現在の天狗のイメージは“鼻高の修験者”ですが、平安から中世にかけては鳥の顔でした。そして当時は、慢心のために魔道の堕ちた僧侶が天狗になるという考えが一般的でした。
さて『源平盛衰記』智巻第八「法皇三井灌頂事」には、
当知(まさにしるべし)魔王は、一切衆生の第六の意識かへりて魔王となるが故に魔王形も又一切衆生の形に似り。されば尼法師の驕慢は、天狗に成たる形も尼天狗法師天狗にて侍也。頬(つら)は天狗に似たれども、頭は尼法師也。左右の手に羽は生たれ共、身には衣に似たる物を著て、肩には袈裟に似たる物を懸たり。男驕慢は、天狗と成ぬれば、頬こそ天狗に似たれ共、頭には烏帽子(えぼし)冠を著たり。二の手には羽生たれ共、身には水干、袴、直垂、狩衣なんどに似たる物を著たり。女の驕慢は、天狗と成ぬれば、頭にかつら懸て、紅粉白物の様なるものを頬に付たり。大眉作てかね黒なる者もあり、紅の袴に薄衣かづきて大虚(おほそら)を飛もあり。
とあり。慢心した者は男性の僧侶にかかわらず尼僧、俗人の男性・女性も天狗になるとあります。顔は鳥で翼を持ち、姿は尼僧なら剃髪し衣と袈裟。俗人の男性は衣冠束帯、女性は紅白粉の化粧に紅袴とあります。
でもこれらは男女かかわらず慢心した者は魔道(天狗道)に堕ちるという概念を著述したもので、ことさらキャラクターとしての天狗を語っているとは言い難いでしょう。
室町後期の『稚児いま参り絵巻』(大阪市個人蔵)には、尼天狗の計らいで稚児と姫が結ばれるとい物語が書かれているそうですが、私は見たことないので、どのような姿で描かれているかは分かりません。