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リアルがなくなった、リアルが感じられない、とは。

よく、「リアルがなくなった、リアルが感じられない」 ということを本とかで目にします。 現代社会とリアルが関係しているんですか? 僕は、ゲームやアニメ、映画が「リアル」をつくっているせいで そういう風に考えるようになったのかな、と思ったのですが、 べつに現代じゃなくても、むかしでも、小説なんかがあったし…… 小説では描けない「リアル」がゲームやアニメ、映画などの持つ 視覚的な効果によって現実の「リアル」が失われてきたのかな とも思ったりしていて、曖昧です。 「リアル」がなくなったっていうのはどういうことなんですか。 教えて下さい。

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noname#245936
noname#245936
回答No.4

No.1です。 あと、ひとつ思いつく点としては。 貴方の言う、バーチャルな「リアル」というのは自分にとって 生命を含めたリスクが非常に小さいものです。 その反面、リターンも少ないんですがね。(笑) 火山を実際に見に行くのと、映像で見るのには大きな差があります。 こういった意味でも「体験か否か」という部分の差は大きいですし 仰るように、ケイタイ依存とかも説明がつくような気がします。

niraiseiki
質問者

お礼

こんばんは。 なるほど。確かに、リスクやリターンは少ないですね。 おもしろいです! ご存知かもしれませんが、 岡崎京子の漫画『リバース・エッジ』が 「リアル」を取り扱っているそうです。 たいへん勉強になりました。 回答ありがとうございました。

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noname#245936
noname#245936
回答No.3

No.1です。 「リアルが無くなったこと」 =「(元来)ほかの人の体験や意見を知りたかった」という部分 ですが。 補足しますとこんな感じでしょうか。 (宗教的っぽくなりますが、当方特にその気はありませんので  うまいこと読んでみてください。) まず。 自分が感じている「世界」(というか「世間」)というものを 冷静に考えますと。 つまるところ、実は自分にとっての「世界」というのは、自分の 脳が感じて解釈して咀嚼できている部分がすべてなわけです。 例えば、同じ味の同じものを食べても美味しい、まずいとか、 同じ都道府県市町村に住んでいても、ここが最高だ、NGだ。 年収1000万もらっても多い少ない。 田舎暮らしは人間関係がHot、干渉がうっとおしい。 音が心地いい、耳障りだ、気にしてなかったので聞こえてもいない。 …など。 それぞれが相応に感じているように、自分の感じている「現実」を つかさどる部分というのは、自分の脳が「世界」と感じている範疇に おいて、その中での、その場所での、そのときの、気分としての 脳が感じているアナログな相対評価でしかありません。 この世界が自分にとっての「現実」でありまして。 無機質なカメラで撮影する本当の現実現象、犬が見る世界、 昆虫が見る世界とは、近似値でありながら似て非なるもの。 脳みそのフィルタリングが大きくかかわっている評価の末の 感情を伴った「現実」であります。 ただ、万人共通しているのは「自分の世界の外側の知らない分野に 何か今よりすごくHappy なものがあるんじゃなかろうか? 知りたいよなぁ」というチャレンジ精神というか、好奇心という ものが常に我々には備わっているわけでして。 新たなことを知りたい、自分の「現実」という枠を広めたい、もし 知ることができると、これまた気持ちいいよねと感じさせる 脳内麻薬が出る。 単純にそういう脳の器官をもっているわけです。 ここを私は「(元来)ほかの人の体験や意見を知りたかった」と 表現しましたが、要するに自分の持つ「現実」の幅を広げて よりHappy に感じたい、自分の「現実」の外の情報をどんどん ほしいという(好奇心)欲があるという意味です。 さて。 そう考えますと。 貴方の仰る「リアル」=「実体験を伴わない仮想現実」ですが。 現在のゲームやアニメでは、聴覚、視覚、触覚、嗅覚、味覚の5感 刺激のうち、「聴覚」「視覚」を満たす刺激的な媒体がたくさん 出てきましたと。 で、本来、刺激の少ない日々生きるのに忙しい自給自足の 縄文人と我々を比較すると。 同じ24時間でも、縄文の彼らは実体験がすべて。 それが脳が感じる「現実」であったわけで、楔形文字見てもさほど 影響を受けなかったのですが。 我々は、TVやインターネット、ゲームや云々。 同じ24時間でも、過半数が実体験していない情報=「現実」、 つまり、「ハワイはいいよな」「これからは英会話能力は必須だ」と いう、実際にそのめにあったことがないのに、他の情報をうのみにし そういうように感じているわけです。 最低でも親が30代で死んだり…縄文人よりはるかにHappyな はずなんですけどね。 ただ、今の文化は長年の人々の「好奇心を満たしたい!」という欲を 満たす手段の一つであり、人間云万年の長年の夢であったことは 間違いないと思います。 こんな感じでいかがでしょうか?

niraiseiki
質問者

お礼

こんばんは。 再度、ありがとうございます。 解釈するためにyama-takuさんのご意見を まとめさせて頂きます。 自分が感じている「世界」(現実)は自分の脳が 「世界」と感じている範疇において、その時限りの、 脳が感じているアナログな相対評価でしかない。 だから、同じ時間に生きていても個人の「世界」は 全く異なったもので、それが「自分の世界の外側の 知らない分野に何か今よりすごくHappy なものが あるんじゃなかろうか?」という思いを起こさせて、 自分の「現実」の外の情報=他人の経験(経験) を吸収して、自分が体験した(している) ような錯覚を起こさせる。 さらに、縄文人と現代人を比べると、現代人は実体験以外、つまり 他人の体験に接しやすい。 そのため、現代ではそれを自分の「現実」にしてしまう。 そういった意味で、 情報化を含む現代の流れっていうのは、 様々な「世界」を知ったせいで、よりもっと「世界」を 知りたいとヒトに思わせてしまう。 だから、  僕の解釈と考えでいくと、現代のケータイなんかを絡めると、 「(元来)ほかの人の体験や意見を知りたかった」  というよりは(そういう性質が人間に元来あるとしても)、    他の世界を知ると面白いかも→知ると愉しい  →他人のやっていることが解らないと困る  →不安になる→携帯電話を離せない  っていう風になるのかなって思います。  これって、ホント現代特有ですよね。    むかしと比べると、寿命も延びて、不自由のない生活に  見える現代は、実はその性格のせいで逆に拘束されて  しまう結果になったのかなと思いました。    いろいろ考えることが出来て楽しめました。  感謝しています。  どうもありがとうございました!

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.2

たくさんの植物、たくさんの生物がリアル。 鉄とコンクリートで空調完備に隔絶する壁では、 ゴキブリ、ダニ、カメムシ、蛾、カラス、ネズミといった特定の生物しか見なくなってしまった。 鉄とコンクリートに囲まれた森は人口の森です。 不自然の森に住んでいるのですからリアルとは違うでしょう。 つ育った場所が地球規模で考えると鉄とコンクリートの森では触れれる物が、大自然で育って触れる物よりもはるかに少ない。 四季がある日本で365日変わらぬ景観は、本当のリアルな日本を感じれるとは思えません。 四季の行事も減ってきた。 会社も年中無休。四季を感じることも無い。 会社内は年中温度は一定。

niraiseiki
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 怖いですね。 リアル。 時間を割いて頂きありがとうございました。

noname#245936
noname#245936
回答No.1

これは、何となくの意見ですが。 「リアル」というのは。 日常茶飯事のつまらないことや、くだらないこと、当たり前のことや、 嫌なこと、卑しいことなどを目で見て肌で感じ「体験する」こと。 そして、その「体験を基準に物事を判断する」こと。 それが「感じられない、弱い」と言ったことは、その印象が弱く 何らかの「他人の刷りこみ情報の先入観が強い」こと。 そして「その情報によりあたかも自分が体験したかのように 情報フィルタリングをかけ、体験しようともせずに判断する」こと だと思います。 人の生死や、動物植物、食品、生活品など。 今は全部、他の誰かがやってくれるので、気にしなかったり、 気にも留めなかったり、逆にたいそうに考えていることも 多いかと思います。 死んだら死後の世界が…とか。 イスラムの教えはよくなさそうとか。 はたまたハマチは切り身で泳いでいないの?とか。 いろいろあると思います。 実際には、人が死んでも虫と一緒、今を生きるしかないとか、 イスラムも正しい理解では慈愛に満ちた教えでいい奴がいっぱいいる とか、ハマチは大きい魚なんだけど、実はいまみんなが食べている ハマチの種類は昔と違うとか。 (※注意 ここの例はあくまで例えです) 実際にはいろいろあるかと思います。 個人的には。 「リアルが無くなったこと」 =「ほかの人の体験や意見を知りたかった」 ということであり、インターネットやその他情報の発達はとても 重要でいいことだと思います。 「リアルとプロパガンダしか見えなかったからこそ、かつて戦争も していた」わけですから。 要はバランスで。 一つの視野で物事を見るのは危険、インターネットしたことない方は すればいいし、しすぎの人はちょっと別の何かを始めなさいよ ということじゃないですかね。

niraiseiki
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「他人の刷りこみ情報の先入観が強い」っていうのと、 「その情報によりあたかも自分が体験したかのように 情報フィルタリングをかけ、体験しようともせずに判断する」 はわかりました。 ぼくは、そういう風にとらえてしまう人がいるって いうことが情報化社会の問題点、だからこの場合 そういう風にとらえない人にとっては問題でもなんでもなくて 情報化社会はよいことなのかなって思います。 これって、yama-takuさんのおっしゃる 「要はバランス」ってことですよね。 でも、 『「リアルが無くなったこと」 =「ほかの人の体験や意見を知りたかった」』 がよくわかりません。補足していただけたら良いのですが。

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