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友引に墓参りをしてしまった場合どうすればよろしいのでしょうか?
本日私と父で出かけていたのですが、車で父方の祖父の墓の近くを通ったため「近いから親父のところにでも行ってみるか」ということになり、墓参りをしてきました。ところが、帰宅してカレンダーを見たところ『友引』と書いてあるため大変困っております。母も「友引にお墓参りに行く人なんていないでしょ!」と怒り出す始末です。確かに霊園に行った際、人が一人もいませんでした。 カレンダーをチェックせずに行ってしまったのは本当に失敗したと思いました。「これでもし身内に何か不幸があったらどうしよう」と怯えています。 こういったことはやはり大変まずいものなのでしょうか?まずい場合はどのようにすればよろしいのでしょうか?どうぞご回答よろしくお願いいたします。
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暦をみる際に六曜は用いる必要はありません。 もともと六曜は現在の七曜同様に、日にちの区分でしかありませんでした。旧暦では… 1、7月 の1日は先勝 2、8月 の1日は友引 3、9月 の1日は先負 4、10月の1日は仏滅 5、11月の1日は大安 6、12月の1日は赤口 というように配当され、順に送られます。 暦注としては江戸末期ごろから登場しますが、旧暦時代では吉凶の意味づけはありませんでした(重視されなかった理由は簡単です。なぜなら正月1日は必ず先勝となるなど、日にちが固定されているものに吉凶を付会しても意味ありませんから。現代でいうなら日曜日は凶、月曜日は吉というようなものです)。 ですから暦学・天文学の書物(『永暦雑書』など)では、紹介程度にとどめてさほど重要視していません。それどころか、その命名由来や発祥についても、事実無根と批判しています(ちなみに当時、暦は幕府によって発行・管理され、民間で勝手に売買できませんでした)。 明治時代に政府が太陽暦を採用した際に「迷信的産物」として、七星・九曜・二十八宿・十二直・金神遊行日などの吉凶を暦に載せることを法律で禁止しました。明治以降も暦は政府刊行物だったのです。 ところが民間では吉凶の掲載された暦を求めたので、俗に「おばけ暦」と呼ばれる地下販売の暦が流行しました。その際、それまでの複雑な暦学・天文学の理論が必要でない、ただ単に機械的に配当するだけでよい「六曜」が重宝され、しだいに文字面だけから吉凶の意味が付けられます。しかも、旧暦と新暦から生じる月日のズレから、さもなにか神秘的なものがあるかのように誤解されました(暦に書かれている六曜と旧暦の日にちを見比べてみてください。前述通り、単に機械的に配当されていることが分かります)。 そして戦後、暦が政府刊行物から「出版の自由」の下、民間でも販売できるようになると六曜は大流行します。なんとなく「昔から使われてきた…」と思われがちな六曜の吉凶判断ですが、なんのことはない昭和30年代以降に前述のような暦・天文の歴史を知らない巫呪売卜の輩が、したり顔で吉凶を喧伝するようになったにすぎないものです。 六曜の吉凶判断はそういった歴史の申し子です。ですから、現在でも伝統を重んじる暦学者は、六曜の吉凶判断を否定・批判しています。 墓参ということは仏事を行います。偉大なる仏様の慈悲と智慧の前には、六曜程度左右されるわけはないでしょう。 >「これでもし身内に何か不幸があったらどうしよう」と怯えています。 逆にいえばそんな考えにとらわれている以上は、例え大安に墓参してもまた別の何かに“不幸の原因”を押しつけて怯えるだけです。お釈迦様は「この世で生きることはすべて苦しみである」とまず自覚されて、それではどうすればより良き生き方ができるかを求められたのです。墓参で仏事を営むということは、とりもなおさずお釈迦様はどのように生きるべきかを故人と生者とともに語り合うことではないでしょうか? であれば、そのような良き仏縁を頂いたありがたい日が、六曜ごときに惑わされてどうするのでしょう。まず六曜を捨てましょう。
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- akatsuki591
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私なら、全く気にせず墓参りに行きます。 六曜なんて所詮、占いの一種のようなものです。 仏教とも全く関係ありませんし、別段気にするほどのこともありません。
お礼
ご回答誠にありがとうございます。 他の方の回答にもあるとおり、本当に問題がないようですね。安心致しました。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 大変詳しいご回答で勉強になります。 >そして戦後、暦が政府刊行物から「出版の自由」の下、民間でも販売できるようになると六曜は大流行します。なんとなく「昔から使われてきた…」と思われがちな六曜の吉凶判断ですが、なんのことはない昭和30年代以降に前述のような暦・天文の歴史を知らない巫呪売卜の輩が、したり顔で吉凶を喧伝するようになったにすぎないものです。 こういったことが言われるようになったのは戦後なんですか!驚きました。今度祖母に戦前にこういった「迷信?」が言われていたのか聞いてみようかと思います。