難うございます。 僕も古典の定義なんて大それたこと、、とは思うのですが、「古典」て「古い映画」かと思ってたらそうじゃなくなんというか「原型」というか「これしかない」って形をしている映画というか、そういうのを指すんじゃないかなあと思っています(と言葉にしてみてもわかったようなわからんようなですが)。「普遍的」ってのもキーワードかしら。うーん、やっぱりよくわからん。 「ヨーロッパの解放」は468分ですか。続編あわせると20時間て、うわ。密度はだいじょうぶなんでしょうか。「地獄の黙示録」だってそりゃ撮影したフィルムはかるーくそれぐらいあるでしょうが、そこから殺ぎ落としているわけですから。まーでも20時間といっても面白ければいいわけで、「フレンズ」なら結構見れたりしているわけですし。セミドキュメンタリーというのはとても惹かれます。「フレンチコネクション」がとても好きなので。ちょっと長さが尋常じゃないわけですが、見ごたえもそれだけ尋常じゃなくあると言う事でしょうか? ポルノを色眼鏡で見るのは間違っている。それはその通りですね。でもそう見る人はいるでしょうね。でも、そうすると日本映画が駄目になっちゃうんですか?うーんなんでだろう。駄目にならずに森田や相米がいたような。あ、なんか取り違えてますね、私、きっと。 アメリカン・ニューシネマは昔そんな本をもってましてたくさん作品が紹介されていて有名なのも全然知らないのもたくさんあったのでこのへんに知らない画期的な映画がたくさんありそうだなあと思いまして。その本でも先駆けは「俺たちに明日はない」だと書いてありました。両方ともかなり前に見たので記憶薄なんですが、「俺たち」の方がまだ正統派の映画の匂いがありました。「イージー」の方が型破り的な感じがしました。 あ、マイノリティの方でしたか。その節は...。

  • fuchikoma
  • ベストアンサー率17% (82/466)
回答No.7

#4です。また出てきました。  『ブレイン・デッド』はおっしゃるとおりピーター・ジャクソンのです。眉間でしたらぜひオススメします。画期的です。  「バラのつぼみ」ですが、『市民ケーン』は実在の新聞王ハーストをモデルにしています。ハーストにはマリオン・デイビスという愛人がいました。で、「ハーストは愛称マリオン・デイビスのオ××コを「バラのつぼみ」と愛称で呼んでいる」のを伝え聞いたオーソン・ウェルズが考えたと聞いています。オーソン・ウェルズちゃめっ気たっぷりと私は思ってしまうのですが、いかがでしょうか。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

有難うございます。 そうですか。おすすめですか。でも、怖いんですか?だいじょうぶかなあ。でも画期的と言われると触手が伸びてしまいます。 あ、バラのつぼみはそうそう、そう聞いた事あります。なるほどそういう茶目っ気なんですね。そういう小ばかにしたような所もハーストの家族から上映取りやめを迫られた要因でしょうか?やっぱり茶目っ気あった人なんでしょうね。ラジオで「火星人襲来」やって多くの人をほんまに火星人が責めてきたと思わせたりね。楽しいですよね。

  • CINEMA
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回答No.6

個人的に画期的なと思う映画をいくつか。 「イントレランス」 D・W・グリフィス監督のサイレント映画で,自主上映会で見たのですが,壮大な宮殿を下から上にカメラが上昇しながら1シーンで映し出すのですが,これ以降,この撮影方法を「イントレ」と言うようになったとか。撮影方法も画期的でしたが,それよりも,あの当時,宮殿セットによくもあんなに人を集めたなあというくらいの大群衆シーンも画期的でした。この映画のサイド・ストーリーとしては,「グット・モーニング・バビロン」というものがあり,宮殿セットの像の彫像を作った(と想像される)2人のイタリア人の大道具屋の映画も秀逸です。 「カイロの紫のバラ」 ウッディ・アレン監督の映画ですが,映画の主人公がスクリーンを抜け出てくるというメタ映画です。見ていて,個人的にやられたと思った作品です。また,スクリーンを見つめるミア・ファローの瞳が忘れられません。このネタは,バスター・キートンの作品らしいです(この作品は未見)。 もうひとつウッディ・アレンの映画から。 「カメレオン・マン」 今でこそ,CMでニュース映像にCG処理して現在の俳優などが登場してきますが,そのずっと以前にそのような試みをしている作品で,ウッディ・アレンが,どのような状況にも適合してしまうカメレオンのような主人公を演じています。この映画は,手法的にドキュメンタリータッチな感じも,画期的だったと思っています。 「テレーズ」 アラン・カヴァリエ監督の作品。聖女テレーズを描いた作品ですが,この映画は,余計な音,いわゆるバックグランド・ミュージックが全くなく,それに加えて,セットも写真撮影をする天井から伸びてくる幕の上に最小限の椅子やテーブルのみという,演劇の舞台ようになっています。しかし,普段,聴きもらしているような衣擦れの音やヒタヒタという裸足で歩く音など,物凄くインパクトがあり,画期的な映画だと思いました。 「友だちの恋人」 エリック・ロメール監督の作品。オープニングとエンディングの主人公の服の色が最大の伏線になっていて,それが画期的に思えた,いかにもフランス的な映画。 最後にもう一つ(?) やはり,ヌーヴェル・ヴァーグでしょうか。 特にJ・L・ゴダール作品のカメラを手持ちにした不安定な画面は,今までの固定されたカメラにはない新鮮さがあり,忘れられません。 最近,あまり映画を見に行っていないので,過去の記憶から・・・

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

有難うございます。 かの「イントレランス」。見てないです。余りにも壮大で二の足を踏んでしまう。というか、もしかしてビデオでは見れない??。 カメラワークは革命の歴史ですよね。ちょっと読解力がなくて申し訳ないのですが、カメラが下から上昇する時はカメラはどっちを向いているのでしょうか?。水平を向いているんでしょうね、きっと。エレベーターに乗って各階の人物を捕らえているような絵という事かしら?それともカメラが上向いてるとかじゃないですよね?どうなんだろ。又補足説明お願いします。イントレというのですね。知らなかった。群集もすごいそうですね。よく史上最高の製作費とかうたい文句がありますが、そりゃ物価が上がってるってもんで本当はこういう映画の方が金かかってる気がしますよね。「グッド・モーニング・バビロン」はどんな切り口なんだろう。創世記の映画作りの全てが見れるというかんじでしょうか? 「カイロの紫のバラ」はもうま・じ・で。なんというか、「映画の夢」を具現化するとこうなるというか。バスター・キートンがやってたんですか。「カイロ~」は完成度も高かったなあ。そもそもありえない事なので一つ間違えばぐだぐだになりそうなアイデアですが、せつなさ100%ファンタジーでうま~く仕上げた。スクリーンに入っちゃう(から出ちゃう)っていうネタを正面から堂々ととらえた決定版ですね。 「ラスト・アクション・ヒーロー」も同じネタでさらに複雑な話でこれも銀幕の夢系で私はなかなかよかったです。ちょっと「ニュー・シネマ・パラダイス」的においもして。「カメレオン・マン」 あーこれもほんとに凄いと思いました。ドキュメント映像にウッディ・アレンが紛れ込んでる。見てないんですが、「フォレスト・ガンプ」はこれと一緒の事やってるんですよね?。私もウッディ・アレンで「カイロ」とこれが一番好きですが、「カメレオン」の方は余りにも知られてないですよね。ゼリグの症状は虐待・いじめからの逃避として現れたという事で多重人格の肉体版なんですよね。なかなかお目にかかれない知的なギャグ映画。 「テレーズ」は全く知りませんでした。そんなセットで最後までいくんですか?どんな映画なんだ。シンプルなだけに多くの解釈が可能って感じでしょうか? 下の方でも書きましたが「家族ゲーム」に似てるなあ。何気ない受験生を抱える一家の話なのだが、豆をご飯に押し付ける音、目玉焼きの黄身や豆乳をちゅーちゅー吸う音、そしてBGMなし。BGMなし主義を強調する意味でわざと劇中でレコードを掛けて、、、るにも関わらず音はならさず。森田芳光は元々8mm青年だったわけですが、映画は全然見てなかったらしいですね。いわゆる「勉強」してない。そこがまた新鮮さの原因かも。 「友だちの恋人」 これも全然知りません。オープニングとエンディングの服が最大の複線なんて、なんてわくわくさせるんでしょう?ぜひ詳しく教えてください。それともいきなり見た方がいいですか?オープニングとエンディングというと「オズの魔法使い」「転校生」を連想します。あーなんか知らない画期的な映画がたくさんありそうだなあ。 ヌーベルバーグはほとんど手付かずなんですよね。「勝手にしやがれ」のみ。かっこよかったな。単にエスカレーターを上るシーンがバラバラに編集されていてとてもかっこよかったり。「どうだ!」って感じじゃなくさらりとやっててね。 アラン・レネってヌーベル・バーグなんですか?「去年マリエンバードで」ってのはかなり前で記憶定かではないのですが、静止してるシーンを役者が全員静止することによって表し、カメラがパンしていくシーンがとっても好きで、後に「バッファロー66」のラストで同じ試みを。ここでは吹き出た血まで静止させていた。マトリックスのブリットタイムもやろうとしている事は本質的に同じだ。どっちもすごいとおもう。 いやあ、かなり濃密でした。まんぷくです。さらに詳しく教えていただきたいです。

  • sarami_ta
  • ベストアンサー率23% (13/55)
回答No.5

ジョン・ウー監督 ニコラス・ケイジ、ジョン・トラボルタ主演の 「フェイス/オフ」です。顔を剥がすって・・・ 一人二役というのはありますが、二人一役というのは 画期的だとおもいました。しかも演技がうまい!! 顔は同じでも全然違う人になるのは 役者の演技力にかかってますよね。 ストーリーには無理がありますが ジョン・ウー独特の銃撃シーンや鳩のシーンは 良かったです。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

有難うございます。 その通り!私もあれは画期的だと思いました。 「同じ物を違うものに見せる」というのは実は映画のマジックの原点ですよね。「フェイスオフ」は「演じ分け」というマジックでそれを実現している。ある意味「現代版乞食王子」と言っていいでしょうか?でもあれと違って顔が入れ替わるとはアイデアですよね。

  • fuchikoma
  • ベストアンサー率17% (82/466)
回答No.4

既出以外でというと。 『AKIRA』セルアニメのひとつの頂点ですよね。驚異的なまでの書き込みの量。 『市民ケーン』ラスト近くの鏡のシーンとか、映像が画期的でしょう。バラのつぼみもちゃめっ気たっぷりで。 『シックス・センス』私は最後まで気づきませんでした。でも最近のシャマランはとんでも野郎。 『スティング』これもシナリオの勝ち。ゴールデンコンビも見応えなかなか。 『ブレイン・デッド』個人的にホラー・コメディを確立させた映画です。 『少林サッカー』ここまでやるのは画期的。思いっきりパロってますし。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

有難うございます。 アニメの製作についてはちょっと専門的な事がわからないのですが、「AKIRA」の書き込みはそんなに凄いのですか?私は漫画の方のAKIRAを初めて見た時は大変衝撃を受けました。1巻が私は飛びぬけて好きなのですが、ネオ東京のイメージはあれはやられました。東京湾が埋め立てられている!。あと、足を前に投げ出してのるバイクも驚きのデザインでした。「BANANA fish」というのを最近になって読んだのですが、あれって私にはまるっきり「AKIRA」のパクリだと思ったのですが、違うのでしょうか? 「市民ケーン」は先日改めて見てみたのですが、ストーリー的には全くどこが良いのかわからずしまいでした。で、映像的にも「当時としては」という注釈をどのようにつけて評価していいのかわかりませんでした。やはり凄いのでしょうか?大概オールタイムベストで1位になりますよね。ラストの鏡のシーンてどんなのでしたっけ?私が唯一印象に残ったのはカメラが天窓から入ってきてばあさんに近づくショットはどうやって撮ったんだろうと思いました。バラのつぼみは茶目っ気なんですか?どうしてでしょう、教えてください。なんか、女性器を意味してるとかいう噂を聞きましたが、よくわかりません。 「シックス・センス」私もやられましたよ~。「あんなの途中でわかったよ」という人もいましたが私は全くわからなかったです。ああいう「やられた!」ってのはそれ以前にもあったんでしょうかね。「ユージュアル・サスペクツ」もやられましたが、あれは複線が特にないですからね。「シックス・センス」は「あれ?おかしな」というところがたくさんあってのあれですから「やられた、なるほど!」となりました。 そういう流れで「スティング」があるわけですね。「シャレード」とコレわたし的に2大「だまし舟映画」と呼んでるんですが、レッドフォードと、J・スチュワートが共に観客にはええやつなのか悪いやつなのかどっちとも取れるようにこう妙に作られている。で、種明かしがあった後でもちゃあんとつじつま合うようになっている。すごい。これぞ映画!といいたくなります。正に古典かもしれません。 「ブレイン・デッド」は初めて知りました。二つあるようですが、P・ジャクソンの方でしょうか。映画紹介でもかなり画期的だと評されていますね。ラストのスプラッターは歴史に残るとも。気持ちいいくらい気持ち悪いと。 「少林サッカー」私はつい1週間前に見たのでとても新鮮です。もしかしたらCGを「CGですよ」と種明かしした上で効果的に使った映画として古典と呼べるかも。我々がCGにいらだちを覚えるのはなんとなくCGとわからんように作ってあるからかもしれません。「CGですよ」と種明かしを予めされてると腹たたないのかも。 「ドラゴンへの道」と続けて見たのですが、どちらの映画でも「中国拳法」はマイナーであると描かれていて驚きでした。「ドラゴンへの道」ではカラテの方がメジャーに扱われていた。へーそうなんだと思いました。

noname#6085
noname#6085
回答No.3

「風と共に去りぬ」→あの時代(1939年)にあれだけの作品を作り上げた技術力は賞賛に値するでしょう。(未だに色あせない壮大なストーリー、古典的名作になり得る1本だと思います。) 「2001年宇宙の旅」→それまでチープなまでのトリック撮影でしか作れなかったSF映画を、画期的手法で作り上げた作品。キューブリック作品の金字塔。これももう古典映画になっているのでしょうか? 「ゴジラ」→日本を代表する長寿映画。第1作目は昭和29年の製作。その後、東宝の看板作品になっています。(途中でだらけてしまいましたが)亜流作品(ガメラ、ガッパ等)はかなり作られましたが、未だにゴジラを越えたものはいないと思います。(平成ガメラはかなりの良作品でした。) 「ヨーロッパの解放」→旧ソ連映画の超大作。全作品観ると1日かかります。歴史上(戦史上)の人物と瓜二つの俳優を揃え、敵戦車(ドイツ軍のタイガー戦車)の実物をコピーしたものまで揃え、しかもソ連のT-34戦車を惜しげもなく使いまわし、破壊し、まさにソ連でしか作れない驚愕の作品。 「日活ロマンポルノ」→これは作品と言うより、それまでピンク映画とか言われていた映画を一気に文芸作品まで押し上げた功績は大だと思います。特に「四畳半襖の裏張り」では芸術作品かどうかの論争で裁判沙汰にまでなっています。 「世界残酷物語」→イタリアのヤコペッティ監督作品。ドキュメンタリー作品ですが、当時(1962年作品)タブー視されていた人間の残虐な部分を浮き彫りに描き出した作品。ドキュメンタリー作品としては珠玉の作品だと思います。主題曲の「モア」の綺麗なメロディーとのミスマッチ(?)も見事。 「燃えよドラゴン!」→カンフー映画の傑作です。この映画のお陰で香港映画が注目されるようになり、その後、ジャッキー・チェンなどが有名になります。また、世界の注目を集めるようになった為に、香港の映画の質向上に繋がったと思います。 と思いつくままに羅列しました。古い作品ばかりになってしまいましたが、別に最近の映画が嫌いと言う訳ではありません。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

有難うございます。 「古典」という言葉、それです!。正にそんな言葉をイメージしていました。「古典てどんな映画ですか?」と質問してもよかったと思います。「古典」の定義ってしっかりとはできないのですが(例えば「手本」というと乱暴すぎますか?)、「マッドマックス2」なんかも小さな意味では古典と呼べますか?「砂漠化した地球」というアイデアはその後多くの映画が真似したということで。 「風と共に去りぬ」これは異論はないでしょう!。僕は昔初めてこれをリバイバルで見た時サイズが「スタンダード」だと言う事に大変な驚きを覚えました。映画のサイズが昔はTVサイズだったと言う事を知らなかったのです。そもそもTVに対抗する手段として映画が横長化したというのをあとで知りました。 「2001年宇宙の旅」「宇宙に上下はないんだよ」という事を表現するのに偏執的にこだわった。僕は個人的にはそこが一番のポイントだったと思ってます。重力のある地球上でいかに無重力状態の絵を撮れるか?というのがあの映画の製作の最大の醍醐味。二十日ねずみの輪のようなセットなど涙物。 10年も経ってたので「スター・ウォーズ」が「2001年」と比べて画期的だったという評価が多くありましたが、確かにその一面はありますが、もともとSF映画は「スターウォーズ」的だったのを「2001年」がひっくり返し、それを「スターウォーズ」はもとにもどしたともいえます。 「ゴジラ」これ恥ずかしながら見てないんです。でも、古典であるということは見てなくてもわかる。ゴジラは何も語らず、ただ街を壊して行く。だからこそ見るものに考えさせ多くの解釈を可能にし、どの時代でも普遍性がある。水爆実験で生まれたゴジラは「神」であり、「警告」であり...。森田芳光は自らの「家族ゲーム」を「ゴジラ」だと語っておりました。あの映画での松田優作は「救世主」だったのか「災い」だったのか。正にゴジラでした。海からやってくるとうのも共通だとも言っておりました。 「ヨーロッパの解放」すいません。全く知りません。24時 間ぐらいあるという事でしょうか? 「日活ロマンポルノ」うーんなるほど!。ぼくはリアルタイムでは少し後の世代なんですが、僕は森田、相米、ら当時の新進気鋭がみな日活ロマンポルノ上がりというのは知ってました。僕は元々ポルノはああいう芸術路線なんだと思ってましたが、そうではなかったんですね。監督的には誰あたりが火付け役だったんでしょうか。若松孝二とかすごいと聞いた事あります。これは盲点でした。このあたりは普通の映画の歴史の本とかになかなか出てこない部分なので大変興味深いです。 「世界残酷物語」も見てないのですが、話題になったことは知ってます。映画とは何かと考える上で「ドキュメンタリー」というのは一つのチャレンジングな回答の一つですよね。そもそも興行とは「見世物」である。なんだかんだ奇麗事を言っておきながら、戦争映画で人は反省を覚えるのではなく、明らかにカタルシスを味わっている。 「燃えよドラゴン」僕は子供の頃長らく香港映画は敬遠してまして(ハリウッド、ヨーロッパへのあこがれの方が強くて)、「燃えよドラゴン」は大人になってから見ました。あれは半ハリウッド映画と言ってもいいのかもしれませんが、予想外に大変洗練されていた事に驚きました。あの映画が香港の扉を開いたんですね。先日初めて「ドラゴンへの道」を見たのですが、やはりあの本物の動きは驚きです。その後にジャッキー・チェンが出てきて、僕はジャッキー・チェンはリアルタイムで見たのですが、「蛇拳」とかのアクションはとてもたるかったのですがなんでなんでしょうか?ブルース・リーは「一撃必殺」ですが、ジャッキー・チェンはチャンバラだった。 古い映画が多いというのは質問の主旨からして当然そうなると思います。 あと、「アメリカン・ニュー・シネマ」ってのも画期的だったと思うのですが、「俺たちに明日はない」でしょうか「イージー・ライダー」でしょうか?。