■努力するということそのものに意味があるのではなく、結果を出すことのみに意味がある場合。
■正しい努力の仕方でなければ意味が無い場合。
■結果を出せず、さらにやり方も間違っていたけれども、その苦労を経験するということが意味を持つという形での努力。
■結果を出せず、さらにやり方も間違っていたけれども、自分で方法を模索すると言う行為そのものに意味があった、という形での努力。
このようにいくつかのパターンがあると思います。
他人の評価だけでなく、自分自身でも客観的に評価しなければその努力の経験が無駄になってしまいますから、その自分自身での評価で後者2つに当てはまれば無駄ではないと思います。
自分で努力したものが周囲の評価を得られない、誤解されることもある、ということは「当たり前」のことだと思います。
>そんなときに、どうしていますか?
冒頭のように分析し、その後に活かします。活かさないとただの嫌な思い出になっちゃいますから(^^;
愚痴って終わり、慰めてもらって「ウン、でも頑張ったよね!」で終わらすのは最悪のパターンだと思ってます。
■実技試験の例。
仕上げたものの結果で点数が付くような世界にいましたが、試験で評価されるのは「結果」のみで、試験に至るまでの過程は一切関係ありません。完全に間違った練習方法を朝から晩までする人より、的確な練習を短時間にまとめてする人の方が良いものを残すし、評価も高いです。
これは一般的な大学受験、スポーツ等の部活などにも言えることだと思います。
ただ、やり方が間違っていようが、一生懸命努力している姿というのは、案外誰かが見ているものだそうです。(先輩に言われました。)
このことは直接何かの評価には結びつきはしないものの、「人」としての信用などに影響するものだと思います。
「良い」努力をするにこしたことはないですが、努力そのものが全て無駄になることはそうそう無いのだと思います。また、無駄にさせないために、自分自身での分析は不可欠だと思います。
何か大きな出来事があった直後なのでしょうか。
少し休んで、頑張ってください!
お礼
回答ありがとうございます。 いきなりとても良い回答を頂いてびっくりです。 僕のモットー全てが良いですね。 プリンタウトして冷蔵庫に貼ります。