お世話になります。
かなり前の話ですので、ハッキリとは憶えていないのですが、『リングの魂』で南原清隆と蝶野の対談が有りました。
その時の話の記憶では、「3度目のG1優勝をした年、自分はG1を既に2度制してるのに、その時に自分の名前がV候補に挙がっていなかった」云々の話が有ったと思います。そういえば94年のG1優勝の表彰式の際、マイクで何か不平不満みたいなモノを叫び、優勝賞金のパネルをリング下に投げ捨ててましたね・・アレが実質上の“ヒール転向宣言”だったのでしょうか・・・
“闘魂三銃士”“G1男”と呼ばれながら武藤、橋本に比べて存在感が薄く、当時の現状に甘んじている状態に居るジレンマも有ったのかもしれませんが、それゆえに武藤、橋本に比べての自分の待遇に対しての“会社への不満”というのも、もしかしたら有ったのかもしれませんね。のちに彼は、会社側に給与体制などの待遇改善を訴えています。
もう1つ、コレは私の勝手な憶測なのですが、ヒール転向の要因といたしまして、ヒロ斉藤の存在が有るのでは・・とも思ってしまいます。
ヒール転向後、彼は暫くは“一匹狼”だったと思うのですが、スグにヒロ斉藤が“助太刀”しています。まだ蝶野が闘魂三銃士で、ヒロ斉藤が「レイジング・スタッフ」だった頃、某雑誌で「蝶野よ、自分の顔を鏡でよく見てみろ!ベビーとヒール、どっちが似合うか分かるだろ!」というヒロ斉藤の発言が有ったと記憶しています。もしかしたら、蝶野もヒロ斉藤も、この時の事を憶えていたのでしょうか・・それ以降、この2人は、ずっと行動を共にしています。
彼が現在までヒールを続け、結果として新日本の“ドン”になるなんて、当時の事を思うと私も想像してませんでしたね・・しかも、その間に三銃士の残る2人・武藤と橋本が共に新日本を飛び出し、蝶野だけが残っているというのも考えてもいませんでしたね。 (文中敬称略)
お礼
ありがとうございました