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辞めた今でも高校が憎い 自分も何もかも許せない
私は小さい頃から絵を描いておりました。当時は楽しくて、子供特有の何でもできる気分(?)で何の悩みもなく、将来そっちの道を目指すのだろうと思っていました。 中学は公立で、町の小さな塾に通っていました。 そして受験二週間前に親にチャレンジ校として、レベルの高めな私立高校を勧められ、受かるはずないけどやってみようと受けてみたらぎりぎりで受かってしまいました。 「私立は環境が整っている。荒れてはいない」と勝手な固定観念を持っていた当時の私は、内心心配はありましたが、経済的に少し無理をいって行かせてもらうことになりました。 しかし入学してみるとクラスは荒れ果て、内部生と新入生で水と油のように分かれている有様でした。授業も話し声がうるさく、モノは飛び交い、教師の怒鳴り声のような説教の連続で、とてもいやでした。 父親の影に怯えてきたということもあり、ギスギスぴりぴりした雰囲気は今でもとても苦手です。 一学期は親に心配掛けまいと、もともと愛想笑うタイプではなかったのですが笑顔を作り、友達を作ろうとしたり慣れない運動部に入部したりと色々とチャレンジしました。 修学旅行も行きました。辛かったけど、逃げちゃいけないと思っていました。涙は流しませんでした。 しかし一学期の終わりに隣のクラスでいじめが発覚し、暴力でへこまされたロッカー、仲良しだと思っていたクラスメートも黙って私の前から去り、とどめには同じ部活の同い年の中等部から上がってきた男子に崖から突き落としたいといわれ、 夏休みはいつも以上にやる気も活気もなく、身体がだるくてすぐに泣くようになってしまいました。 それを転機に、私は現代社会への不信と人間関係の悩みと自分の存在理由を見失い、最終的には高校を中退しメンタルクリニックに通院する日々を2年半送り、今にいたります(今も通っています)。 今は18歳で、美術の特別設置校で一年やらせてもらえることになっております。 しかし周りを気にして流される性格上のものは変わらず、 やる気もせず、やろうと思ってもすぐ沈下するような弱いもので…。 歳が近い人で友達同士で騒いでる人を見ると、羨ましく思います。 絵にしてみても努力出来る人が羨ましくて妬ましくて、 結局そのときに持った悔しさや妬ましさといった感情は 創作意欲には全く繋がらず、 ここ最近は「ずるい」という僻みにかわるか、衝動買いや小額のネットオークションで物欲を満たすことで吐き出しています。 人間関係は下手、友達と思っていてもその人にあっさり裏切られ、いいように扱われる。愛されない。 絵ももうよく分からない、努力も出来ない、運動も出来ない、運もない。私はイマドキの女の子というタイプでもない。 私が10歩で歩くところを、普通の人は1歩でいってしまう。 もともと運や本質的なものがある人にはあるし、ない人には残酷なまでにない。 分かっていてもそれを素直に受け入れることが出来なくて、つらいのです。 気分の波を繰り返し、最近はよくイライラします。 気も散るし、集中力もない。 一度未遂もしました。 でも、このままじゃどうしようもありません。 どうすればいいでしょうか。こんな私でもこの先も生きる価値はつかめるのでしょうか。
お礼
ご回答有難うございました。 確かにそう決め付けるのは早すぎますよね…。 出来ることからやっているつもりなのですが何一つ実感も自信もつかなくて、予想以上の壁の厚さに日々滅入るばかりです。 しかし、なんだか暗闇だけだった私にとって、励みになりました。 もしよろしければ、恐縮ですが浅田次郎さんのエッセイの本の名前を教えていただけませんか? では、ありがとうございました。