- 締切済み
自分がどんどん醜い女になっていく気がします
ここ最近連続のように相談してしまい申し訳ありません。過去の質問を見て頂いても分かるように、ホントに色んな事が気になります。特に人の嫌なとこばかりが目に付いてしまうのです。 今友人と一緒にダイエットを頑張っているのですが、友人と私ではやり方が違います。(私は運動も+α程度、食事制限は無し、とりあえず我慢はしない、一方友人は夜中でも自転車こぎ、間食無し、1日2食というハードなダイエット)私は私のやり方、彼女は彼女のやり方があるのは分かってますが、ここ最近彼女に負け気味です。そこで「すごい!がんばってるじゃん!」って誉められればいいのですが「だってそう言う厳しいダイエットしてるから当然。でも絶対に後で身体を壊すかリバウンドする」って思ってしまう私がいます。 他の友人でも、遊びに誘わなかったら「誘ってくれればよかったのに」というので今週末誘ったら断られました(仕事とか他に用事があるとかではなく)。彼女はいつも「誘って」というのにいざ誘うと来たためしがありません。その事を他の人につい「彼女はいつもこうなんだよ」って愚痴ってしまいます。もしかしたら彼女なりの都合があるかもしれないのに・・・。 年を重ねるごとにいい女でありたいと思いながら、実際どんどん心が醜い女になっていく気がします。他人を認めることが出来ない部分がどこかにあるようです。しかし反面とても尊敬できる友人もいます。 人の悪いとこを見つけるのは簡単なので、常に人のいいとこを見つける努力をしてきました。でも上記2人の友人に関してはどうしてもそれが出来ない状況になってしまいました(いいとこもたくさん挙げられるのですが悪いとこの方がたくさん挙がります・・・) こんな風に人の悪いとこばかり見てしまう自分がイヤです。すごく醜い気がして。どうしたらそういうことが気にならなくなるのでしょうか。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
みんなの回答
- tomoken2001
- ベストアンサー率9% (1/11)
「とっさに他人の悪いところが気になってしまって後で後悔する。そういう自分は醜い人間だ。そういう自分の悪い癖を直したい」ということですね。 m2_mさんは、自分というものをよく観察できる人なんですね。「人のふり見て我がふり直せ」なんて言葉がありますが、それができる人ではないでしょうか? 「自分の癖や特徴を直す」より、それを「活かす」ということは考えられませんか? そもそも「他人の悪いところが目に付かないし気にならない。愚痴や不満は何もない」なんて、そんな聖人のような人間がいるわけありません(笑)。 ですから僕は、m2_mさんを「醜い」だなんて思いません。むしろ「人間らしい人間」だと思います。 完璧でもなく、欠点もあり、愚痴や不満がたくさんある人ほど、人間らしい人間ではないでしょうか? そういうところに機械やコンピューターにはない、人間の価値と意味があるのではないでしょうか? 他人に対して許容的になりたいのなら、まず、自分に対して許容的になることです。つまり、自分の「欠点を直す」のではなく、「良いところを伸ばす」という発想になることです。そうすれば自然に「他人に対しても」許容的になれます。
- hisho-san4u
- ベストアンサー率27% (55/198)
こんにちは。hisho-sanです。 心が疲れているのではないでしょうか? イライラをお友達にぶつけているだけな気がします。 >年を重ねるごとにいい女でありたいと思いながら、 >実際どんどん心が醜い女になっていく気がします この気持ち解りますよ。 でも、あなたはいい女はこうでないとダメ!って決め付けすぎていませんか >人の悪いとこを見つけるのは簡単なので、常に人のいいとこを見つける努力>をしてきました 立派な心がけです。 人の悪い部分が目に付いたからっていいじゃないですか。 そんなきれいな部分ばかり見ていたら、人として成長できませんよ。 ストレスを発散させたら、今よりもう少し謙虚な気持ちでお友達と 接してみてはいかがでしょう。 ほんとうに「醜い」人は自分の事「醜い」だなんて思っていませんよ。 (気が付いていない・・) と偉そうに書いてきましたが、自分もm2mさんと同じように感じる時が あります。そういう自分への励ましもかねて書いてみました。
お礼
ありがとうございます。 心は・・・心も身体も思いっきり疲れていると思います(現在通院して服薬中ですので)。さらに仕事の疲れ、育児・家事の疲れ、家庭内での人間関係、疲れるとこばかりです。そんな時に本当は人の愚痴などを聞いてる余裕は無いんですが、上記友人達は「疲れて疲れてしかたない」と言ってきてさらに疲れ倍・・・かもしれません。(ちなみに私の愚痴は友人に言っても「ふ~ん。そんなに疲れるの?」で流されてしまいます・・・) 人のいいとこを見つけるのは恐らく職業病なのでしょう。接客業だったためいまだにその癖が抜けません。私は友人を接客してるわけではないのに(苦笑)。 >ほんとうに「醜い」人は自分の事「醜い」だなんて思っていませんよ。(気が付いていない・・) このお言葉に救われたような気もします。自分の悪い部分にも気づけるような人間でありたいと思います。
- gougou-may
- ベストアンサー率11% (12/106)
逆にいえば、悪いところが目に付くほど、その友人達はあなたに気を許しているってことなんじゃないでしょうか? 本当にその子たちと今後も一生涯の良き友人としてやっていくには、あなたも、その友人に少し思っている事をそれとなく言ってみてはどうでしょうか? そして、文章の感じから受けた印象なので、かなりの憶測になってしまい申し訳ありませんが、あなたは人の土俵で勝負にでているような人かな?っていうとオーバーですが・・・仕事がらみの人なら、深いつきあいもないでしょうから、やだな=って思っても、「ま、そんなやり口、そんな接し方もあるのね~(私はむかつくが^^)」くらいにして、友人なら、やはり何らかの形でお互いの不満を言う機会をもうけ、お互い謙虚に受け止め、またよりいっその深い友情を育めると思いますが、自分が嫌な部分と感じる友人の一側面を見なかったことにしたり、いいとこばかりを無理して見つけていこうと思っても、結局根底では人に振り回されている状態なんだと思います。 あなたがいやだと思う部分は、そんなにひどく悪い部分ですか? 悪いところも、規制を緩めて考えてあげれば、お友達はあなたに甘えているとは考えられませんか? 悪いところばかりに目がいってグチになるのは、あなたの思い通りにならないから腹が立ったりする事も含まれてはいませんか? いいところばかり、それも自分が憧れるような部分ばかりをあなたに見せてくれる人が、突然あなたがいやだと感じる悪い部分を見せたら、裏切りと感じますか? 悪いところも知って、よい部分をより尊敬しあって、よいお友達関係を築いてください。もっと自分に自信を持って欲しいです。 かなり勝手なことをかいてしまいました^^ お気を悪くされたらごめんなさい。
お礼
ありがとうございます。 2人とも長い付き合いなので、気を許してる部分は多々あると思います。下手すると家族のように付き合ってましたし(一人とは一緒に住んでた事も・・・)。 ただ実はこの友人達とはなかなか本音を言い合う機会がありませんでした。相手の悪いとこを指摘しても、逆切れするか、落ち込んで立ち直れないほどになるかで、建設的に前向きに捉える事がなく、私も徐々に指摘しなくなってきました。特にここ数年、私が出産して疎遠になったせいもあり一緒に行動することも少なくなったからかもしれません。でもやはり「顔色をみて、悪いとこも指摘しない」のは人に振り回されている状態ですよね。 ちなみに一番いやだと思う部分は、上記に記載したような具体的なことではなく、人を傷つけたりするような事を言っても何も感じてない、と言う部分なのです。「ゴメンネ」「ありがとう」の一言があれば多分ここまで気になる事はないと思います。 気にしないでいれば通り過ぎてしまうのでしょうが、今子供を、「ありがとう」「ごめんなさい」が言える子に、と思いながら育てているので特に言えない人に対して敏感に感じるだけなのかも知れません。 きっと今まで気にならなかったことを私が気にするようになっただけなのだと思います。 本当は悪いとこも指摘しあえるそんな仲になるのが一番なのでしょうね・・・。
- nazca
- ベストアンサー率39% (167/419)
こんにちは。 他人を認める前に自分を認める。これが大事ですよ。 あなたが「嫌だ」と思う他人の性格や言動は、あなた自身の心の中にある押さえ込んでいる自分の姿の反映なんですよ。 押さえ込んでる自分=ガマンしている自分。 他人を見て「ああいうのは良くない。嫌いだ。」と思う部分は、反対にあなたが「本当はそうしてみたい」という心の表れなんです。 だから、あなたの潜在意識の中で「○○したい」「××できたら楽なのに」・・・こんな風に思う自分に対して、無意識に「そんなのいけない!」って拒否反応を示しているんです。 だから、そんな「いけないこと」をしたいと思ってる本当の自分がいることを認める事が大事だということなんですよ。 すべての人のいいところを見つけるなんてことは、しなくていいと思いますよ。 いいんですよ、別に。いいところよりより悪いところのほうが多く見つかる人がいても。 ぼくもそうですもん。 以前は、知ってる人全員を「いい人」だと思おうとしていましたよ。 人の悪いところを見つけては、「いい部分を見られない。悪いとこばかりに目が行ってるぼくは嫌なやつだなぁ。」って自己嫌悪にもなりましたしね。 でも今は、無理に認めようなんて思っていませんよ。 波長が、価値観が、感性が、育った環境が、考え方が・・・違うんですから。 他人の嫌いな部分、否定したい部分を見つけて、それが「本当は自分がしたいと思ってることなんだ。」って認められると、あなたの心も変わってきますよ。 相手はそれを教えてくれる、自分の“合わせ鏡”なんですよ。 その友人お二人は、あなたの心を磨くためのトレーニング相手なんです。 そう思いながらその人たちと接することはできそうもありませんか? いきなりは無理かもしれませんが、そう思う努力を始めてみませんか? ぼくもそう思うようになってから、大大大ッ嫌いだった学生時代の同級生のことが受け入れられるようになりました。 まずは、自分を醜いなんて思わないこと! そこからが始まりですよ。
お礼
ありがとうございます。 確かに、彼女達のように生きられたら楽だろうなぁ~と思うことが多々あります。彼女達は彼女達なりに苦労はしてるようですが。ってもしかしたらこの考え方がまずいのかな・・・。 ただ私の場合、2人ともずっと波長が合うと感じていて(一人は20年来の友人ですし、兄弟みたいなもんでした)、でも私一人正社員としてバリバリに仕事を始めたあたりからずれを感じ、子供を産んでからさらにずれを感じるようになりました。やはり今の環境が全く違うので、分かり合えるほうが無理な話なんでしょうか。 確かに彼女達を見て自分の行動を反省し、自分を磨くきっかけにはなってる気がします。でも大事な友人なので、彼女達も自分を磨いて欲しいと思ってしまいます。嫌いだった人を受け入れるのは容易なんですが、好きだった人をどんどん嫌いになりそうで怖いんです・・・。
あなたにとってそれだけ気を許せる近い存在だからですよ。 つまりあなたもその二人に対してほかの人にみせるより、わがままになれる間柄だからだと思うんです。 そういう間柄でいろいろマイナスなことも思うのは普通だと思いますよ。 ただね、もう少し自分に自信をもって考えましょうよ。 友達もね「誘いたかったら誘う」でいいんです。「誘って」っていう子がいて「誘ってもいいな」と思えたら誘う。その結果その子が来てもこなくてもいいんです。だってあなたは自分がそうしたいからそうしたっていうだけでしょ?「誘ってきてもらう」ために誘うんじゃなくて、自分がやりたいと思うことに素直になればよいのです。 人の動き方は気にしなくて、自分が思うように過ごせばよいのですよ。 これは自分勝手とは違うんです。自分のペースと他人のペースの違いを認めることなんです。 それが自分に自信を持つということです。
お礼
ありがとうございます。 確かに一人は20年来、もう一人も10年来の友人なので、気を許せる間柄ではあるとおもいます。 自分に自信はあるつもりなのですが、こと人間関係となるとどうもしり込みしてしまう部分はあります。人見知りではないですが、人のことばかり気にしてしまい、自分の感情などは後回しにしてしまうような・・・。 それをずっと「自分勝手な行動だから」と思っていましたが、そうではないと言う事でしょうか。 小さな頃から「自分勝手」「わがまま」「気分屋」と言われていただけに、そこを克服したく頑張っていた事が実は裏目に出ていたのかもしれませんね。もしかしたら治さなくても良かった部分なのかも・・・。
お礼
ありがとうございます。御礼が遅くなって申し訳ありません。 そうなんですよね、確かに人の悪いとこなど目に付かないような人がいたら私も是非お目にかかりたいのですが、いるはずないですもんね。(神様くらいでしょうか) 完璧な人間である必要はないですもんね。 どうも自分にも厳しいけど他人にも厳しくしてしまうところがあります。もう少し私は自分を甘やかしてもいいくらいなのでしょうか。長所を伸ばす・・・確かに自分に対しても悪い点しか最近見えてこないので、まずは自分のいいとこを見つけたいですね。