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看護学大学の教員

短大や大学で教授など先生をしている(元?)看護師の人は太ったおばちゃんタイプか、痩せて魔法使いのおばあさんタイプが多いように見えて、とても「この人が有能な看護師だったの?」と思う人がほとんどえです。 一説によると、看護学の教員は“臨床が続かなかった(臨床能力のない)看護師”の受け皿になっていると聞きますが、ほんとうでしょうか?

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  • nobita60
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回答No.2

耳が痛いですね。 ただ、体型と実践力には相関は無い様に思います。年齢的に代謝が低下し、摂取量に差が無いとき肥満となります。ホルモンの影響も大でしょう。 大学の教員も5年の臨床経験は必要ですが、守られているわけではありません。教員は学歴と論文数で評価される傾向にあります。最近、実務家看護師も評価の対象になっていますがそれは微々たる評価です。博士号を取得またはそれに匹敵することが教授の条件です。いうなれば実践力は評価されず、肩書きと論文数が評価の対象で、いずれしっぺ返しがあると思います。 看護は実践の科学、でも50歳以前の年代は実践の科学ではなく論文評価(これは無理からぬことです。看護系大学を一気に増やしたため、修士・博士号取得者を重んじたから。でも、50歳代の看護師は実践力に加えて高い学歴を得るため努力した。今は実践ではなく教育で号を取得) 看護の教員は実践力が・・・、それは違います。(でも今からの教員はその可能性があるかも) 今までの教員は叩き上げが多く、実践力と学歴が備わった人が多い。でもこれからは実践力を有する教育が主眼でなく・・・、一抹の不安を覚えます。学歴と実践力が備わった実践者を輩出したい。でもこういった考えをもつ教員はもう直ぐ退職期を迎えます。世代交代が完成した後の看護を憂う気分です。(でも今は最後の力を振り絞って実践力のある看護師を育てたいと奮闘しています。

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その他の回答 (1)

  • kayruby
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回答No.1

看護学の教員は臨床で続かなかったのではなく、臨床に興味がない、というのが臨床看護師のわたしの見方です。 現在全国の看護大学で教授をしている人たちには、基礎看護学や臨床看護学、看護管理学などを除いてほとんど臨床経験はないはずです。看護学というのは本来学際的、学問と臨床とが非常に近い分野ですが、日本の場合には乖離していることが多いです。現在の日本の看護は多くを米国から学んでいて、その米国では修士までは臨床に戻ることを前提として開設されており臨床経験のある看護師を対象にしているのに対し(その内容も非常に実践的です)、日本では修士は研究者を育てるための教育の場という前提になっていることが多く、学士を終えてそのまま院進学する人も多くいます。今でこそ日本でも看護大学が増えていますが、少なかったころ、たとえば今から20年、30年前は看護学士課程自体も研究者を目指す者が入っていたはずです。実際当時それだけの経済的な余裕と偏差値があったのであれば、現在よりさらに悪い条件で臨床勤務をする理由もありません。以前修行させてもらっていた病院でときどきこの分野では有名な教授の方と話すことがあると、「ああ、言ってることが雅だなあ」と臨床と感覚が離れている印象を強く受けました。学問として看護を深く追求するのだから臨床は必ずしも関係ないということかもしれません。だれのための学問なのかちょっとよくわからないですが。 看護専門学校の看護教員は5年以上の臨床経験があることが看護教員資格取得の条件になっているので、こちらの教員には間違いなくある程度の臨床経験があります。有能な看護師が結婚や出産を機に日勤だけの仕事をしたいと方向転換することもあるし、他の仕事同様それ以外のケースもあると思います。ただ、臨床で有能な看護師が有能な教員になるとも限らないしその反対もありますから、そのあたりは個々の教員を見て判断するのが筋だと思います。

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