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甲子園入場行進
春・夏の甲子園高校野球開会式の入場行進にはいつも違和感を覚えます。拳を握り、甲を前に向け、肩まで腕を振り上げ、脚を高く上げて歩くさまには嫌悪感すら感じます。 ただ全てのチームがそのような行進をするわけではなく、今年の例でいえば、慶応高校や聖光学院は普通の歩き方で見ていてほっとしました。 こういう行進のスタイルは、主催者側から指導されるのでしょうか、それとも各チームの自由裁量なのでしょうか。 甲子園出場経験のある方やご存知の方々に教えていただきたくお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
各高校の自由です。下を向うが、だらだら歩こうがいっこうに 構いません。ただ、甲子園大会の場合、事前練習があり、その時に 高野連のほうから指導があります。言ってしまえば軍隊調に歩く事 を勧められます。 私は宗教心などは全く持ちませんが、当時はあの行進に憧れました。 おっしゃるように、拳を握り、甲を前に向け、肩まで腕を振り上げ、 脚を高く上げて歩く事をしたかったのです。 要は感じ方だと思います。それこそ軍隊にいたことのある方達には 理解されるかもしれないし、されないかも知れない。あなたのように 嫌悪感をおぼえる人もいるかも知れないし、さわやかに感じる人もいる かも知れない。高校野球の人気のひとつでもあるのではないかと私は思います。
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- tounosu24
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高校野球は観ないので直接の回答にならないことをまずお断りしておきます。 私はあの行進を「ロボット大行進」と言っています。それと、だれもが思い浮かべるのは軍隊の行進でしょうね。甲子園の高校野球は百年近い歴史がありますから、戦前の軍国主義時代の風習(行進)がそのまま残ってしまった可能性がありますが、私にはわかりません。質問者さんは昭和史の記録フィルムによく出てくる「学徒出陣」のシーンをご覧になったことがおありでしょうか。雨中の神宮外苑を行進する学生の兵士ですが、あれが私には甲子園の行進とダブって見えます。 いずれにしてもいつ頃からあのような行進が行われるようになったのか、文化人類学かなにかの学者がまじめに研究すべきテーマだと思うのですが、フィルムが残っていないのかもしれませんね。 甲子園大会は純粋なスポーツ大会としては儀式が過剰で、どうしても「宗教」を感じてしまいます。神主が出てきてスコアボードに向かって柏手を打ってもそれほど違和感がないと思うのですがどうでしょうか。一勝するごとに整列して校歌を演奏校旗を掲揚、それも優勝校となれば五回くらいくり返すわけですから、この点だけでも普通のスポーツ大会とは違うと気づくはずです。開閉会式で延々と続く挨拶(なんとか委員長の「講評~」等々)など、野球・(宗教)・教育を合体させた世界に二つとない催しものだと思います。 肝心の行進スタイルについては、経験者が回答してくれれば一発で解決するのですが、それまでに私の推測を書いてみます。高野連はとても細かく大会の規則を決めているので、開閉会式の動作などについては内規として文書があるのではないかと思います。見よう見まねであそこまでそろえるのは無理でしょう。たとえば、手の振り幅は45゜から90゜までとか歩幅はどのくらいで、アゴを引いて正面を見るとか。「拳を握り」と書かれてますが、握るか握らないか、握るとしたらどの程度の握りかなど、宗教=儀式=細かい決まりですから、おろそかにしてはいないはずですがどうでしょうか。(すべて私の推測です)
お礼
ご意見ありがとうございます。 甲子園宗教論、なるほどそのとうりですね。その機関紙が朝日と毎日なんですね。
- rokko-oroshi
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各チームの自由裁量でしょう。 主催者側の指導があれば皆同じような歩き方をしているはずですよ。 例えどんな歩き方でも、指導に従ってるだけって方が逆に気持ち悪いと思いますよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 でも全くの自由裁量とも思いにくいんですけど。
お礼
選手だったと思われる方からご回答を頂き、ありがとうございました。 高野連から、あのような歩き方の指導はあるが、強制ではないということですね。よくわかりました。 なお、私の書き方が悪かったのですが、嫌悪感を感じるのは選手に対してではなく、それをさせる大人の指導者に対してであります。