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ロッキード事件の田中角栄

宜しくお願いします。 何故、ロッキード事件で逮捕後、保釈された当時の田中角栄首相は、その後の第34回衆議院議員総選挙において再選を果たす事ができたのでしょう?今のご時世では、ロッキード事件級の犯罪を犯していたら、政治界で存在すること自体難しいと思うのですが。 しかも、その後も彼の発言力・影響力が強かったとも聞きます。彼がそうであることができたのは、一体何故あのでしょうか?

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  • questman
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回答No.5

ひとつは地元新潟の特殊性にあると思います。 今でも地震で大変苦労されている、あの地域が彼の地盤です。場所によっては雪で道が閉ざされ、病人をソリに乗せて医者へ連れていくまでに亡くなってしまったとか、出稼ぎにも行けず昭和40年代まで主食は豆だったとか、そういう事を聞く地区もあります(全域がそうではありませんが)。そこを角栄氏がアスファルトの道を敷いたおかげで、人命が助かったり人並みの食事ができるようになったわけです。彼らの角栄氏に対する恩は察して余りあるでしょう。賄賂の一件や二件で、その恩義が崩れるわけでもなく、むしろ「恩返しだ!先生の危機にはワシらが支えてやらにゃ」という気持ちも当然あったと思います。事実ロッキードの時は意地悪なマスコミが西山町の農民をカメラで追い回していましたが、当時の老婆の一言「イネショ(新潟にいない人・ヨソモノ)にゃ、わからね」には深い思いを抱きました。 もうひとつは、角栄氏への「夢」ではないでしょうか。彼の後でもリクルートをはじめさまざまな贈収賄事件が起きていますが、みんな私利私欲に基くものばかりです。角栄氏も確かに金の匂いが絶えずプンプンしていた人物ですが、「角サンなら、きっと何かやってくれる」という「夢」がありました。私見ですが今の政治家にはこのような夢を抱ける人物は皆無だと思います。この辺はリクルートの竹下氏や金丸氏などと比較しても明白な差です。 余談ですが、角栄氏があと数年総理でいられれば、北方領土問題や日中の領土問題、日米地位協定などは今と全く違った(無論日本に有利な)状態になっていただろうと思います。

trnc
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 当時の人々の考えが分かってきた気がします。。どんなに犯罪人に成り下がっても「恩」がある以上、そうそうその気持ちが薄れる訳ではないのですね!確かに厚い恩義(見返り)にはそれと同等以上のもので返さない限り何となく気持ち悪いですものね。 私は中曽根さんあたりからの年生まれですが、ここまでの回答から察するに、当時を知る人から、田中角栄という人物と90年代以降の首相を比べたら、そのチカラの差は歴然なのでしょうね。。「夢」を抱かせる首相…うーん、凄い人物です。

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回答No.6

政治家らのあいだに、冤罪である認識、確信がが強かったから・・ ではないでしょうか・・ 古い政治家なら 冤罪の可能性が強いと共通認識があるように思えます・・ 仕組んだ時期のポストの異常な移り変わり・・の不自然さ・・ 佐藤孝行さんの橋本内閣での「まあ、まあ、怒りを鎮めて・・」対策・・?!? 戦中、天皇陛下に法華経を信ぜよと言って 不敬罪で入獄され、 初代牧口氏はそのまま獄死、 その甥っ子の戸田氏とは当時の内務省官僚特高との取引で、 出獄後、学会を安井誠一郎東京都知事の元で社団法人のつもりが 宗教法人に訂正され登録され、 始めた「正学館」出版業⇒「東京建設投資組合」(サラ金?)⇒「大蔵商事」で、 聖教新聞収益も税法の特典が使え、 また、、 池田大作氏は大森屋のりの分家の息子だそうで・・ 当時、まだ日蓮宗一派だったころの蒲田支部長が三宅氏で、 東京都知事安井氏の弟・謙氏の妻は大森氏で、養子婿である父の妻の妹の養子婿の夫は三宅氏の出身で慎次郎氏、 池田大作氏の妻は白木氏の次女・・・・・白木屋事件??とは?? 兎に角・・ドロドロ感が強い団体だからこその見た目、聞いた言葉だけが 非日常的に美しく舞い上がってる・・胡散くささ・・ (創価学会が宗教法人を認可された東京都知事・安井誠一郎の妻は石原氏(慎太郎氏の立正会?も日蓮宗がもと??立正佼成会??も日蓮宗系??で政治的に同根?? また・・彼は宇垣一成朝鮮総督府時代の秘書官でもある・・・) どうも・・・ 宗教法人にしては、 生ぐさ過ぎる・・・ ま。。。そもそもの理念が・・ カントの価値体系「真・善・美」のなかの 「真」を単に“認識”の対象として、    価値からはずし、    代わりに「利」(現世利得)を三大価値に据えている!?    彼にとっての「真理」とは   「利」(厳正御利益)を得るためには、   “認識”でどうにでも転がせる、or   転がすことが許されるレベルの下級価値として定義づけられている・・・・なら!?! これこそが・・・ ユダヤ政商の戦略と合致する      資本第一主義哲学では・・・!? 須山秀吉、笹川良一(元、国粋会の青年隊長)や藤吉雄(蒲田区選出都議)との 交際で 学会が政財界で大きくなり、(1956年大阪で選挙違反逮捕) 塚本素山(学会顧問)を介して、児玉誉士夫との知遇・・  公明が大きく進展したのは・・ ロッキード事件がきっかけに思います・・ 以降は、渡辺・山口組と協力体制をとり、与党として実権を掌握。。 ☆ロッキード社は、ディーク社を経由して、児玉誉士夫に送金し、  岸と通じてる天下り官僚通して紹介され、角栄さんに渡したとされているが・・・ ここでも学会が絡んでいる・・のでは??!? もし・・?!?角栄さん秘書ともども、満額の資金を受け取っていなければ・・・ ならば・・消えた資金の行方は?? 牧野菊之助大審院の指示で、牧野氏の「利」優先の哲学が     1WW中の     政財界教育特高らの政財界人に支援され、     世界大戦中に、     彼らを中心に     「創価教育学支援会」が結成され、のち、「創価学会」となる・・・??!? が、、恐ろしいことは・・その後の日本近代史で・・・ この「真」よりも「利」を優先させる価値観が・・ ユダヤ政商工策員である政財界人らと共に ユダヤ政商の愛児である新渡戸稲造がリーダーだった 「郷土会」メンバー通じ、 柳田國男や 田辺寿利(社会学者)、 教育関係者、 田中隆三文相(立せい公成会、にも関係?、日本の民族史にまで 関与し、日本人の民衆文化の真実を歪めた形で、 遺すもの、強調取り上げる遺跡、文物が変わり、 戦後GHQ教育とともに文部省と連携して、      子供たち(現、高齢者ら戦中派)への歴史認識に      影響を与え、      日本の近代史への尊厳を大きく傷つけたままであることを放置することになってる・・?!?    が、まだ大家族性が解体された世代でないので、 彼らにはその学校教育の影響は少ないかもしれない。。     実生活、実体験が重い。。 日本の近代史で、あやまったとされても仕方ないのは・・・ 以下で言うと、、 (1)の結果である、 (2)の結果に至る、 (3)のプロセスの部分ではないだろうか?!? (1)(2)を日本も清国も朝鮮もドイツもどうすることもできなかった・・・ 一方的に振り回される、 なされるがままで有った立場で、、 (3)の時点で、止めれなかったことだけは悔やまれて仕方ない・・・ 又、(1)(2)を今、米軍の元に ミャンマーや中東、アフガンなどで、 テロとして当時の日本や清国、朝鮮と同じ立場におかれてる民族、国があるとみると・・・ 同じつらい体験を持った者として、、 欧米のユダヤ政商の暴力に対して、 何とか手を差し伸べることはできないかと思う・・・?!? 長井さんも一之瀬さんもきっと!同じ思いに打たれての 報道だったに違いない・・・?? 戦後GHQが残した近代史しか資料がないので、、 古書をひも解き・・ 1937(S7)年6月、(ただし、草稿はS4年春のままとの「序」) 改造社「経済学全集 第24巻――極東における帝国主義」猪俣津南雄著の時点での 日本国民がどういう状況に立たされていたか・・・という 「真実」「真相」をたどると・・・ (客観的に、フェアに!日本も含めた)列強による支那(China)侵略を、S4年春までを3段階にわけられている・・・      1840年(天保11)のアヘン戦争までは、     支那はナポレオンに称されたように「眠れる獅子」を続けてきた     当時の支那社会は、“アジア的特徴”をもった封建社会で、     農業生産が経済基盤で、   村単位の独立的な自給自足経済的      都市で支那独特のギルドの手工業、商業がみられるだけで、      貨幣価値が行き渡っておらず、「5里~10里外まで渡る 大規模の商品交換は稀だった」 政治は、 清朝皇帝が主権を名目上はもっていたが、 実際には地方分権で、 事実上の支配実権は中央と地方の官僚が掌握し、 特に、軍事上、武器の進歩が非常に遅れ(不要であった)、 全国組織がなく、当時の支那は全くの非武装と言って等しかった 欧米資本主義諸国は、 この無防備の農業国支那の宗主地域、東亜に 自己の工場大量生産物を持ち込む建前で、 軍艦と兵隊を差し向け、 1840年、アヘン戦争は支那侵略の火ぶたを切った 列強による支那(China)侵略は、3段階を経る (特高の時代の為か、伏せ字?が見られます「X」のところ) (1) アヘン戦争(1840~42年)~日清戦争(1894年M27): 特に英国で著しく発展した近代資本(マルクスが「産業資本」と称したもの)が、 支那を市場に拡大し、自己の市場として征服せんと力め、 征服の過程で、列強同志が激しく競争し合いながらも常に英国にリードされ、 ほとんど無抵抗な支那にはどの国も傍若無人に振舞うことができた かくて、彼らは絶えずXXXXXをもって、着々と経済的XX(占領?)を推し進めると同時に、支那領土の要所々々をXX(占領?)し、 おのおの支那の政治的支配へと進出すべき足場をかため、 次の段階のXXXXを準備した (2) ~世界大戦(T3): 支那の戦場に新たに、独、米、日が加わる (ここで日が加わるのは、当初は足もとの火の粉を払う意味もあり、  また、幕末、明治期のA・サトウやグラバーら英ユダヤ政商(香港上海銀行資本?ジャーシン・マセソン商会のロスチャイルド系)による人事で  日本政府、識者世論、財界、軍部が成立していたことにもよることに注意)  この段階の侵略は「金融資本」(資本の最新形態)政策である「近代的英国主義侵略」で、 列強は、もはや、単に商品を売りつけることだけで満足せず、 例えば、 巨額の賠償金のXXにより、政治借款としてXXXに支那に高利息の資本を貸し付け、 或いは、 利権のXXにより、「武装した資本」を鉄道や鉱山や工場の形で支那に持ち込み、 支那の国家財政を全くXXせしめると同時に、 支那自身の経済発展を飽くまでもXXしつつ、 ついにXXXを完全にXXXXXに陥れてしまった かくして、支那に対して列強の政治支配は極度まで進められたが、 それとともに列強が支那を分割するための帝国侵略者相互の対立が激化し、 他方で、、 この期間に支那自身の資本が萌芽し始め、帝国主義の残忍と略奪、搾取が甚だしいほど、 闘い、燃え上る様になる。 1899(M32)年、團匪の反乱 1918(M44)年、孫逸仙革命など (3) ~現在(S4年春): 支那の奪い合いの結果により、 独、日、仏、伊も英米により自国の治安が脅かされることとなり、 致命的になるまで戦うこととなり、 IWWを引き起こすに至る (ユダヤ政商が、十字軍、ナポレオンの時代から、計画実行してきている  宗教的信念である「世界征服」を断念しなければ、  “真の”地球平和は訪れない・・・ ユダヤ教ラビの活躍が必要・・・!?! 彼らが「チビ黒ダンボ」の虎のようにチビ黒を餌にしようと闘ってる間に、 支那は、資本主義発展がされ、 それが、他弱小国のように政治リーダーが帝国主義者と手を結ばずに、 「支那の解放」を目指し、反帝国主義の国民運動が野火のように燃え広がる。。 1919(T8)年の蜂起を警鐘に、 ついに、眠れる獅子は起ち上がり、革命運動を巻き起こし、 (英米ユダヤ政商のアヘン資本(後のHSBC)と結びついて自己の権力を強めた蒋介石ら裏切り者を追い出し、) 日本もまた親分とした他帝国も、退却せざるを得なくなる 角栄さんも当時の財界人も、 同じ視点を持ったうえでの信念での 政治活動であったから・・・ 戦後GHQの東京裁判で恩赦され、 その後の政財界活動を約束させられた 岸派政財官人とは一線を隔している・・・???!?

trnc
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

noname#246288
noname#246288
回答No.4

ロッキード事件は、最近の事務所費の二重計上や、「ナントカ還元水」のように、元は国の税金を誤魔化して私服化したものではなく、ロッキード社が田中角栄に支払ったものですから、税金が無駄遣いされたわけではありません。 また、この事件で全日空が導入したロッキードL-1011「トライスター」は、悪いイメージがありますが、決して悪い買い物ではありません。この飛行機は先進的な技術を投入され、当時競合していたダグラスDC-10より高性能と言われてます。実際DC-10は当初貨物室のドアに欠陥があり、何機か墜落しました。 つまり、田中角栄は、総理の地位を利用し裏金を得ることができましたが、国民にとっては何の不利益も被ってないところが幸いしたのでしょう。

trnc
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そういう見方もありましたか!彼の贈収賄事件は一国家の総理としては認められませんが、冷静に考えれば確かに国民自体に被害が及んでいる訳ではないですものね。しかしその時点で、国民が政治家として彼を当選させるかどうかの考えに迷いが生じてもおかしくは無いと思うのですが、不利益が無いからとあっさり再選させる当時の国民の考え方にも疑問があります。今とご時勢の違いがあると言えばそれまでなのですけれど。

  • mimore
  • ベストアンサー率15% (8/51)
回答No.3

当時はどこの田舎もそうでしたが、道路事情が悪く、特に彼の地元は冬になると孤立してしまうような所が多く、そこに道路を沢山作り、雇用も増やしたりして、地元では絶大なる人気があったようです。 それにかなりお金も使ったんじゃないでしょうか。 あの頃の選挙は、地元のために働く人が票を多く取っていました。 今でも地方はまだその傾向が強いです。それが証拠に罪を犯してもまた政界に復帰した人はほとんど地方の議員です。千葉とか北海道とか。 しかし、もう、昔の選挙は通用しなくなってきていると思います。 彼のその後の影響力の強さは、やっぱりお金を持っていたことと、派閥政治が横行していたためではないでしょうか。

trnc
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 やはり地元の為ですか…。地元へなんらかの貢献をする事が、再び総選挙で当選してしまうほどというのは、当時は相当に喜ばしいものだったと見えます。彼の贈収賄事件の悪に比べて、今は失言程度で辞任を要求される程とやかく言われますしね。どちらが良いとは言えませんが「また地元の為に力を出してくれるかも…」という期待感を抱かせるという意味では、田中角栄はある意味凄い人だったのですね。

  • mat983
  • ベストアンサー率39% (10265/25670)
回答No.2

コンピュータ付きブルドーザーといわれるほど実行力のあった田中角栄氏の凄い所は、記憶力です。 官僚を含め会った人の名前は絶対に忘れず、また対立政党の幹部が海外視察の際、餞別にお金を渡すなど、数々の気配りが有名です。 財界などからの集金能力が彼の権力を支えていました。 また、小学校しか出ていない中、総理の座に登りつめたことから、豊臣秀吉となぞえられ、今太閤と呼ばれ、国民的な絶大な支持が集め、人気は小泉前総理より上です。 地元新潟では越山会という支持基盤が選挙で活動し、獄中からの出馬でしたがトップ当選をしました。これも皆、地元に利益誘導した実行力からです。 上越新幹線で新潟-東京間は2時間で着きます。 新潟は他の地域に比べ道路・橋の整備など公共事業がいち早く進みました。 逮捕された後も田中派は最大派閥で、しばらくリーダーの座に留まり、政治を支配しました。力の源泉は数と金です。 その後、病気で倒れ分裂しますが、竹下・羽田・橋本元総理は皆、角栄氏が育てた人材です。 民主党党首の小沢氏は田中派の中枢で学び、政治手法は叩き込まれています。

trnc
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 かれは小卒(?)なのですか!?それで総理大臣にまで…元祖太閤もビックリですね!地元インフラの整備・発達に力を注いだのが、獄中という立場でも地域住民の支持を仰いだ、という事ですね? ただ、権力はともかく、根本的に国民の代表である政治家として存続する為には、どんなに金があってもどうしようもないと思うのですが…当時の選挙事情は複雑怪奇です。

noname#74443
noname#74443
回答No.1

 新潟の片田舎の出身で小卒(今の中卒)でありながら、土建会社の社長から、代議士、総理大臣に成り上がった、新潟県民にとっては今太閤と呼ばれた人物です。公約通り新潟まで新幹線を通し、高速道路を通しました。  日本国中には批判もありましたが、新潟では絶大な人気がありました。  演説もうまかった。聴衆をドカンドカンと笑わせながら、いつの間にか持論を聴衆に植え付けていく。天才的なところがありました。

trnc
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 彼は新潟県からの出馬でしたよね。いくら絶大な人気を誇っていたとはいえ、その選挙の時点で、ロッキード事件の疑惑が浮上していたはずですが、それでは、国民(新潟県民)はそのような人物を選んだということになりますよね?いくら人気があるとはいえ、その人物選択が行われたというのは、現代に当てはめるととても考えられません。 実際に第一審がでるのは83年度と随分後ですが、当時の人気はそのような犯罪さえも「そんなの関係ない」と思わせるくらいのものだったということは想像に難くないのですけれど。 ありがとうございました。

trnc
質問者

補足

この場をお借りいたします。20w様への補足ではありません。 質問文に書き忘れましたが「ウィキペディアを見ればわかるよ」というのはなしでお願いします!見てみたのですが、どうも腑に落ちないのでこちらで質問をさせていただいておりますので… 20w様、失礼致しました。

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