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この世界は辛いけれども、彼が存在するなら生きているのも悪くない
私は子供の頃に自分が生きる理由を決めてしまいました。 きっかけは多分、当時のクラスメートのうちの1人を好きになった事です。 次第に「この世界は辛いけれども、彼が存在するなら生きているのも悪くない」そう思うようになりました。 私には生きる理由がこれしかありません。 もし彼に何かあったら、私は生きるのをやめる事をためらわないと思います。 過去の質問にも「生きる理由」について書かれたものはたくさんあります。 「周囲の人が悲しむから」「理由を探す為に生きている」「自分のため」「いつかはいい事がある」「怖いから」… そのどれを読んでも感情・感覚として理解できません。 それが生きるに値するほどの行為だとは思えないのです。 本当の事を書くわけにはいかないからとりあえずそう書いているのではないか、そんな事を思った事もあります。 今、私は「生きる理由」の彼と付き合っています。 とても落ち着いた関係ですが、時々不安になります。 もし今までの友人関係さえ維持できなくなるような別れ方をしたら私はどうなってしまうのだろうと。 それは生きる理由を失うと同時に、生きていい理由を失う事のような気がします。 自分でも、自分が少しおかしいのではないかとは思うのです。 自分がおかしいと認める事は怖い事ですが、そう言われ納得すればそれなりに覚悟をして生活する事ができるような気がします。 でも本当は「実は自分も人には言えない生きている理由がある」そんな話も聞きたいのです。 こんな「生きる理由」を抱えた人間をどう思うのか教えて下さい。
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No.4で回答した者です。お礼ありがとうございました。 お辛い経験を書かせてしまって申し訳ないです。 私は、「家族」と書きましたが、 以前は人には言えない生きている理由がありました。 それは「母」です。 母が離婚して苦労している姿を見て、 母は私がずっと守っていこう、それが私の生きる理由の全てだ と思って生きてきました。 でも、いつごろかはわかりませんが、その考えも変わりました。 母には母の人生があり、私の存在や私の生きる理由に関わらず母が幸せな人生をおくれればそれで良いのだと思えるようになりました。 そして、主人と出会い、子どもを出産したこともあって、 今はそういったのを含めて「家族」が生きる理由になりました。 厳密に言えば、「家族の幸せ」のために生きています。 ご質問者様も彼の存在だけでなく、たとえ彼と別れることになっても彼の幸せを願えるようになれれば、きっと変わってくるのではないでしょうか。 うまくまとまりませんが、参考になれば幸いです。
その他の回答 (16)
他人に依存している生き方です。 依存される方が迷惑ですから、自分に変化を設けたほうがよいでしょう。 「生きる理由」は、死ぬためです。 後悔なく死ぬために人は生きています。 ですから、他人に依存せず、後悔無いように生きてください。 何事にも絶対はありませんから。
お礼
No.4の回答者様のお礼欄に書かせていただいた様に、行動としては相手に迷惑をかけていません。 むしろ私はドライだと思われるような振る舞いをしています。 ただ、表には出さないだけで心の底ではどうしようもなく依存しているのも分かっています。 行動を変える事は簡単ですが、心を変えるのはとても難しいです。 自分はいつ死んでも後悔はないような気がするのです。 その時々で自分なりには精一杯生きています。 趣味も出来る範囲で楽しんでいます。 私がいなくなっても悲しんだり心配をしてくれる人はいますが、その所為で相手を不遇にしてしまうような関係(たとえば子供とか)の人間はいません。 私がいなくなったら充分に面倒をみてもらえるか心配なペットはいますが、その寿命は私よりもとても短いです。 あと数年しか一緒にいられません。 私は自分がいなくなる事で「彼と会えるかもしれない機会を失う事」や「彼がこれから好きになる物に触れられない事」がとても残念で生きているような気がするのです。
- Rion4443
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連続ですみません。文字化けしてしまったようなので・・・ ↓ なんとかつなぎとめようと躍起になったり~
- Rion4443
- ベストアンサー率16% (87/532)
はじめまして。 私はおかしいとは思えないです。 私も貴方のように「彼」という一人限定ではないですが、 生きる理由になっている家族がいます。 それを軸として、趣味を楽しんだり、友人と遊んだり、仕事を充実させたり・・・といったものが付随されるんでしょうね。 でも、一つだけ気になるのは、 それが「依存」になるかどうかです。 彼を失うまいと自傷行為をして心配させたり、 なんとか繫ぎとめようと躍起になったり・・・という行動を取る危険性があるなら、改めるべきだとは思います。 過去に親から愛されなかったり、イジメや虐待に遭うと、 自分に好意をもつ人や好きになった人にそういう行動を起こしてしまう人も中にはいますので・・・。 不快に感じたらすみません。
お礼
子供の頃は自己中・ヒステリックとも思える母の行動に家族で振り回される日々でした。 幼い故よく分からないなりに、どうやら母は歳をとったためそうなってしまったらしい事。 それは心に影響を及ぼすもので、本人にもどうしようもないのだと理解しました。 今から考えれば更年期障害だったのだと思います。 本人も含めて当時は一般的に認知されていなかった事が不運でした。 子供の頃の私は自分も将来そのようになり、大切な人を傷つけるようになる事をとても恐れました。 専門の分野に進んだわけではありませんが、それでも人の心理について勉強し、 自分を客観的にとらえる事を心掛け結果、人にむやみに迷惑をかけない程度には行動を律する事ができていると思います。 家族が生きる理由というのはとても羨ましいです。 私は「母のようになるのなら自分は死ななければいけない」と自分に言い聞かせてきましたし、 父はたまに「お前がいなければ離婚できるのに」と冗談交じりに愚痴る人でした。 そんな辛い中でも私を育て、守り続けてきてくれた両親には感謝していますが、生きる理由とは捉えられませんでした。
- madmax4
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あなたの世界はとても狭いということですかね もっと視界を広げましょう
お礼
ええ。なんだかそんな気もします。 大切な友人のほとんどは子供の頃からの親友達ですし、 現在目標にしている職業も、ぶれて遠回りする事もありましたが結局は子供の頃に憧れていた職業です。 出会いが増えて、色々な人の価値観を知り、知識を増やし視界に入る世界が広がっても、 自分の前には1本の道があって、寄り道をしても結局はそこに戻ってきてしまう。そんな感じがします。
- dordotto
- ベストアンサー率30% (50/162)
要するに彼氏にメロメロってことですね。 それが生きる理由というのは全然悪くないし、おかしいとも思いませんよ。人間が生きる理由なんてしれますし、そんないいもんじゃありません。貴女の考えはどっかの人生書読むよりよっぽどしっくりきます。 私もただ、勉強したりゲームしたり、友達とか彼女と遊んでると楽しいから生きてるだけです(…ここ1年彼女おらんけど)。 それ以外の「生きる理由」なんて知ったこっちゃありません。 好きなものを守るも人生 一つの目的の為に一生をかけるのも人生 自分の快楽を追及するのも人生 自分自身への評価は人生が終わる瞬間に決めてあげましょうね。
お礼
なんだかそんな風に軽く肯定していただけるととても救われます。 人生書って確かに為になる事も書いてあるんですけれども、 どこか薄っぺらい、血が通っていないような気がするんですよね。 人間はそんなきれいな言葉で表せるものじゃないだろうと… それなのに世間では持て囃されたりする不思議。 勿論心にずがーんと響くものもあるのでしょうけれど。 だから「よっぽどしっくりくる」と言われて少し嬉しいです。 ええ。それなりにいい人生だった。 そう思ってニヤニヤ出来るようなら御の字だと思っています。
- misha-mish
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あなた自身に生きる目的も理由もないから、 彼の事を生きる目的にしてるように伺えるんですが。 今現在彼と上手くいってるのなら、 別に何も恐れる必要なないと思いますよ。 もしかしたら、貴方の側に明日180度、 人生を帰るような相手との出会いがあるかもしれない。 そのように考えると、今と言う時間を大変無駄に使ってるようにしか 思えません。 まだ、失ってないものを失うって考えるより、 目の前にあるものを大切にする方が、 ずっと心の安定を図れると思いますが。
お礼
私には人生を楽しめる趣味もあります。 信頼でき、尊敬できる友人もいます。 極めたいと思える職業もあります。 でも、それらをまとめても生きる理由には値しないのです。 生きているからしたい事に過ぎないのです。 あなた自身が生きる目的や理由はなんですか? それは生きるのに値する理由ですか? その理由がなくなったらあなたは生きるのをやめるだろうと思いますか? 彼を失う事は怖いですが、それは盲目的な恋愛をしている人にありがちなよくある事だと思います。 私はそれよりも他の人の考えが理解できない・理解してもらえない事が恐ろしいのです。 多くの人が何故今生きていて、生き続けようとしているのかがわからないのです。
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お礼
正直、辛い経験というわけでもないのです。 人並に育ててもらえたのですから、それだけで充分ありがたい事です。 気を遣わせてしまいかえって申し訳ありません。 何か劇的な切っ掛けがあったわけでもなく、気付いた時にはもっと、大きな何かに変わっていた。 なんだかそれはとても幸せな話だと思います。憧れます。 >たとえ彼と別れることになっても彼の幸せを願えるようになれれば、きっと変わってくるのではないでしょうか。 付き合うまではそう思えていたんです。 たとえ2度と会う事はなくても、彼が生きていてどこかで元気にやっているならそれでいいと。 ただ、友人関係ならあまり起こらない「相手をとことん嫌いになって、相手にとことん失望して別れる」 という話も恋人関係だとよくある事じゃないかと、付き合い始めてから気付きまして(苦笑) そうやって相手にとって自分が嫌な記憶でしかなくなる事が怖いのです。 それを乗り越えた上で相手の幸せを願えるようになれば何か変われるのかもしれませんね。