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ずっと連絡の無かった肉親が孤独死直前
今し方、父親より、長年音信不通だった叔父(父の2番目の弟)の知らせがありました。 孤独死しかけて、一命取り留めたが、脳死状態で、発見されたと、地元の役所に照会があり、行方が解りました。 祖父との折り合いが良くなく、いつの間にか、連絡先が不明になり、祖父母の危篤の時も、必死に探しましたが、居所がつかめませんでした。 連絡が来るのは、きっとこんな場合なのかも知れませんが、子供の頃から、いつも「自分に一番良く似ている」と言われ、幼少の頃は、とてもかわいがってもらいました。 現在、危篤で、医療措置をしても回復の見込みがなく、肉親が会いたいというなら、延命処置をしてくれるとのことで、父親と一緒に2人でその地まで出向き、もう一人いる叔父夫婦と落ち合い、最後の面会に行く事となりました。幼少時、諸事情があり、普通の人より貧乏だったのは、間違いなく、もう一人の叔父も、危篤の叔父も中卒で、進学出来るの能力は充分あったらしいのですが、金の卵として、遠いところに生きました。 落ち合う叔父も、定年後、早期アルツハイマーで、あさっては、自分がかなりしっかりする必要があるのですが、突然の事で、かなり辛い最後の面会となることは、間違いの無いことです。 自分の将来もこうなるのかなと、ふと考えたりしています。いわゆる中年に差し掛かり、独身のままです。 必死に生きてきたつもりですが、自分と近い存在の、死の宣告は、きついものがあります。 この様な、肉親の悲しい最後を、ご経験された方がいらっしゃいましたら、心構えなど、ご教授頂けましたら、幸いです。 重い内容なのですが、ここまで、読んでいただいた皆様に、感謝いたします。
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自分の父親は、餓死しました。 数年前です。 今の日本で餓死? 兄からの連絡で頭が真っ白になりました。 事情は「ガンではないか?」と病院で言われ、実は次の病院で違うと判断が出たらしいのですが、父は信じなかったようです。 何しろ母のガン宣告を騙し通したんですから、自分も騙されていると思ったのでしょうね。 「誰の世話にもならない」 そう言って、全ての飲食を絶って死んだそうです。 人の死はすべからく、天から召されたものだと思います。 ただひとつ違うのは、自殺(父の場合もこれに近い)。 これはダメですが、人はいずれ必ず死ぬものです。 それは予定に沿っているのだと、そう思います。
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- tomban
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人は「生れ落ちたとき」から、ただ一人なんですよ?。 死んでいくときだって、みんなに見守られながら迎える死もありますが、それでも誰も「一緒に死んで」はくれませんし、当人もそれを望むこともありません。 「死」とは人間の「最後の後始末」です。 恐れることも、不安になることも不要です。 いざ「死の間際」になって、人は「無力」だということ、心に刻むべきです。 人は他人の「死」を引き止めることも出来ず、自らの「死」を回避する術もありません。 どうしたらいいのでしょうか?。 何も出来ないこと、無力であることを恐れたり、悔やんだり、怒ってみても仕方ありません。 人は「生きているうちでないと」何も出来ない!!のです!。 中年だ、独身だ、と何を言っているのですか!!。 私も44才、独身ですが、死を恐れていたら何も進んでいけないことくらい、肝に据えて生きていますよ。 死など「来たら迎えればいいお客様」です。 「まだ早い」と思うなら、追っ払うくらいの覚悟が無くてどうするのですか!?。 中年になったからこそ、死を「飲み込んで」生きるのです。 がむしゃらに、悠然と、生きるのです。 「死」の一端が見えたんだから、それを自分なりに「見据えて」生きなきゃ、自然と死期が早くなるってもんです。 若いときは、絶対にたどり着けなかった「境地」を、年を経たからこそ得られたのです。 「中年」を生きるべきです!!。
お礼
中年独身は、充分自分の中で昇華しているのですが、ご指摘ありがとうございます。日々チャレンジ、ベストを尽くし結果を出す事に、まい進しております。 先ほど、大変な思いをして、対応してくれた叔父の奥様と、やはり近くに住んでいる叔母と連絡が取れて、近況が解って来ました。 いろいろ大変だったみたいですが、明日、生きて会えないと思っていた、叔父と、脳死状態とはいえ、会える。 公園の中で、倒れた姿を発見して、消防に通報してくれた、奇特な方に今は感謝の念で一杯です。もう心停止状態だったらしいですが、その見ず知らずの機転のお陰で、明日会うことが出来る事になったという事のようでした。 民生局経由で、連絡が来て、解ったのは、ある意味、幸いな事でした。 幸が薄い人生だったのかどうか、倒れた当人とは永遠に話すことは無いので、解りませんが。 最後の別れに、感謝の気持ちを持って行ってまいります。 自分より、弟が先に先立つ事実を、父と、叔父が受け入れることが、一番大変そうだからです。
お礼
虫の知らせというか、昨日は、いやな予感がして、物凄く、具合が悪く、「何か悪い事が身の上に起こる事」を危惧して過ごしてました。 昔から、勘が物凄く利いたので。 まさか、生きて会えるとは思っていなかった肉親です。 もう脳死状態で、話すことも出来ませんが、祖父母らが、お迎えに来たのかもしれませんね。 父親の兄弟で、一番出来が良かったといつも近くの親戚に聞かされて育ったのに、口を利く事も不可能、手足が暴れてベッドに縛ってある状態で、生命維持装置につながれている状態のようです。 家族の縁の非常に薄い生涯だったと思いますが、叔父なりの生き方を全うし、誰にも看取られずという状態でなく、親族が、例え、言葉一つ交わせなくとも、生きている姿で、この世で再会出来るのも、奇特な他人様のお陰と、親族一同、明日会えることに、感謝したいと思います。 ご回答頂き、ありがとうございます。 さよならだけが、人生だ。 ふとその様な言葉が浮かんできました。さよならする機会が、これから増えるので、ちょっと覚悟しないといけないのだなと、言い聞かせています。