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擬人化が多いですよね?
ギリシャ神話などの神話というものは、自然や抽象的概念などを擬人化し、神にしているものが多いですね。 特にギリシャ神話で驚いたのが、ゲラスという老醜の神やオイジュスという苦悩の神などまでがいるということです。 インドではカーリーのように、死と破壊の神もいます。 どうして、こんなにも擬人化し、神としたのでしょう?
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- mapato
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こんにちは。 私も捉え難いものをわかり易くする為の「擬人化」だと思います。 子供にいきなり国の仕組みを教えても、見たことも聞いたこともないことばかりでさっぱりでしょうが、それを身近な家族などに例えて説明するなどするとぐっと捉え易くなります。それと同じことで、実際には「わかったつもり」になるだけかもしれませんが、それでもまず掴むことの出来るかたちにすることは重要です。まったく掴みどころがなくては話が何もはじまりません。 昔はどんな民族も多かれ少なかれアニミズムのようなかたちの自然崇拝だったので、目に映るあらゆるものに「霊」や「神」が宿っていると考えるのはごく自然なことですが、やはり哲学の国ギリシャは一味違いますね。抽象概念にまでそれが及ぶのは中々高度なことであると思います。 ヒンドゥーのカーリーなどは確かに「死と破壊」の神と言われますが、それは「死と破壊」をもたらす存在であるということで、「死」や「破壊」という概念を直接具現化したものとは少し違いますよね。 そこへいくとギリシャには確かに「死」だとか「眠り」だとかいったものを神格化したものがいます。 ただ抽象概念を神格化したものは「それだけ」の存在であることが多く、きちんとキャラクターを与えられて神話の中で活躍するということはあまりありません。そういうところが抽象概念の神格化というものの限界なのかもしれませんね。 神話世界で様々に活躍するのは例え「○○の神」と呼ばれていても単に抽象概念を神格化したものではなく、様々な要素を併せ持ち、より「人間」的なキャラクターを持たされた神々です。 これはやはり捉え易いように神格化してみたものの、やはりただの抽象概念では扱い難いということなのでしょう。 神々が人間とは異なり例えそれを超越する存在であったとしても、それを作り上げ活躍させるのは人間な訳ですから、魅力的になればなるほど「人間的」になってしまう・・というかせざるを得ないのはある意味仕方のないことなのかもしれません。 例え本当に「人間とはまったく異なる存在」というものを創造してみたところで、人間の想像力ではやはりどうしてもどこか人間的になってしまうことは避けられないのではないでしょうか。 何かとりとめのない話ですみません。
- samotorakeno
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まったくの私見ですが(^^;) 「神」といった概念を創り出したのは人間であり 人間が創り出したものであるからわかりやすく 擬人化するのだと思います ギリシャ神話に限らず 自然現象(台風や地震など)や自然そのもの(山や滝など)を 擬人化したものは多いと思いますよ 「神」といっても妖精や精霊に近いものは 日本でいうなら妖怪に置き換えもできますし・・・ね
- chibiari
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確かに…擬人化した神様とか多いですよね。 人に教えるとき・信仰を深めたりするときに、その方が理解しやすいからと言うことも考えられるし…。 昔は現代よりももっと自然が身近にあった事も関係しているのかなって思います、闇や光りに敏感だったり、医療技術だって今ほど発達しているわけではないので…生死に関わることが、今よりももっと身近なものだったり。 あと、物や感情の一つ一つを大切にする事を教えたりするのにも役立ちそうです。 そんな意味では、日本や特に東アジア圏は特に多神教だそうです…こんな物まで!?ってくらい色々な神様が居ます。 アイヌの神話の中にも(鍋や釜戸や動物など)多くの神様が出てきます。 神様という抽象的(心のより所・不安定な感情を補う存在)な存在を、より身近に感じるためにも擬人化するという方法が、一番単純で崇めやすかったからではないか…と私は思いました。 あやふやな文章ですみません。