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憧れのライダー(GP)
40代の男です。 友人とバイクの話をしていた時、「憧れたライダー」の話になり、盛り上がったのですが、皆さんは、「憧れのライダー」はいらっしゃいますか? ちなみに僕は、「マイク.へイルウッド」と「バリー.シーン」の名を上げたのですが、僕より10年若いと「知らない」人も多いようで(笑) カテは、アンケートのほうが合っているのではないかと判断して、こちらに質問してみました。
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金谷秀夫さんかな・・・ GP500に参戦してシリーズ途中で帰国する。 何とこの時点でシリーズトップです。 500ccクラスで初めて1位で表彰台に上がった日本人です。 帰国した理由は色んなウワサがあるけど 本人はYAMAHAのサラリーマンなので会社からの命令で帰国したと言っています。 それでも最終ランキングは500ccクラス3位です。 歴史に『もし』はないけど、もし最後までレースを続けていたらシリーズチャンピオンだったかもね。 バリー・シーンはかっこいいですね。 チャンピオンになるとゼッケンは『1』なのにゼッケン『7』にこだわって『1』を付けなかったことで有名です。 あとはケニー・ロバーツかな。 近代のライディングスタイルを確立した人です。 メチャクチャ速かったです。
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40代男性です。当時は情報も限られていましたから、仕方がないですね。 よっぽど好きで情報を集めてないと。バイク雑誌を10年も貯めている 先輩でもいればいいんでしょうけど。。いないでしょうね。 私の場合はフレディースペンサーでしょうか。
お礼
スペンサーは、稀代の天才でしたね! 83'のケニーとの死闘ともいえる争いは凄いものがありました。 リラックスしているように見えるフォームと、とても柔らかく、鋭いバイクの扱いは、正に天才だからでしょうか?(笑) 一時期、あのカラーリングのヘルメットが欲しい、と思ったこと、ありますよ!(笑)
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お礼
金谷さんは、確かに、「あのまま行けば...」という思いはありますねぇ。(悲) 当時の社会も、メーカーも、「世界で一番」になることより、「世界水準で売れるバイク」の製作に躍起になっていた事もあったのでしょう。 テストテストの合間でのGP参戦だったようで、「会社の意向」に従うか、「世界の頂点か?」で迷ったこととは思いますが、当時の社会の風潮では、「戻らなければ....」という苦渋の選択ではあったと思います。 バリーは、ある時から、「7」しか付けず、チャンプを取った時ですら「7」をつけていましたね。 7の由来は忘れましたが、「ナショナルナンバー」を固定で使ったのは彼が初めでではなかったでしょうか。 ケニーは、もう、近代GPの「代名詞」ですから、名が多く挙がるかな、と思っていたんですが。(笑) アメリカン.ライディングなんて名称まで付き、「解読本」まで出たくらいですし。 レイニーを見たとき、「更に近代化されたケニーだ」と思いましたねぇ。 回答、ありがとうございました。