アメリカンニューシネマのひとつとされている、『俺達に明日はない』のラストで既に描かれていましたね。
アクション映画(ガンアクションという観点が適切でしょうか)に多大な影響を及ぼしたとされるのは、ウェスタンの終焉を見事に描きつつも名作とされる『ワイルドバンチ』(ダーティハリーの1作目、バイオレンス映画・男の映画ではピカイチのドン・シーゲル監督作品)ですが、後半のスローモーションでの血が飛び散る描写は、あのマシンガン連射によるもので今観ても色褪せないモノです。
この映画によって、当時の技術や描写においては一定の到達点に達したとさえ言われていました。
ハッキリと『この映画から変わった!』とは言えませんが、過去の映画のパンフレットを読むと上記と同じ様なコメントを目にすることはあります。
映画というのは、何か新しい映像技法や特撮技術が生まれると、それを反映させるものですし、多くの作品にも取り入れられるものですから、自然と作品に取り上げられる回数が増えてしまいます。
さらにその後の作品になると、同じレベルでは観客には新しさをアピールできない事から、今度は物量にモノを言わせるのです。
最近の例だと、マトリックス3部作が分かり易いかと思います。
小説については私は読んでいないので分かりません。
過剰な描写というのは、アメコミをベースにした作品や、SFX作品となると、どうしても作風にオーバーな部分が出る傾向にある、と何かの映画のパンフレットに載っていたのを読んだ記憶があります。
相変わらず人が吹っ飛ぶ、オーバーアクションもありますが(まあ、それはそれで楽しめる作品もありますが)、一方ではリアリティのあるアクション映画もありますね。
例としては『RONIN』『HEAT』『マイアミバイス』等の見事なスタントながらも非常にリアルなアクションシーンです。
音響に実弾のモノを挿入したり、ワイヤーを使用する以外は全て実写だったりと、特撮で全て描ける21世紀ながら、寧ろ実写のリアリティ&重厚感にコダワル映画もあります。
お礼
丁寧に回答いただき有難うございました。 確かにペキンパーのそれは、エポックメイキングとされてますね。 質問した主旨は、倒れた相手に対して極端な場合には近づきながら更に 撃ち込む場面が、残酷というより理不尽に思えてしまうのです。 勧善懲悪をより強烈に表現したのでしょうが、いつもこういった場面では、そこまでやるかと感じてしまいます。 デ・ニーロ、パチーノが出てると、場面より彼らの演技に魅入ってしまいます。 まあ、それなりに楽しんでいこうと思います。 お世話になりました。