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「感謝をされた経験」を書くことができず困っています(長文です)
こんばんは。 今就職活動で福祉関係の企業のエントリーシートを作っているのですが、「今まで人からありがとうと言われて一番嬉しかった経験を書きなさい」というものがあって困っています。 私は人に色々助けてもらう事が多く、自分が相手に対して感謝した経験ならたくさんあるのですが、逆の場合が全く思いつきません。 私は「感謝される」ということは「相手のためを思って何かした」ことの一種の結果だと思っています。ですが、私の場合は「自分が相手のためを思って何かする」ことが相手にとっては迷惑か負の感情を煽るものでしかないように思えてしまうのです。 中学校の頃、学校に来ないクラスメイトの家に荷物を届けたり話を聞いたりしていました。そのたびにその子は「ありがとう」を言っていました。 その子が学校に戻ってきてから、その子は他の子を扇動して私の悪口を流し、荷物を隠されたり勝手に日記を読んで一文字間違えるだけで笑いものにするなどの嫌がらせを始めました。 いじめに気づいた教師が、主犯格のその子に話すと、「(私から)嫌がらせをされていたから」といって泣いていたそうです。プリントを届けることが嫌がらせだったのか、それとも学校に来ないその子に対して私が無意識に嫌な態度をとってしまっていたのでしょうか…。結局そのこと話す機会がなく、確かめることは今もできていません。 それまでその子の言っていた「ありがとう」というのは一体なんだったのか… 結果、私が「親切で」したことはその子にとって結局何かただ苛立たしいものだったのだろうと思いました。 また、別の話になりますが部活でイベントをすることになったとき、責任者の子が「私一人じゃ大変で、すごく辛いんだよ」と全員の前で泣き出したことがありました。 私が「任せきっていてごめん、私にできる仕事があったらやるから」と言うとその子は泣きながら「ありがとう」と。 その話し合いの結果、仕事は分担制に決まったのですが、後日その子は私以外の部活の子に「私があんなに責任を持って頑張ってたのに、(私が)軽々しく『仕事をやるから』とかいってすごく腹が立った」と言いまわっていたことが人づてに伝わりました。 結局私が誰かのために何かすることは、相手にとっては嬉しくないことや、迷惑なことでしかないと思います。でも、どうやって直せばいいのか、何が相手にとって役に立つことなのか分かりません。 今でも「ありがとう」と言われてもそれが本音ではなく社交辞令にすぎないものだと思ってしまいます。 そんな調子なので、エントリーシートが全く書けず困っています。 私は前述したように人から助けてもらうことがとても多かったので、社会に出てからは少しでも人の役に立ってよい関係をつくれるような仕事がしたいと思っているのですが、その準備段階で完全に行き詰ってしまっています…。 考えすぎなのかもしれませんが、考え方を変えることができません。どうしたらいいでしょうか。
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就活していてどんどんドツボにはまっていった経験があります。正直に、偽り無く答えようとすると何も書けなくなってしまいました。 逆に採用する立場に立って考えてみれば、「自分の心に正直な文章」なんて求めていないのだと今なら分かります。求められているのは「良識ある人物像」であって、いかに正確に自分の内面を緻密に描写するか、ということは求められていないんです。 友人は全く違う業界のESですが、経験談を書けと聞かれてウケの良さそうな全くの空想上の話を仕上げて内定を貰っていました。そんなものです。 誰かが無くしていた大事なものをたまたま拾って届けたらとても感謝された、とかそういうライトな経験談でいいと思うので、適当に作ったり探したりしてみてください。正しい日本語で、人に分かる文章を書いているか、というのも大事な要素です。 質問文に書かれていた経験談はとても読みやすかったし、私にも経験のある内容でなんだか親近感が湧きましたが、全く一般ウケしないと思うので、そういう話は内定をとってからすればいいと思います。harunoyouさんの行動はとくにおかしくありませんが、相手が悪かったですね。内省的になりすぎな所がちょっと気になります。自分の行動にもっと自信を持って大丈夫ですよ。
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こんにちは。一般的にあなたにいやがらせした人たちのことは「ひねくれた人」といいます。ひねくれた人にはひねくれた人の事情があるのでそこを理解すれば彼女たちにされた傷も癒えていくはずです。彼女たちをそこまで追い詰めた理解しがたい「何か」があるのでしょう。家庭だったり、友達だったりね。でもそこで学ぶことがありますよね。 自分が他人のために何かしたことで相手が喜んでくれないこともあるということ。 人のために何かするということは、とてもすばらしいことです。人間の愛する心というのはそういうことをすることで成長します。傷つくこともあるけどね。ただ「そういう例もあった」だけのことなんですよ。 あなたは、そのときできる相手の喜ぶことを精一杯した。これが罪に問われるわけがありません。 世の中の人がすべてひねくれてなければいいんですが、残念ながらこの世の中にはひねくれた人はいっぱいいます。 みなあなたがされたような小さいいやなことがたまって傷になってまっすぐ物事を見られなくなったのかもしれませんよね? 大事なのは、ひねくれた人に心を開いて傷ついて成長を止めてしまったり、人を恨むことではなく、傷つける人から自分自身を守る方法を考えて実行することです。自分自身も他人と同じように大事な一人の人間という存在ですよね。 そうすることで、自然と人に何かしてあげられる人になっていきます。 お友達にされたことはあなたが悪かったのではなく、事故みたいなものです。自分を責めないで、自分を大事にする、ゆるしてあげることからはじめましょう。 もうちょっと自分を守れるようになれば、そういう人に対しても、そういう人はどうしたら喜んでくれるのか考えられる余裕がでてくるはずです。 そのときはきっと昔のことを乗り越えられている自分になっているとおもいますよ。
お礼
>red_curbさん こんいちは、ご回答ありがとうございます。返信が遅くなってしまって申し訳ありません。 >自分が他人のために何かしたことで相手が喜んでくれないこともあるということ。 そうですね、気づかないうちに自分がすごく傲慢になっていたのかもしれません。それから、皆さんが言われているような「事故のようなもの」という考え方が今までできなかったのも私の視界を狭くしていたのかと…頭固いんだな、と思いました; 反省です。 >自分自身も他人と同じように大事な一人の人間という存在ですよね。 私はそれを「とても悪い考え」だと考えていて、自分を大事にするのは悪いことだと思っていました。というか、まだあまりその考えを直せていません。他人には「自分を大切にして」って言えるんですけどね^^; 自分だけは例外だと思っていました。でも、そう考えなくてもいいのかな…と思い始めてます。でも、自分を大事に考えようとしたらなんだか泣きたくなってしまいました。めんどうくさい人間です; >自分を責めないで、自分を大事にする、ゆるしてあげることからはじめましょう。もうちょっと自分を守れるようになれば、そういう人に対しても、そういう人はどうしたら喜んでくれるのか考えられる余裕がでてくるはずです。 ありがとうございます。がんばってみます。
- angellost
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小説でたとえるなら、(勝手にたとえてしまってすみません) harunoyouさんの質問を読んで、J.D.サリンジャー(実は実際のサリンジャー家もそうだったのですが)という小説家を思い出しました。 「もしも人を助けようとするなら、絶対にわざとらしくなく、感謝されないように気づかれないようにしなさい」というルールができてしまっている家庭とか、周囲の人間関係とか。なんだかそこにはまってしまうと、ぎくしゃくしてしまうような気がします。 (私も考えすぎとよく言われますので、、こねくりまわしてしまっていたらごめんなさい) けれど、間違ったことをしたわけではないですよね? harunoyouさんは実際に人を手伝ったのですから。けれどその反応が周囲の人間関係の中でゆがんでしまって、harunoyouさんを脅かしてしまっているような気がします。 周囲に、この人はちゃんとしたものの見方ができる人だ、と思う方はいらっしゃいますでしょうか?同年代のほうがいいと思うのですが。 そういう方がいらしたら、周囲の状況と、ご自分の行動とその反応について聞いて見られるといいと思うのですが、、 こういう行動にこういう答えが返ってくる環境を信じきってしまっていいものか、どうか。ご自分のせいではない可能性を考えてみてくださいませ。
お礼
>angellostさん こんにちは、返信が遅くなってしまって申し訳ありません。 >「もしも人を助けようとするなら、絶対にわざとらしくなく、感謝されないように気づかれないようにしなさい」というルールができてしまっている家庭 J.D.サリンジャーという方は名前くらいしか知らないので勘違いかもしれませんが、angellostさんのこの一文を読んだときに正直驚きました。 私は、「人を助けようとするなら、自分がやっていることを『いいことだ』とか『役に立っている』なんておこがましいことを考えないで、『ごめんなさい、ごめんなさい』と謝りながら助けるくらいでないといけない」というふうに言われて育ってきました。 だから、自分が人を助けるのは当たり前のことで、感謝されないのも当たり前で、文句を言われたらそれは自分に何か足りないことややましい部分があったに違いないので反省しないといけないんだと思ってきました。というと何か言い方が大袈裟ですが; 今でもそのようなことは漠然と思っています。ただ、それで恨まれたり蔑まれたりするのまではなんとなく辛いというか、違和感を感じなくも無かったのですが、自分のせいだと思っていたので気づきませんでした。 なのでうまく言えないのですが、何か今までと違うものの見方を教えて頂いたみたいで、なんだか呼吸の仕方が少し楽になったような気がします。なんかすごくあいまいなことを書いてますね;すみません。 でもありがとうございます。意見頂いてすごく嬉しかったです。
クラスメイトは親切にされることにより上下関係を自分の中で作ってしまったのかもしれません。毎回お礼を言うことにより屈辱感を感じてしまったようですね。攻撃することで貴方よりも「上」になりたかったのでしょう。 責任者は自分がどれほど大変か、ということを理解し感謝して欲しかったのか。自分を認めて評価されることを期待していたのに、謝罪されて仕事を分担されて終わり。今まで頑張った自分は何だったんだろう・・・という気持ちかな。 誰でも経験していることで珍しいものでもありません。 人間関係って難しいですね。 例に挙げられた事柄は「災難でしたね」という感想です。 相手に働きかける場合は、相手が望んでいる事を実行して初めて感謝されます。相手が存在する限り、一方通行の思いでは成立しません。 例えばAさんがBさんの嫌いな食べ物を知らずに贈ったとして Bさんは正直、迷惑でしょう。でもAさんは自分は感謝される べきだと考える。単純に言うとこうですね。 ここで欠けているのが「思い遣り」なんです。 AさんがBさんに事前に好みを確認していれば防げたことです。 思い遣りが伴わないと気持ちの押しつけになってしまいます。 50:50の関係にも留意しなければいけません。 感謝をするという行為が難しいのはここにあります。 その一瞬は自分の方が立場が下になると感じる人もいるからです。上司がお礼を言った際には大袈裟に恐縮してみせるのはその為です。飽くまで部下なので上司より上ではありません、というアピールです。 友人関係であれば感謝したり・されたりのバランスに気を付けて、お互いの負担にならないことを心掛けます。 こう書くとなんか大変ですね。でも普段は何も考えずにしていることですよ。計算なんてしていませんから、誤解しないで下さいね。 貴方も感謝された経験は必ずあると思います。 ただそれを深読みして、素直に喜べなかっただけでしょう。
お礼
>2 こんばんは、ご回答ありがとうございます。 文章読ませて頂いて、なんだかすごく納得しました。多分、自分でも自覚しないうちに相手に劣等感を抱かせたり、善意の押し付けというか、迷惑なことをしてしまっていたんですね。嫌な人間です。 相手の気持ちを考えるということが今までできていなかったんだと思います。困っている相手に対して、目先の助け以外何も考えられなかったということですね……。 >貴方も感謝された経験は必ずあると思います。 ただそれを深読みして、素直に喜べなかっただけでしょう。 そうかもしれません。「ありがとう」と言われると怖いです。 アドバイスありがとうございました。今後の考え方の参考にさせていただきます。
- formidable
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要は、気配り・思い遣りのハ~トを忘れずに、アナタが幼少時から培ってきている礼儀作法・常識で対応すればOKでしょう。宜しく運ばないとしたら、原点であるアナタの幼少時の養育環境に於けるアナタのスタンスに欠陥がなかったかを、あらゆる角度から反省し、改善点が見つかれば、もう1段上のいい女になれるでしょう。 アナタのように<手記>っぽい感じでズラズラお書きになる女性が少なくないのですが……回答者への気配り・思い遣りが欠落しているか、質問を日記と勘違いされているんじゃないかと思ってしまいますし、もしかして、鷺沢萠さんの小説『ばら色の人生』でいう<○○○悪めの女性>じゃないかと感じてしまいます。 【付録】 ※考えるヒント : お母さま・お婆ちゃまのホスピタリティはパーフェクトかどうか検証してみましょう。アナタはお母さま・お婆ちゃまと同じようなホスピタリティを身につけていることが考えられるからです。
お礼
>1 こんばんは、早いご回答ありがとうございます。参考にさせていただきます。 今の段階で「(過去における)感謝された経験」というものを見つけることができなくて、焦って支離滅裂な文章になってしまいました。不快なお気持ちになったのであれば申し訳ありません。 >回答者への気配り・思い遣りが欠落しているか 欠落していると思います。読まれている側には不快なだけの文章になってしまったと思います。申し訳ありませんでした。この文章を目にされた他の方にも申し訳ないと思います。すみません… ただ、私の母と祖母は他人に対する気配りや思いやりが非常にある女性だと思います。「完璧かどうか」というのは何が基準なのか分からないので断言はできませんが、二人とも聞き上手ですし、困っている相手に対して手助けをすることを惜しまない温かさを感じさせる人たちです。 コメントありがとうございました。以後気をつけます。
お礼
>49aruku こんにちは、ご回答ありがとうございます。返信が遅くなってしまって申し訳ありません。 >採用する立場に立って考えてみれば、「自分の心に正直な文章」なんて求めていないのだと今なら分かります。求められているのは「良識ある人物像」であって、いかに正確に自分の内面を緻密に描写するか、ということは求められていないんです。 視界が狭くなってしまっていて気づきませんでした…そうですよね、就活ってそういうことですよね。 >正しい日本語で、人に分かる文章を書いているか、というのも大事な要素です。 >質問文に書かれていた経験談はとても読みやすかったし、私にも経験のある内容でなんだか親近感が湧きましたが、全く一般ウケしないと思うので、そういう話は内定をとってからすればいいと思います。 本当、おっしゃるとおりだと思います。そういう話は友達に相談する話であっても、採用してもらうための話じゃないですよね。 すごく参考になりました。愚痴のような拙い文章になってしまったのですが、的確なご回答していただいて感謝しています。ありがとうございます。
補足
ご回答頂いてありがとうございました。。 この質問の期間、アドバイスを受けて友人と一晩話し合いをし、私自身悩んでいたことを多少なりとも客観的に判断してもらえたかな、と思います。 ご回答いただいた皆さんには、自分の考えと違うものの見方を教えていただきました。 どの方の意見も大事に参考にさせていただきます。 ありがとうございます。