こんにちは。
私も捉え難いものをわかり易くする為の「擬人化」だと思います。
子供にいきなり国の仕組みを教えても、見たことも聞いたこともないことばかりでさっぱりでしょうが、それを身近な家族などに例えて説明するなどするとぐっと捉え易くなります。それと同じことで、実際には「わかったつもり」になるだけかもしれませんが、それでもまず掴むことの出来るかたちにすることは重要です。まったく掴みどころがなくては話が何もはじまりません。
昔はどんな民族も多かれ少なかれアニミズムのようなかたちの自然崇拝だったので、目に映るあらゆるものに「霊」や「神」が宿っていると考えるのはごく自然なことですが、やはり哲学の国ギリシャは一味違いますね。抽象概念にまでそれが及ぶのは中々高度なことであると思います。
ヒンドゥーのカーリーなどは確かに「死と破壊」の神と言われますが、それは「死と破壊」をもたらす存在であるということで、「死」や「破壊」という概念を直接具現化したものとは少し違いますよね。
そこへいくとギリシャには確かに「死」だとか「眠り」だとかいったものを神格化したものがいます。
ただ抽象概念を神格化したものは「それだけ」の存在であることが多く、きちんとキャラクターを与えられて神話の中で活躍するということはあまりありません。そういうところが抽象概念の神格化というものの限界なのかもしれませんね。
神話世界で様々に活躍するのは例え「○○の神」と呼ばれていても単に抽象概念を神格化したものではなく、様々な要素を併せ持ち、より「人間」的なキャラクターを持たされた神々です。
これはやはり捉え易いように神格化してみたものの、やはりただの抽象概念では扱い難いということなのでしょう。
神々が人間とは異なり例えそれを超越する存在であったとしても、それを作り上げ活躍させるのは人間な訳ですから、魅力的になればなるほど「人間的」になってしまう・・というかせざるを得ないのはある意味仕方のないことなのかもしれません。
例え本当に「人間とはまったく異なる存在」というものを創造してみたところで、人間の想像力ではやはりどうしてもどこか人間的になってしまうことは避けられないのではないでしょうか。
何かとりとめのない話ですみません。