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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:フェリックス・パッパラルディの事を教えて下さい。)

フェリックス・パッパラルディについての知られざる情報とは?

このQ&Aのポイント
  • フェリックス・パッパラルディは1960~'70年代の名プロデューサー/シンガー/ベースプレイヤーであり、クリームのプロデュースやマウンテンでの活動が特筆される。
  • 彼はアメリカ人でありながら、イギリスで活動していた。その理由や留まっていた期間については不明な点が多い。
  • 彼とジャック・ブルースの仲はあまり良くなかったようで、ジャックがマウンテンに曲を書き卸した経緯が知りたい。

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noname#210617
noname#210617
回答No.1

パッパラルディはアメリカ人で、クリームと出会ったのは、セカンドアルバムをレコーディングするために居たニューヨークのアトランティックのスタジオです。そこではトム・ダウドがエンジニアをしていました。 それがきっかけで、パッパラルディは『ロウディ・ママ』の録音で試行錯誤していたクリームに助言し、それを『ストレンジ・ブリュー』に作り変え(ジャックは気に入らなかったようです)、アトランティックはそれを次のシングルとして発売することに決めました。以後、フェリックスがクリームのプロデューサとなります。 というようなことが、『Thoses Were The Days』のライナーに書いてあります。 クリームのライブレコーディングでもフェリックスがベースをオーバーダビングしているようです。これもジャックのお気には召さないかも。 3人での演奏では、音の厚みが不足することを実感していたと思われるので、マウンテンでは、キーボード奏者のスティーブ・ナイトを加えました。 30年くらい前の『音楽専科』という雑誌にマウンテン特集があったのを覚えています。 マウンテンのファースト・アルバムは、実はレスリー・ウエストのソロアルバムで、レスリーの体型からきた『マウンテン』というタイトルだったのです。 おそらく、クリームという形態ではできなかったことを、マウンテンで試みようとしたのだろうと思います。 ジャックはジャックで、一時期ソロ活動をしていましたが、クリームのスタイルに戻ろうとしたのは、やはりジャックなりに遣り残したことがあったのでは、と思います。 また、パッパラルディがマウンテンとして来日したときに、クリエイションと出会ったのではなかったかと思います。

gumbosoup
質問者

お礼

お返事遅れてしまい、申し訳ありません。 詳しい情報、ありがとうございます。 あ~、そうだったんですねぇ・・・クリームも私は「イギリスのバンド」と言うイメージが強かったのですが、アメリカにツアーにも行っていたのですものね。目から鱗でしたw そう言えば「ストレンジ・ブリュー」にはちょっと疑問に思った事もありましたね・・・何故題名が2つあるのかってw・・・そういう事だったのですね。 そうそう!マウンテンのファーストはレスリーのソロだったんですよね!!これも忘れてましたw う~ん、昔の音楽雑誌が欲しいですぅ・・・・今では考えられないようなおいしい情報が満載なんですよね・・・・以前私も古い音楽雑誌を某中央線の駅で良く買っていたんですけれど、流石に最近見掛けなくなって来てますよね・・・・。 本当にいろいろと教えて頂いて、ありがとうございます。

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