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人間の心理に眠るもの
最近、ふと思うことがあります。 女の自分より綺麗な男に対して、嫉妬して、しゃくだから、認めたくないって女性がいたり。つまり、自分よりレベル(美貌や、その他)が上なのを好んだり、認めたりするのもいるし(ジャニーズのおっかけなど)、美少年は好きじゃなくて、自分よりレベルが下だと思った相手をわざわざ好んで、認めたりして自分が優位で天使でいたいタイプなどがいる。後者は、捻くれた人格の女だと思う。そして、相手が好きなのではなく、自分が好きなんだと思う。愛の天使になって、自分自身が好きで、そんな自分に酔ってるんだけだと思う。 人間の心理に眠るもの=だいたいは、自分自身がいちばんカワイイ。 恋愛も、カワイイ自分自身を満たすための道具と考えているんでは? 人が、どんなに綺麗事言ってても、所詮、他人の不幸は蜜の味だと思ってる気がする。 色々な意見聞かせてね。男女ともに。 顔が松田聖子のデビュー2年後位に そっくりと言われる者より。
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- ubatama76
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アメリカかどこかの実験で 美男-美女、美男-平均以下の女、平均以下の男-美女、 平均以下の男-平均以下の女 のカップルの内どのカップルが長持ちするかデータを取ったら 平均以下の男-美女のカップルが一番多く 上手くいってたって話を聞いたことがあります。 これを聞いて、女性は男性からもてはやされるのが好きで 男は美人を連れているのが好きなんだなと思いました。 結局は相手の容姿に理想を求めるか、自分の容姿に理想を 求めるかの違いだけでどっちも自分の欲求を満たしている だけだと思いますよ。
- ame830
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人間は、奇麗な心と汚い心、二つもっててその間でバランスをとってると思うのですが。 奇麗事を聞かされると、「いや、世の中そんな綺麗じゃないだろ…」って思う。 けれど「所詮みんな自分のことしか考えていない」って言い切られても、「いや、世の中そんな汚くもないだろ…」って思う。 どっちだと言い切れないのは、みんなどっちも持ってるからだと思うのですけれどね。 僕は謙遜じゃなく性格が悪いほうだと思ってます。 だから基本的には自分を優先するし人の不幸が楽しいですが、時々は純粋に他人のために自分を犠牲にしたり他人の不幸を悲しんだりしますよ。 程度の差はあれ、人間は綺麗な心と汚い心二つ持ってて、その時々でどっちが出るか変わるのだと思います。 そんで汚い心よりも綺麗な心の出番が多い人を「いい人」、綺麗な心より汚い心の出番が多い人を「悪い人」って呼んでるだけ。 だから人間は所詮「○○だ!」って言い切っちゃうのは極論ですよね。 余談だけど「自分は他人の不幸など喜ばない!」って言い切る人。 こういう奴はタチが悪い奴が多いですけどね。 それはただ、自分の汚い心に無自覚ってだけ。 こういう奴は、無自覚に人を傷つけるタイプですね。 質問文に出てくるような、自分が優位に立つために格下と付き合ってんだけど、でも自分ではそれに気づいていないっていうような人。 自覚なく人を傷つけるから、自分が悪いと思ってなかったりしてタチが悪い。
- usagiyasan
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不幸は蜜って思ってる人も中にはいると思います。 また、出し抜くことしか考えない人もいますね。 雑誌など、人の触れてほしくないことまで触れる。 芸能人は別だが、一般人までする。 結局、人を見下すことで、、、、とも思うようにもなりました。
- sakura-333
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異性の外見を嫉妬の対象にする? まぁ~世の中いろいろな人がいるので皆無ではないかもしれませんが、外見のみで相手を選ぶ人や外見も然る事ながら中身も、若しくは中身のみの人・・と人の好みは様々なのではないでしょうか。 外見至上主義の人が考えそうな事ですよね。 ちょっと考え方が偏っていると思います。 >人間の心理に眠るもの=だいたいは、自分自身がいちばんカワイイ。 #1さんの仰る通りで、自分を愛せない人は何をやってもおかしくありませんよね。 >恋愛も、カワイイ自分自身を満たすための道具と考えているんでは? 自分をかわいいと思っている女性ばかりが恋愛をしているわけでもないと思いますけどね・・ >人が、どんなに綺麗事言ってても、所詮、他人の不幸は蜜の味だと思ってる気がする。 そういう人もいる事は確かです。 ですが、悲しんでいる人をおかしな感情がない状態で見た時、質問者さんはよろこびを感じると思いますか? そのおかしな感情を持っているのであれば蜜の味に感じるでしょうけど・・
質問内容がよくわからないのですが・・・ 人間の本心は自己愛というのは、厳然たる事実で、むしろ自分が可愛くない、自分を愛せない人間が社会で問題を起こしたり、底辺でうずくまったりしているのではないでしょうか。 私は、人間は自分が好きで当たり前。自分よりも恋人が好きというのは、嘘。奇麗事にすぎないと思います。だって恋愛は下半身が引き起こす恥知らずな行為ですよ。 なぜ、愛だの恋だのいう気持ちをそこまで「崇高な」ものでなくてはいけないのでしょう。 人間は、もともと利己的で愚かで、自身の個性に目もくれず他人と自分の比較のなかでしか自分の価値を測れない愚かさを持っています。 でも、そういう未熟なところが人間の「可愛さ」であり、成長の余地でもあると考えがえられませんか? つまり、人は利己的で自分が可愛いからこそ、自分を美しくかっこよく心地よく豊かに作り上げたいと思うわけです。綺麗な服を着て、かっこいい車に乗る。高層マンションに憧れ、夜景を見ながらワインを飲む自分に酔う。 いいじゃないですか。 それが、人間の幸せだとしたら、自分のために金を稼ぎ自分のために美しい女を口説き、自分のために子を孕ませたって、誰がそれをとがめだてできましょう。 女だってそうです。化粧し着飾るのは自分が気持ちいいからです。世界平和や世の男性を喜ばすためにやっているわけではないと思います。 恋愛の心理なんてもともと歪んだものに決まってます。人はだれでも心に傷を持っていたりします。異性に愛されることでその傷を癒したいと願うことは、別に不思議でもなんでもないでしょう。 世の中、いろんな顔の人がいるように、いろんな心の傷を持った人がいろんな傷の癒し方を求めているのではないでしょうか。 ですから、これが心理の底にある本質だ・・・なんて言ってみてもそんなの人によって世代によってまちまちなんだと思います。 こと、恋愛の場合は人を動かす根本原因はセックスをしたいという欲望であるのは大方検討がつきます。それも、美人の相手としたい。 実際美人と恋愛してみてわかることは、こんなに美しい女が自分の目の前でこのような淫らな姿ですべてを許しているという感動ですね。男としての自尊心が満たされる感動ですね。 かつて多くの女性によって傷つけらたプライドが、この一人の美しい女性によって癒されているという感じに思えます。 でも、実際現実としておきているのは、美人が私に抱かれて喜んでいるというだけの話です。 人が生きているあいだにしでかすことは、実にくだらないことばかりです。 でも、そういう低レベルな自己満足を取り除いたら、ほとんど何も残らないというのが、人間の人生なのでしょうね。 でも、そういう低次元の欲望を満たし、自尊心を癒しながら初めて自分は、幸福感を感じるわけで、実際自分が満足できてはじめて他人の幸せを考える余裕がでてくるものではないでしょうか。 ビル・ゲイツも他人の財産を増やすために働いたのではなく、まず「自分の」夢を叶え、それから慈善事業をはじめた。 だいたいそういう順番なのだと思います。 最初から奇麗事なrべても仕方がないです。自分の心の傷を癒してから、はじめて人は本当に人を愛することが何かを学ぶ体勢に移っていけるのではないでしょうか。 >恋愛も、カワイイ自分自身を満たすための道具と考えているんでは? その通りだと思います。自己愛があるからお洒落もするし、女性は「自分を嫌いな男」つまりコンプレックスを持った男は嫌いですよ。男もそう。ナルシストと言えるほど自分の美しさ可愛さに誇りをもった女をいいなぁと思うにいきまってます。 自分がカワイイから、服を買いヘアスタイルを整え、ダイエットに励むのでしょう? >人が、どんなに綺麗事言ってても、所詮、他人の不幸は蜜の味だと思ってる気がする。 え?え?え? どこからそういう話になるわけ? 人が不幸になっても自分が幸福になるわけないじゃん。 だって、世界の幸せの数は人の数より多いんですよ。自分の価値観と他人の価値観は違うわけで それに気づくことが、自分を「可愛がる」ということなんじゃないですか? つまり、自分は他人と違うから価値がある。この個性をもっともっと伸ばしてやろう。そう思ったら バッカみたいな競争意識はどこかに消えてなくなるのではないでしょうか。 他人が、不幸になろうが優れていようが、私は私らしい自分が好き。 そう思えるようになることが、大人の恋の第一歩。 そして、いい女、いい男になる第一歩だという気がします。 同じものさしで自分と他人を測っているうちは、醜い足の引っ張り合いにしかならんでしょう。 まさか、質問者さまは、 それが人間の心理の奥底にあるものだ なんておっしゃりたいのではないですよね?