- 締切済み
ホスピスの在り方について
昨日、東京にあるホスピスへ実地研修のような形で訪問させていただいたのですが、そこで少し疑問に思う事がありました。 ホスピスとはQOLを体現した所だと思っていたのですが、そこにいらっしゃる方々が必ずしも幸せ(言い方が良くないのですが)では無い気がしました。 なぜなら、ある末期の患者さんが、 『本当は家で過ごしたい、やりたい事が出来ないならここに来た意味が無い...』 と、仰っていたからです。私は充実した余生を送る場所だと思っていましたからとても驚きました。 ホスピスは患者の意思を尊重し『在宅ホスピス』と言うものもあるそうです。 ですが、病院付属のホスピスは規制が厳しく、『充実した余生』は送れないのが現状です。 長くなりましたが、患者の意思を尊重しないホスピスは『ホスピス』と言えるのでしょうか? 『ホスピス』とは患者の何なのでしょうか? 私は患者の意思を尊重しないのであれば、ただの病院の金なる木でしかない気がします。どなたか、私とは違う意見の方がいらっしゃれば御一報下さい。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- yamahaseca
- ベストアンサー率45% (182/401)
おそらく、ある特定の宗教を家族みんなで信仰している人が、その宗教団体 の運営するホスピスで余生を送れれば、幸せな最後を迎えることができるの かもしれませんが・・・・・。 現実には日本で特定の宗教を、日常生活に根ざした状態で(本来宗教とは生 きている時にこそ有用なのに、日本ではあまりに死と結びつけられすぎてい るきらいがあります)信仰している人自体が少数ですし、また宗教それ自体 に対するアレルギーも強いために、欧米のようなホスピスが成り立たないの は仕方がない事なのかも知れません。 その意味で、ホスピスを変えるためには社会のシステムだけでなく、日本人 の死生観の変化も重要ではないかと感じてます。 もっとも、そもそも日本人の死生観を変える必要があるのかどうか? 今ある日本人に対して、最適な終末医療の提供ができれば、その方が望まし いのではないか? という見方ももちろんあるわけで、現在模索中という側面も(そして、それ による混乱も)あるのではないかと思いますが・・・・・。
よくも悪くも日本式なのです。 病院の入院患者を調べた結果、推定で全国の30%(大学病院から民間病院まで平均、さらに必要在院日数から計算)以上が医療では必要のない『社会的な』入院という実態があります<社会的入院の実態を無くせば保険の改正などいらないといわれています> つまり日本の病院は病院ではなく託老?所などになっています(=日本的な病院)。これと同じなんです。ホスピスという名前の託老?所。これが日本的なホスピスです。 ただの老人でさえ介護は大変です。それに疾病が絡めば… これは自宅で病気や障害を抱えた人がひとりでは暮らせない『社会資本』上の問題があるのです。 自宅で点滴を受けるのに往診に応じる医師は非常に少ないです(往診がワリにあわない部分があるから)。 介護保険では数日に一回しか十分なケアは受けられないのが現実です。当然同居家族(いればまだいいほう)には負担がいや増します。数えればきりがありませんが、在宅療養は取り組みに積極的で余り儲けを考えない(私は対極ですが…)スタッフグループが必要です。 またホスピスを本来の状態で運営するには、付き添いの人材など労力は数倍は必要です。しかし日本の社会福祉事業費ではこれは到底まかなえるものではありません。 「本当は家で過ごしたい(でも家では過ごせないのです・・介護保険だけではやっていけません。)」 ホスピスを本来のホスピスとして成り立たせるために、通常業務以外に患者1人に1人の人員配置があればかなうと考えて3交代でその三倍、これだけの看護要員が必要になります。病院の規定はその十分の1以下です。さらに病院の入院施設の規定に比べ、ホスピスの場合は規定人数がさらに減らされています。(看護職員だけで比べるのは問題がありますが、介護の職員も含めても同等以下です) ホスピスが現状で金のなる木と表現されるのはある意味納得です(それで一部の経営者は儲けていますからね)。ですが本来病院も含めてそこで労働し糧を得ている人がいる以上、金のなる木でなければ困るんです。(日本は資本主義の国です。金にならんところには資本は集まりませんから… 現状は金のなる木でないからこそ、社会資本が集まらず、周辺の資本も充実しないということなんです。) 皆から考えて『本物の金のなる木』になれば(社会資本の注入が十分になれば)そこへ人的経済的あらゆる資本が入り込み、結果、競争と淘汰が起こりまた向上心が裏打ちされて本物のホスピスになります。ですが、日本ではそれが起こらないんです。国民全体で選んだ国会議員、あの人たちではこの分野に金を入れるとは到底思え無いでしょ。銀行に出すお金はあるようですがねぇ。
- oponnpo
- ベストアンサー率32% (155/481)
>患者の意思を尊重しないホスピスは『ホスピス』と言えるのでしょうか? 。。。言えないと思います。ホスピスの理念は“患者主体”だと信じています。 しかし。。。 ホスピスは日本ではまだ歴史が浅く、設置主体によってレベルにばらつきがあるのかもしれません。 また、世間的にもまだ正しい認識が浸透したとは思えず、病院から紹介する医師も、また話を聞く家族、患者本人もよくわからないままに入所(入院)しているように思えます。 病院は、はっきり言って、今後ターミナル期をむかえるであろう患者さんを長期に入院させておくわけに行かないので、出て欲しいのです。で、癌の末期=ホスピスみたいな図式でだれでもかれでも一応は紹介するのですね。 家族もよくないと思います。本当は本人が自宅に戻りたいと言っても、『何か有ったらコワイ』と施設に頼り過ぎます。本当は、在宅希望でも、受け入れ体制が整わなくて、本人もソレがわかるから仕方なくホスピス。。。という人も多いはずです。 なので、本当にホスピスに入所して良かった、と思える人は、自分の病状や治療をよく理解し、ホスピスで何を助けてもらいたいか明確にして自分で生活を作り上げている人だと思います。 ホスピスに行けば、何かイイ具合にやってもらえるだろう。。。なんて言っていては、なかなか満足できないんじゃないでしょうか。 。。。でも、家族が“本人には病名を告げないで下さい”と言って いつまでも抗癌剤治療を望んで、体力を落とし、副作用に悩まされている患者さんを見るのはつらいです。 病院勤務の看護師より。