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2000年夏、宮崎代表・延岡学園の2年生左腕エース・神内靖投手の背番号が10だったのは何故ですか?

2000年夏、宮崎代表・延岡学園の2年生左腕エース・神内靖投手の背番号が10だったのは何故ですか? 背番号1は実質控えの3年生右腕・初代洋昌投手が付けていました。 宮崎大会も殆ど1人で投げていた神内投手が何故背番号1でなかったのでしょうか?

みんなの回答

  • mackid
  • ベストアンサー率33% (2688/8094)
回答No.2

3年生エースがいたとか、予選でエースだった投手が故障したが背番号はそのままにしたとか、いくらでも理由はあるでしょう。エースが1番ではないなどというのは珍しくもなんともありません。 野球はチームプレーであり、特に先輩・後輩の連携が必要な学生野球では、背番号をチーム内の実力の序列だけで付けない方がいい場合もあるのです。人は感情の動物です。下級生が1番を付けた時に他の上級生がどう感じるかというのは、その時その時の上級生や下級生の性格や力関係、信頼関係によっても違うので、今年はこいつが1番でいい、こいつにはまだ1番を付けさせない方がいい、といったように毎年監督が判断して決めるものです。

  • zorro
  • ベストアンサー率25% (12261/49027)
回答No.1

当初エースと予定したピッチャーが架空製に追い越されたと言うのが一般的には考えられます。変えなかったのは、古い考えの部長であったからでは?

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