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うつの繰り返し。参考になるご意見下さい。
うつで5回目の休職。今回は程度はかなり軽いと思いますが、医師は休職に肯定的でした。 1)ゆっくり休めばよいのに、ダラダラしていると何かいけないような気がして落ち着かない。実際にはベッドで横になり本を読むか、PCに向い趣味になりつつあるネットをやっています。運動不足が気になり始めました。日中外へ出たいのに、近所の眼が気になりどうしても出られません。 2)年単位でうつがやってきます。医師は内因性タイプのうつで、そこに転勤などのきっかけが加わって発症していると言っていました。 うつで無いときは(躁状態はない)エネルギッシュに仕事に向かって一応評価されているようです。ただしこのような健康状態だけにこれで同僚をがっかりさせてしまっています。 薬物療法や認知療法など予防策に成功した経験をお教え頂ければ幸いです。認知療法はシートを作って何度かやってみました。その時は良いのですが長続きしません。 よろしくお願い致します。
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私は、知らない間にうつ病になって、自分がうつ病であることを 知らないまま、自分で考えた独自の方法でうつ病を克服しました。 うつ病の原因は、はっきりしないとされることが多いのですが、 うつ病の根本的な原因はマイナス思考です。 マイナス思考は、うつ病の症状ではなく、うつ病の原因そのものです。 マイナス思考の積み重ねが、うつ病につながっているのです。 うつ病は、「心のカゼ」ではなく、「思考習慣病」です。 「マイナス思考習慣病」です。 プラス思考ができるようになれば、うつ病は治ります。 うつ病が治りにくいとか、再発が多いというのは、根本的な原因である マイナス思考に対して、何も手が打たれていないからです。 だから、休養や薬で症状がおさまっても、なかなか完治しないし、 再発もしやすいのです。 私は、長い間、知らず知らずにマイナス思考をしていました。 しかし、ある経験をきっかけにして、自分で考えた独自のやり方で プラス思考に転じることができました。 それはシンプルな方法で、続ければ、必ずプラス思考になります。 私はマイナス思考とプラス思考の両方を体験して、その落差が 恐ろしいほど大きいことを実感しています。 人生の明暗を分けると言っても、決して過言ではありません。 マイナス思考ばかりしている人は、いつも重苦しい思いをするだけでなく 下手をすると、自分自身を破滅にまで追い込んでしまいます。 私は、自分がやってうまくいった方法を使えば、マイナス思考をしている 多くの人が、プラス思考をできるようになると思いました。 その時に、マイナス思考が心や体に及ぼす悪影響について、 詳しく知りたいと思い、いろいろと調べる中で、うつ病についても 調べたのです。 私は、うつ病については、ほとんど知らない状態でしたが、 詳しく調べれば調べるほど、自分がうつ病だったのは、間違いないと 思いました。マイナス思考ばかりしていた時の私の心や体の状態は、 まさにうつ病の症状そのものでした。 当時の私は、自分がうつ病だという自覚は全くありませんでした。 自分で考えた独自の方法で、ひどいマイナス思考を、プラス思考に 変えることができたんだという認識しかありませんでした。 しかし、このマイナス思考を克服することが、結果的には、うつ病を 克服することだったのです。 私が実行してうまくいった独自の方法というのは、 《 何かをする時に、「○○をやろう」「○○をやろう」と言いながら、 実行する 》 という、非常にシンプルなものです。 「手を洗おう」「手を洗おう」と何度も言いながら、手を洗うのです。 「歯を磨こう」「歯を磨こう」と何度も言って、歯を磨くのです。 「服を着替えよう」「服を着替えよう」と言いながら、 服を着替えるのです。 日常生活の中の些細なことを、片っ端から、「○○をやろう」と何度も 言いながら実行するのです。 そんなことで、本当にプラス思考ができるようになるのか、本当に うつ病が治るのかと、思われるかのかもしれません。 しかし、これが効くのです。 「○○をやろう」と言って実行したことが、その通りにうまくいく。 これは、小さなことですが、成功体験なのです。 この小さな成功体験を繰り返すことで、潜在意識の中にプラスの イメージや記憶を蓄積させていくのです。 ちりも積もれば山となる。 これがプラス思考につながっていくのです。 なぜなら、マイナス思考の根本的な原因は、潜在意識の中に蓄えられた マイナスのイメージや記憶なのです。 潜在意識の中のマイナスのイメージや記憶が原因で、マイナス思考を 繰り返してしまい、それがうつ病につながっているのです。 《 何かをする時に、「○○をやろう」「○○をやろう」と言いながら、 実行する 》ということは、 潜在意識の中にプラスのイメージや記憶を送り込むことになり、 潜在意識の中のマイナスのイメージや記憶に対して、ボディーブローの ように効いていくのです。 続けていれば、必ず、プラス思考ができるようになります。 プラス思考ができるようになれば、うつ病は治ります。 ぜひ、これを機会に、プラス思考をするようになって下さい。
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- tumaritou1
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私は素人ですが、約30年前に神経症を完治した者です。その経験から気がついた事を書いてみます。精神疾患と云うものは神経症にしても、うつというものにしても、その始まりは同じ事の様な気がします、それは、自我意識が訳のわからない者からの脅しに在っているような感じかと思います。 それは罪悪感とも云えますし、何かに脅えさせられている、或いは漠然とした不安というようなものかと思います。その事が何を意味しているかが分からない事でなおさら不安になってゆくという事かと思います。そうしてその「感じ」を違和感として追い出そうとする事から、各種の症状が現われるという事かと思います。 神経症の場合は「意識」したことが症状名になります。不安を意識すれば「不安障害」その不安をもっと強く意識した場合はその不安が恐怖にまでなってしまいます「パニック障害」書く事なら「書痙」話すことなら「吃音」と云う風になります。刃物を見て怖くなってしまう「先端恐怖」と云うものも在ります、ですからあらゆることが「症状名」になっています。 上がる事を意識した場合「上がり症」人と会う事を意識した場合「対人恐怖」という具合です。ですがこれらに共通している事が在ります。それは「人生に対する恐れや、自分が何者か分からない事による強い疑問や、また心に湧き上がる得体の知れない不安感」と云えます。 これ等が何か?分からない事による不安と云うものが「根底に在る」かと思います。その事で「何かに怯えてしまって」ドーパミンが出にくくなってしまっている。と云うのが「精神疾患」と云うものかと思います。ですから「薬で」不安を無くしたという事をやっていても、根本の不安を解消できていない事が、薬による「精神疾患」と云うものの根本解決になり難いのではないかと、想像できます。 その不安の解決と云う事を根本から根こそぎに解決するという方法を書いてみます。それは今は亡き恩師である鈴木知順先生の言葉です、「ノイローゼは悟りを開かないと治らない」というものです。 その方法としては不安の正体を自分で直に掴むという事です。自分を不安にしているのは誰でも無い自分自身と云う事です。自分で自分自身を不安にしています。ですから自分で自分自身を不安にしているものを掴む、と云う事です。自分自身を知るという事です。 仏教用語にすれば「見性」するという事です。或いは「悟りを開く」と云う言い方もあります。他力本願であれば「向こうからお助けが来た」とも云います。キリスト者ならば「神に会って神と和解する」と云う事になります。これらの言葉は「精神疾患の完治」と云う事を意味しています。 お釈迦様の云った「一切皆苦」と云う言葉は「精神疾患」を意味しています。絶えず心が苦しい事です。是は自分自身の何かが「自我意識」を圧迫している事です。この事の解消方法がお経の内容です。ですが他国の時代の違う言葉を、また翻訳して伝えています。こんな言葉は分かるはずがないとも云えます。 それでお釈迦様の「悟り」そのものを直に手渡しで直接師匠から弟子に伝えてきたものが在ります。それが「禅」というものです。「禅匠」と云う人達の若い頃は不安になり易い性格でした、或いは「精神疾患」そのものといった人達も居ます。それらの不安になり易い人達の修行の仕方が「禅」の中に在ります。ですが在家の私たちにはとても出家する事は出来ません。 鈴木知順先生は「ノイローゼの一年は坐禅を十年した事と同じ」と常ずねい言っていました。貴方に学んでいただきたい事が二つほど有ります。一つ目は「森田療法」というものです。この中から不安に対する心構えと云う事を学んでいただきたいと思います。 二つ目は禅を学ぶという事です。その参考になるものは鈴木大拙博士の書いたものが良いと思います。博士は見性体験をしているからです。見性するためには「辛かった」期間が在ったはずです。その事が良く良く分かって書いてくれています。その中でも「宗教とは何か」という項目が時々出てきます、そこからでも読んでみて下さい。 そうして人間はどうして苦しまなければいけないのか、と云う事を学んでみて下さい、それが分かる時に貴方は自分がどうして苦しんでいるのかが分かるはずです。その途中で禅問答と云うものに出くわすかと思います。貴方が苦しんでいる事と禅問答が解けない事は「同じ理由からです」禅問答が解けたかどうか?と云う時の決まり文句が在ります。それは「生死の問題を解決したかどうか?」と云う言葉です。 禅問答が解けた時の答えは「生死の問題が解決した」と云います。是はなにものにも「捉われない事」を意味します。自分の感情の虜にならない、と云う事です。自分の「精神疾患」の症状には振り回されないという事です。是は心の中で自分と自分が争わないという事を意味しています。心に平和が戻って来た事を意味しています。「精神疾患」と云うものの正体は「心の矛盾と対立」と云えます。ストレスや環境が症状を起こしている訳では有りません。自分で自分を苦しめているのが「精神疾患」と云えます。
- tankuio
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認知療法はシートを作って何度かやってみました。その時は良いのですが長続きしません>私もそうでした。結局書いていることがワンパターンになってしまって、もういいやって(笑)。 1)のところがやはり気になります。うつ病を何度も経験されているので、私なんかよりもずっと知識豊富とは存じますが、うつ病の典型的な症状の一つではないでしょうか? 少し回復すると、何かしなければならない、このままではいけないなどなど。まだ、うつ病がいいところまで回復なさっていないような気がします。 近所の目が気になるのは、それはしょうがないことです。私も割り切れるようになるまで苦労しました。朝誰も出ていないときに散歩。夜誰も見ていない時に散歩。日中、だらだらと寝て過ごす。そんな感じでした。でも寝ていないときは、鬱になる前の自分と比較してしまって、これではいけない、何かやらなきゃ、どうにかしなきゃ、と考えるだけ考えて、体が動かない。そんなもどかしい時を過ごしていました。 貴方様も、あまり無理せず、「しなければならない」ことはないのですから、できることから、ゆっくりと。まずは「休養」ではないでしょうか?
お礼
回答ありがとうございました。 焦らないことですね。
まったくの素人ですが、ゆっくり休めばよいのに、ダラダラしていると何かいけないような気がして落ち着かないというのは心からやってみたいことがないからだと思います。調子の良い時にでも自分が本当にやってみたいことを少しでも探してみたらどうでしょう。本当にやりたいことをやることによって前頭葉の血流を増やしておけば調子が悪くなりにくくはならないでしょうか。大切なのは自分の自発性でやれるということだと思います。エネルギッシュに仕事をして一応評価されているようだというのも、あまり自主性が感じられることではないように思います。また評価を自分でしていないことも気になりました。日中人の目が気になるというのもほかの人の評価に頼っているということだろうと思います。大切なのは調子の悪い時の休養より調子の良い時の一日に30分くらいは本当に好きなことをやるというような習慣ではないかと思いました。
お礼
ありがとうございました。とてもよくわかりました。