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秋葉原無差別殺人事件・・・一つ間違えば自分もやっていたかも、と思いますか?

近頃頻発している無差別殺傷事件ですが、犯人は判で押したように、「むしゃくしゃして人を殺したかった。」とか「誰でもよかった。」などとほざいています。殺された方はたまったものではありませんし、このような犯人を鬼畜扱いして非難することは簡単ですが、果たして我々の心の中に、もし仮に人生何もかもうまく行かず、周囲からも孤立してしまった場合、世の中全体を敵に回してでも報復を図るために、反社会的な行動も敢えてしてしまいたい、といった心がこれまでなかったでしょうか? 勿論そんなことは絶対にないと言い切れる人はいくらでもおられるでしょうし、例え人生不運でも、いかなる理由があっても、社会を的に回し、人に危害を加えるような行動は、絶対に許されるはずがないことは当然ですが、殺人までには至らなくても、周囲に対する暴力レベルなら、自分の不運の憂さ晴らしに反社会的行動を起こしてしまった方もおられるのではないかと思います。 そこで、冒頭の質問ですが、これらの事件を見て、自分もひとつ間違えていれば・・・とお考えかどうか、そしてそのような最悪の事態を避けることができたのはどうしてか、お答え頂ければ、幸いです。

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noname#29999
noname#29999
回答No.11

こういう事件が起るたびに、何が彼をあるいは彼女をそこまで追い詰めたのかと考えます。 今の日本では加害者や犯罪者に同情を寄せる事は非人道的、変わり者、の烙印を押される事でもあり、このサイトでもご質問のような趣旨のものはごく少ないないと感じています。 しかし、私自身に限って言えば、自分の置かれた環境によっては絶対にあり得無いとは確信出来ません。 また、自分とは別人格である息子、娘がいたら彼らだって分かりません。 育て方や環境に問題が無いだろうと信じているのは親だけであって、当の本人にしてみれば、不満と抑圧だらけの中で生きていると感じているかもしれません。 犯罪を世の中のせいにしようとは思いませんが、母親の胎内から生まれ出た時は皆、無垢で犯罪者の要素の欠片も無く生まれて来るわけですから、どうして?何が?という疑問は湧いて当然です。 そしてだからこそ、犯罪を犯してしまった者にも更生と魂の救済の余地は残されるべきなのです。 最後に少し質問の趣旨からズレました事をお詫びいたします。

oozora2000
質問者

お礼

>今の日本では加害者や犯罪者に同情を寄せる事は非人道的、変わり者、の烙印を押される事でもあり・・・ もうほんとにそう思います。皆、犯人と似たような病理性をもっていても、自分はこんなにひどくはない、こんな奴は人でなしで、自分とは関係ない、と差別化し、自分に免罪符を与えてしまうのだともいます。 程度の差はあれ、このような犯人の持つ病理性が自分にもあるのではないか、自分に引きつけて考えてはじめて、危機意識を持つことができ、犯人を反面教師として、自分への教訓にすることができるのに、その機会を失っていると感じられてなりません。 又、「うちの子に限って・・・」と身内を見たところで、やはり、子供も別人格であり、いくら親が期待しても、どんな悪魔が彼らの心に潜んでいるか、誰も保証はできないと思います。 一番悪いのは犯人であることは疑うべくもありませんが、社会がこのような犯人を単に極悪視し、差別化するだけではなく、社会全体の病理性と認識し、このような犯人を輩出させない、社会的インフラ(相談組織や警護体制の強化)を図るべきと考えます。

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  • t78abyrf9c
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回答No.1

>自分もひとつ間違えていれば・・・とお考えかどうか 考えた事あります。 特に、オウムのサリン事件の時は、非常に精神面が不安定な時期でしたので、自分が実行犯に加わっていたかも知れないと思ったりもしました。 >そのような最悪の事態を避けることができたのはどうしてか これが、理論整然と説明出来れば苦労しないんですけどねぇ~・・・。 結果論でしかない、というのが正直な答えなんです。 少なくとも私にとっては、「そんなことは絶対にないと言い切れる人」の方が怖く感じるのです。 そういう人ほど、ふとした切っ掛けで豹変すると凄い事になりはしないかと・・・。 多少なりとも、自己に対して危機意識を持ち続けていると、それが反面教師として何らかの歯止めを掛ける事になるのかも知れないような気もします。

oozora2000
質問者

お礼

オウム事件の前、オウムの勧誘チラシが普通に私の当時住んでいたマンションのポストに入っていたりして、そんなに危険な存在だとは気がつきませんでした。私もだまされやすい方なので、一歩間違えていればオウムに入っていたかもしれないです。一度洗脳されると、誰も抜け出せなくなる所があると思います。 「結果論でしかない。」、「そんなことは絶対にないと言い切れる人の方が怖く感じるのです。」というお言葉に、誰しもひとつ間違えれば変な方向に行く可能性があることを認めざるを得ないことを感じました。 何より、そのような危機意識を持ち続けていることにより、それが反面教師として何らかの歯止めを掛ける事になるのかも知れないというお言葉に真実味を感じました。