私も、映画は隅々まで楽しみたいと思います。その結果が、きっと字幕をつけるということになっていて、ある意味yuseiさんとは対極なのかな、と思います。
多分、私の場合、映画そのものを理解することにはあまり興味がないというか。それよりは、セリフの端々に現れるその国の歴史背景、日本との文化的相違を楽しみたい、という気持ちの方が強いかもしれません。
例えば最近知ったことですが、韓国では実の兄にも、恋人にも、「アッパ」という呼びかけをします。日本では兄は「お兄ちゃん」で恋人は名前で呼ぶことが多いです。すると韓国では、兄妹の感情の延長線上に恋人があるのかなあ、なんて思ったり。日本では恋人は韓国に比べて対等という意識が強いのかなあ、と。
(↑これは確証を得ているわけではありませんが)
また、映画「マトリックス」では「白うさぎ」が出てきたりして、童話の世界とうまくリンクさせているんだなあ、とか、童話のファンタジーな世界と「マトリックス」で言うところの「リアルワールド」が好対照なんだなあ、とか。
そんな風に考えると同じセリフもちょっと違うように聞こえたりして、それがまた面白いのです。そうやって背景が分かってくると、その作品の成り行きがどうしてそうなっていくのか、なんてことも理解できたりして、その国に行ったような気になります。
どうしても、日本以外の感覚をを日本語で表現するには限界があると思うのです。私にとって作品中の日本語はストーリーを理解するための指標でしかない(作品解説と同じような位置)のかもしれません。ただ、限界があると分かっているからこそ、原語の「香り」を壊さずに伝えている名訳に出会うと感動はひとしおです。
2回目なのに、何だか長々と書いてしまってすみません。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。本当に対極のようですね。(笑)