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戦前に流行った風刺曲

母がときどき口ずさむ面白い唄についてお伺いします。 記憶がとても曖昧なので詳しいことはわからないのですが、 戦前のいつ頃のことか洋行の流行を風刺しています。   …洋行…はやりもの…ゴンベもタロベも…   発っていく仕度は三越   その身はチャッチャめっちゃくちゃ   向こうに行ってもウィルソンやクレマンソン   みな吾輩のフレンドなんぞ   ぐっと反り身になってステッキふりまわす どこか越後獅子のようにも聞こえる節で、実際はかなり長い曲のようです。 とりとめのない質問で申し訳ありませんが、 どなたかお聞きになったことがある方はいらっしゃいませんでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • nekoirazu
  • ベストアンサー率65% (23/35)
回答No.1

あいにく、聞いた事はありませんが… 出てくる人物名(クレマンソーとか)から、大正8年のベルサイユ講和条約の日本全権団への風刺か、或いはそれ以降の洋行者をバカにしているものかと推察します。 日本は講和会議に5大国の仲間として参加したのですが、西園寺公望がクレマンソー仏首相と個人的に親しいといった理由などで、本来は4大国なところを5大国にして加えてもらい、そのくせ、首席全権の西園寺公は会議で一言も発せず、そうした事情を知らない日本国内は、日本代表の発言権の低さに批判が強かったと伝えられています。 さらに悪いことに、西園寺公が妾連れで船上にいる写真が仏紙に掲載され、これは日本にも紹介されて、悪評散々だったらしいです。 日本全権を風刺した替え歌かは定かではありませんが、「向こうに行ってもウィルソンやクレマンソンみな吾輩のフレンドなるぞ」といったくだりから、少なくともこの2人の名前が並んで日本の一般国民の頭にも記憶される契機となった、大正8年のベルサイユ講和会議以降に作られたものかと思われます。

aoi50
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「ベルサイユ講和条約の日本全権団への風刺か、或いはそれ以降の洋行者をバカにしているものかと推察します。」 なるほど確かにお考えの通りのように思えますね! 早速ご示唆の「ベルサイユ講和条約」で検索してみます。 ありがとうございました。

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