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「速読法」をどう思いますか。

ひと昔前、韓国からきた「速読」というものが流行りました。 しかし、いつの間にか姿を消してしまいましたね。 そして今、「フォトリーディング」という速読法を耳にします。 極めて短時間で本が読めるといいますが、いかが思いますか?

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回答No.2

 一応速読ができる身として、  「フォトリーディング」や「イメージ変換」などの本来の意味での「速読」は、一つの悟りみたいなものであり、習得自体が困難な上に説明し辛いので、それを何とか習得し易くし説明し易くしたものが普通に言われる速読法かなと。  ただそれでも習得は簡単ではないし、結局無理して速度を上げようとしているので、2.3倍位では、読み飛ばしとの差異があまりないので、多くの人が「速読」を文章読解のためにテクニックという認識しかもてないのが現状かと。  これの説明に関しては、喩えが難しいのですが、普通の速読を「歩く」(とりあえず、これを1倍速としておく)とすると、より早く進むために「ダッシュをする」のがテクニックの速読であり、「自転車に乗って進む」のが本来の「速読」かと。  テクニックの速読は、普通の速度が1倍速のところを頑張って速度を上げているので、その無理をしている分、疲れるし余計な事に気を配ってられなくなりますが、  本来の「速読」の方は普通の速度が元から数倍になっていてるので、必要なら速度は下げるものの、意味無く速度を下げるとかえって効率が悪いので速度を下げないだけで、別に何も無理はしていませんから、よく「速読では、精読程に理解できない」の様な事が言われますが、理解力が下がる様な事はなく、好きな物に関しては劇的に本の内容に浸りこむ事ができる様になりました。  ただ、苦手なものに関しては今も昔もさっぱりです。 >>速読法のセミナー  私の場合は、途中嫌になって練習しなくなる事もありながら、習得までに10年ほど掛かりました。

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回答No.3

 訂正 >>速読法のセミナー  私の場合は、途中嫌になって練習しなくなる事もありながら、習得までに10年ほど掛かりました。 を >>速読法のセミナー  私の場合は、「本を元に我流で」、途中嫌になって練習しなくなる事もありながら、習得までに10年ほど掛かりました。 という事で。

回答No.1

ほとんどの場合、無意味です。 速読法を身につけようと思う気持ちが普通の状態よりも緊張を高めて本に集中するようになる程度だと思います。 もし、本当にその方法が劇的に効果があるとすれば、もっと普及するはずです。速読法という分野でのみ40年くらい行われているだけということは、特殊な技能のひとつという扱いで、その技能が一般社会ではそれほど有効ではないことの証拠です。 と、いいながら、実は私も若いころ、その手の本をたくさん買ってきてずいぶん練習しました。  つまるところ、多少本が早く読めても、理解力や自分の能力が向上するわけではないので、結局意味がないということを痛感しました。

hiro109z
質問者

お礼

ありがとうございました。 実は、私もshidashidaさんとまったく同じ思いを持っています。 ずいぶん前(もう20年くらい前かな…)、速読法のセミナー、それも泊まりがけで2日間を費やし受講しました。教材を使って自分でも練習しました。かなり時間を使って試みましたが、期待する効果は得られませんでした。 >もし、本当にその方法が劇的に効果があるとすれば、もっと普及するはずです。 >つまるところ、多少本が早く読めても、理解力や自分の能力が向上するわけではないので、結局意味がないということを痛感しました。 このあたりもまったく同感です。 画期的に早く読めるようになる、ということは、人間の「夢」なのだと思います。 だから、いつの時代でもその夢に期待する人が現れるのでしょうね。 ご回答、どうもありがとうございました。

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