真言宗も総合仏教?
先週、幾つかの真言宗(豊山派)の寺院にお参りに行ってきました。
それぞれ御本尊がお不動さん、十一面観音さん、阿弥陀さん、薬師さん、お釈迦さんと色々でした。
真言宗では「自分も含めて諸仏諸尊は大日さんの一部である」という教義らしいですが
そこで阿弥陀さんを御本尊とするお寺の和尚さんに「阿弥陀さんには阿弥陀経を上げるのですか?」と聞いたら「15日が縁日ですのでその日には私達僧侶が阿弥陀如来根本陀羅尼を唱えたらお檀家さんや拝観者さん達と一緒に御名号と御真言を七回唱えて阿弥陀経を読んで差し上げます。」と仰っていました。驚きました。まさか真言宗寺院で「南無阿弥陀仏」と唱えているとは思ってもみなかったからです。さらに「葬儀法要でも御故人に極楽の御浄土の信仰があると分かった場合は阿弥陀三尊に御来迎戴いて引導を渡すこともします。」と和尚さん。
帰って来て檀那寺の和尚さんにその事を話したら「そりゃあそうでしょう!大切な事は信徒さんや亡くなった人が何を求めていたかを見極めることだよ。人の価値観や信仰は十人十色だからね。安心(あんじん)になってもらわないと。教科書的に弥勒さんとお大師様が迎えに来て兜率天に往生しましたと言っても理解出来ない人が多いんだよ。細かい事を気にしない人や遺族だったらそれでもいいのだけど阿弥陀さんと縁がある人には阿弥陀経を上げて阿弥陀さんの元に逝ったと言うさ、あんた。葬式は遺族の心の安らぎのためでもあるんだから。」と。
私「では、薬師さんを信仰している人には浄瑠璃世界もあり得るんですね?」
和尚さん「そのとおり!『南無薬師瑠璃光仏』と唱えて御真言や陀羅尼と唱えて薬師経をあげさせていただきますよ?」
私「死んだら大日如来に帰依するんですよね?」
和尚さん「そうだよ。この宇宙は大日さんそのものな訳だから阿弥陀さんが治める極楽だってこの宇宙の一部な訳だから極楽に行って阿弥陀さんのお世話になったとしても大日如来に帰依している事に何ら変わりはないんだよ?」
私「つまり、特に信仰がない人やこだわないであろう人には大日さんの弟子に、特定の仏さんに縁がある人にはその縁を尊重するという事ですか?」
和尚さん「その通り。」
私「法華経はうち(真言宗)には関係ないのですか?」
和尚さん「そんな事ないよ?結論から言うと全てのお経は大日経と金剛頂経に通じているんだよ。だからどのお経を上げたって結局は大日経や金剛頂経をあげているのと同じなんだよ。だからお坊さんによっては阿弥陀経は必要ないって考える人もいるらしいよ。でも僕はそうはおもわないけど。
だってそのお経にしかない個性があるでしょうよ、あんた。阿弥陀さんには阿弥陀さんにしかない個性があるでしょうよ、大日さんにはない個性がね。それがまたいいんだよ。」
私「法華経はレベルが低いってお大師さんは言ったらしいですね?」
和尚さん「完璧なお経などありゃしないさ。それにさっきもいったように全てのお経は大日経と金剛頂経に通じているのだからそういう解釈ができたんだろうね。でも本当にそんな事言ったのかねえ。」
最後に「それぞれの縁日毎に色んなお経を上げているから時間があったらいらっしゃいな。」と。
阿字観という座禅、様々な種類の念仏と真言、豊富な種類のお経・・・。
天台宗とはまた違った切り口で総合仏教であると感じました。間口が広大です。
密教ですが顕教も内包しているのでしょうか?
そういえば天台宗も正式名称は天台法華宗で伝教大師は法華経に重きを置いたのに時代がさがって密教等の要素を取り入れたのを思い出しました。