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劣等感を克服したい

 30代女性です。 日常生活ではあまり現れませんが、劣等感が強いのです。 たとえば人と競い合うことになったとき、自分が出来ず相手が出来ると、「くそー私だって!」とはならず 「ああ、やっぱり私だからできないんだな。相手の人はすごいな、勝負にならないや。」と手を引いてしまいます。  なにかをやり遂げようというときでもつまづくと、「ああ、わたしだからやっぱりできないんだね。」とすぐに思ってしまい途中でさっさとあきらめてしまったりします。 彼がいるのですが、女友達からの紹介だったため、彼と女友達が話しているのを見ると「あの女!」のような嫉妬心ではなくて 「ああ、彼女のほうが若くて頭もいいからな、私はそのうち捨てられるんだな」と落ち込んだり 私のことを以前好きだった人(私はそうでもなかった)にその女友達を紹介したら二人で盛り上がってしまい、それをみて 友人に「なによ!」という感情よりも 「ああ、やっぱり私は魅力が無いから、すぐにあきられたんだな。」と落ち込んでしまったり。(その男性が好きでもなかったのに!) なんというか、ひがみ根性ですね・・。 年をとってくると男性が絡むと余計に劣等感がひどくなった気がします。どうしても、男性の眼は若い女性に向きますからね・・。 劣等感・ひがみ根性のためにこの三十数年ずいぶん損をしている気がします。 「ちっくしょーあいつ!私のほうが!」と思える人がとにかくうらやましいです。 この年にしたら子供じみた悩みなのですが、今克服して、過去にあきらめていたことをやり遂げたいなと思っています。 克服方法、アドバイスおねがいします。

みんなの回答

  • lopk563
  • ベストアンサー率43% (14/32)
回答No.7

No.3の者です。 >>謙虚ですか・・・ >>私はそんなに高飛車でしょうか・・・気がつきませんでした。 >>素直に相手がすごいと毎回思っているつもりなのですが・・・。 >>そこから学びたいとも思うのです。 >>けれど、私はダメな人間だから、そんなまねはできないだろうな、と同時に思うのです・・。 それが怠惰だと思うのです。 よく自分よりできる人を見て「どうせ自分は馬鹿だから」という理由を自分で勝手に付けて諦める方がいますが、あなたはそれと同じです。 (この場合は自分が馬鹿だと思い諦めた時点で本当の馬鹿になってしまいます) 「私はダメな人間だから、そんなまねはできないだろうな」という理由は客観的にみれば、自分で勝手に根拠の無い憶測や先入観で決めて納得しているだけのものであり、逃げているだけです。 それ自体があなたの弱点であり欠点なのです。 素直に相手がすごいと毎回思っているということは、いいなぁと思っているのでしょう(そうでないなら別ですが)。 おまけに学びたいとも思っている。 それなのに根拠のない理由を付けて学ばない。 これは気持ちのあり方でもなんでもなく、客観的に見て怠惰でしかありません。 「私はダメな人間だから、今現在はそんなまねはできない」と認め、相手のどこが優れているのか、自分には何が足りないのかを分析し、反省して謙虚に学び自分を高めようとするのが正しいです。 ダメな人間だからと言って、反省し謙虚に学ぶことのできない人間ではないでしょう。 ダメな人間と自分の弱さを素直に認めている点は立派ですが、反省し謙虚に学ぶことを放棄して、自分で勝手に考えた理由付けで逃げる。 そして逃げる理由を劣等感などの気持ちのありようの問題に摩り替えている。 これが現在のあなただと思いますよ。 つまり問題の本質は劣等感ではないと思います。 解決するには、まずはそういうこともひっくるめて自分の弱さを認めることです。 その為には冷静になって客観的な視点を持つことが大事なのです(客観的な視点を持てば、変な先入観も消えるでしょう)。

yumemi6
質問者

お礼

丁寧な回答ありがとうございます。 回答者様のように客観的で勤勉に学ぶ姿勢を身に着けるよう 心に覚えておきます。 ありがとうございました。

  • bekky1
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回答No.6

#1です。 ウーン、ヤッパリ、すこし違います。 >けして「そうなりたくってしかたがないです!」というつもりでかいたのではありません、すいません。 【そうなりたい】と思っていいのです。 それをばねにするのが、HOW TOの第一歩です。 タダ、どうも、たとえば、きれいで明るい女性がいたとして、結構ちやほやされている。 デ、あなたは、うらやましい。 うらやましいのは「ちやほやされているから」という状態をうらやましいと一足飛びに飛ぶから解決にならない。 イロイロ条件はあるでしょうが、「その女性がきれいで明るいから」ちやほやなら、 あなたが、「そうなりたい」と強く願うのは、【ちやほや】ではなく 【きれいで明るく】ということのほう。 わかるかな? 【きれいで明るく】というのが努力としての手段で、【ちやほや】は目標にはなるが手段にはならない。 更に、いうなら、きれいだからと結果として【ちやほや】が必ずついてくるわけではないのも、わかりますか? >私の現在の考え方は 「わぁ、あの人はすごいな。」(だからそれができない自分はダメな人間だ) わかりますか? だから、【すごくない自分】と自分はだめなんだと 具体的にその人と自分を並べて考えているのではなく、 その人の評価と、自分自身への評価を同列にして、落ち込んでいる。 これでは、解決策へは結びつかない。 >ですが、これを 「わぁ、あの人はすごいな。」だからそっから学ぼう!私もがんばらなくっちゃ! に変えていくべきなのですね。 正に、そうです。 すごいのは、すごいといわれる何かがあるから。 あくまでも、まねスル、学べることがらとしては【すごい】ことを学べる模倣できるのではない。 すごいといわれる、それは【何か】を見る、ことを忘れなければ大丈夫。 【すごい】ことでがっかりするのは早すぎ。 >・・・どうすれば変えられるのかがわからず、相談しました。 よろしければまたご解答お願いします。 何がすごいかのか、何をうらやましいのか、具体的によーっく、見てみる。 デ、まねしてみるのが、一番の早道。 絵画でも、模倣してみるというのがありますね? あれと同じ。 できるこまで突き詰めて言って、自分のオリジナリティを付加する。 たとえ、模倣で終わったとしても、テクニックは身につく。 人ならば、スキルとしては身につくということです。 挨拶にしても、歩き方にしても、メイクにしてもです。 だからこそ、ファッション雑誌の存在価値がある。 スゴイ、で落ち込んでいたら、あれだけ売れません。 みなの、できる手法としての「スゴイ」の裏側ってそんなものなのです。 まずは、見る、盗む、まねる、そして、できるまでの継続。 それが、【すごい】の裏側です。 最初から、できる人というのはイ・ナ・イ。

yumemi6
質問者

お礼

続けてのご回答ありがとうございます。 すいません、私の指示代名詞がわかりづらかったようです。 上に書いていた「そうなりたいのではなく」の「そう」は 「クソ^あの女」と思うような人間=そう という意味でした。 しかし、男性にちやほやされたいかというとそうでもないんですが・・されないよりはいいですが・・・ まずは模倣ですね・・ 外見に関してはずいぶんここ数ヶ月で変わりましたが たとえば頭の回転など知能の方面ではどうにも真似できないのが難点です。 エスプリの効いた会話というのはなかなか・・。 それと、男性相手の場合若さですね。 これだけはどうしようもないですね(笑) >その人の評価と、自分自身への評価を同列にして、落ち込んでいる。 これでは、解決策へは結びつかない。 これはまさにおっしゃるとおりかとおもいます。評価同士を比べてはいけないかもしれません。 その部分だけを切り取って比べると、劣等ですから。 この二行は眼からうろこでした。 私などアダルトチルドレン的傾向のあるものは、10かゼロかのような考え方をしてしまうことがあり、まさにこの「他人からの部分評価だけを通して自己認識」していたように思います。 重ね重ねお礼を申し上げます。

  • shirominy
  • ベストアンサー率16% (2/12)
回答No.5

30代女性です。 30代って特にひがみとか酷くなりますよね・・ 人の気持ちを素直に受けにくいというか。 私は、別に人と比べて勝負して勝ちたいと思う必要はないと思うんです。 嫉妬することも、比べて頑張ろうとすることも。 だって、何かを克服するのに必要なのは 誰かより勝ることではなくて 自分に対して忍耐強くなることですから。 自分を諦めないこと。 そこに第三者は関係ないと思います。 私は昔から劣等感がものすごく強いです。 それは誰かと比べて勝ちたいと思い でも勝てないからです。 これが劣等感。 劣等感って、結局悔しさが根本にあるんじゃないでしょうか。 だから相談者さんの言うのは劣等感っていうのとは また少し違う気がするんですよね。 過去に諦めていたことを克服するには 誰かを見ても仕方ない。 自分を見ることです。 比べることじゃない。 自分の忍耐力がどこまであるか。 それを克服したいとどこまで自分が本気で思っているか。 もう他人と自分を天秤にかけて戦う年齢じゃない。 今からは自分の中を見て頑張らなきゃ。 そう私は思ってます。

yumemi6
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 自分を見つける・・・ とてつもなく非力でなにもできず、何一つやり遂げれない人間という認識です。 忍耐力ですね・・・ がんばる・・・ がんばる・・・ 以前家庭の問題で悩み精神科に一度だけ行ったときに これ以上がんばるとあなたは折れる。薬を出したくない とお医者さんに言われたことがありますが それから二年たっています。 また、がんばってみます。 ありがとうございます。

noname#80187
noname#80187
回答No.4

自分に劣等な部分があり、 それが、現実、事実的に悪い結果になって それを感じて 劣等感が生ずる。 これが、劣等感の発生の道理だと思うのですか、どうでしょうか? 現実、事実的に悪い結果になる=ストレスだと思います。 この場合のストレスをちょっと具体的に言うと、羞恥心であったり、迷惑心であったり、見下された感であってあり、周りから嫌われた感であったり、周りから嫌われた感を感じて恐怖心だったり、挫折感であったり、失望感であったりすると思います。 人間は、希望を持って生きたい。自信を持って生きたいたいものです。その方が、心地良く、気持ち良く、活力があるからです。 希望や自信を持つことは安心感が心に生じるからです。安心感は、挑戦心を生み出します。 自己否定、劣等、不必要的ストレスというのは、生きる活力や気力、士気を低下させ、無気力状態にさせると思います。 逆にストレスが生じても、自分が正しい、自分があって当然と思う人は、そのストレスを他にぶつけます。こっちの方がイライラ状態ですね。 >「ああ、やっぱり私は魅力が無いから、すぐにあきられたんだな。」 「ああ、わたしだからやっぱりできないんだね。」 と、いうのは、過去の経験上、そうであると自分が思っていると思います。自分の頭が現状を理解し、その通りであると考えていると思います。 つまり、頭は自分が劣等であると認識し、それが克服できないと思っている訳です。 でも、この状態が、心にとってはとても苦痛です。嫌なものです。とてつもないストレスです。やる気がなくなり…果てに無気力になる。 で、劣等感を無くすためには、3つ方法あります。 1つ目は、自分が思う劣等を無くすこと 2つ目は、劣等な部分があっても、他のことで優れた結果を出し、劣等感を感じなくなること 3つ目は、劣等な部分が原因で、悪い結果になるような環境から遠ざかることです。 1つ目が、理想なんですが、自分の能力、素質、素養、環境、境遇などでなかなか克服できないから苦しむんですよね。 2つ目は、他のことが良くても、これが悪いと…重要なものなから他のことで置き換えできませんよね。 3つ目は、そういうことができるほど人生、楽ではないし、それやっても別のことで自信が持てないとそれを心の中に引きとめますよね。 このことを考えると、やっぱり1つ目になってしまうと思います。1つ目でないと自分の人生から負けた気持ちが拭えないと思います。 劣等な部分を無くすためには、力や自分自身を高める他ありません。しかし、劣等感というストレスがそれを妨げます。 そこで、大切なのが、劣等感を味わい尽くすことです。劣等感を感じていることに自分の中で自分に対し言い訳せず、向き合うということです。 このままでは駄目だとか、なんとかしなきゃとか、どうすれば、とかの劣等な部分を無くそうするのではなく、 ふー、辛い、辛いと思い、その気持ちが静まるまで待つんです。 そうすると、いつのまにか消えます。泣きたいだけ泣くと、もう泣けなくなるのと同じです。心は泣きたい時は泣きたいたいんです。辛い時は辛い状態でありたいんです。 今に至るまでそういう教育などをされて、それをそれじゃ駄目だ、駄目だというように教えられたと思います。心が悲しんでいる時は、自分で慰めてあげなきゃ、心はずっとその不満をしまったままです。 それが積もり、積もって、生きる活力がなくなるんです。 そうすると、また、がんばろうという気持ちになります。辛いことを受け入れ、それを乗り越えようとやる気が芽生えてきます。 そうやって劣等な部分を無くし、劣等感を消すしか無いと思います。 やるだけのことをやってできないなら、諦めもつきます。 でも、やるだけのことをやる前に心が疲れて、体が疲れて、頭の中ではもう少しああすればというのが残っているから、劣等感が生じてしまうと思うのです。 心の感覚、感情を無視して、頭がそれをスパルタ教育するのではなくて、頭が1つ1つ慰めて、癒してあげるのを忘れないでください。 以上、解決の糸口になれば幸いです。

yumemi6
質問者

お礼

よんでいて涙が出るほどのご回答でした、大変ありがとうございます。 自分の劣等、コンプレックスの克服ですね・・ 私の場合学業を途中で投げ出した経験があり、それもあるかとおもうのですが、これに関しては今からは経済的にも能力的にも埋めきれないような気がしています。 他に何か、その埋め合わせができることでもみつけられればいいのですが、まさに「心が疲れて体が疲れて」実際にそれをやりとげるまでにいたらないというのが現状です。 家族の状況が複雑なため、そういう面に吸い取られているのかもしれません。 自分のつらいという気持ち、じっくり認めてみます。 本当にありがとうございました。

  • lopk563
  • ベストアンサー率43% (14/32)
回答No.3

一つ一つ回答いたします。 >>なにかをやり遂げようというときでもつまづくと、「ああ、わたしだからやっぱりできないんだね。 厳しいことを言うようですがこれは劣等感ではなく怠惰だと思います。 もっと自分を客観的に見てみましょう。 今の自分を他人だと思って客観的に見た時、あなたはその自分をどう思うでしょうか。 誰にでも理想の自分があるはずです。 まずは客観的に自分を見つめ、独立した個として理想の自分になるよう努力すべきです。 そういう視点から考えれば、謙遜し相手の人を持ち上げるのではなく、相手の実力を素直に認め、相手から謙虚に学ぶ姿勢が正しいと思います。 まずは客観的に自分を見つめてみて下さい。 >>「ああ、彼女のほうが若くて頭もいいからな、私はそのうち捨てられるんだな」と落ち込んだり >>「ああ、やっぱり私は魅力が無いから、すぐにあきられたんだな。」と落ち込んでしまったり。 これを読むとあなたは彼のことを本当に好きなのかということを疑ってしまいます。 嫉妬心は本当に彼のことが好きで一緒にいたいと思う理屈ではない心の底からの強い気持ちから自然と生まれるものです。 彼の幸せを考えたら彼女と一緒の方が幸せなのではないのか、と彼への愛ゆえに自らを引くという場合もあると思いますが、あなたはそうではないのでしょう。 そうなると彼への愛が本当にあるのかどうか、自分の心の底からの感情を確認して見て下さい。 変な考えをしていると本当に駄目になりますよ。 それと以前自分を好きだった人のことは、今は関係ないでしょう。 ましてや好きでもなんでもなかった相手に悩む意味はないでしょう。 あなたは劣等感・ひがみ根性が原因だと思っているようですが、単に他人と比べているだけで、自分で考え独立した一つの個として自ら行動することを放棄しているだけのように感じます。 肯定的になるのは無理でも、冷静になって客観的な視点を持ち、謙虚になることはできると思います。 まずはそこから始めたらどうでしょうか。

yumemi6
質問者

お礼

ご解答ありがとうございます。 独立した個としての自分、確かに見えていません。 私には客観性が無いのかもしれません。 いわゆる鏡像段階から抜けきらず、他人の鏡を通してしか自分を見れない。 未成熟な人間です。 この世に私などと一緒にいるほうが幸せな男性などいませんから、彼は彼女といるほうが幸せでしょうね・・ そこまで思い切れていない、私のこれまた未成熟です。 謙虚ですか・・・ 私はそんなに高飛車でしょうか・・・気がつきませんでした。 素直に相手がすごいと毎回思っているつもりなのですが・・・。 そこから学びたいとも思うのです。 けれど、私はダメな人間だから、そんなまねはできないだろうな、と同時に思うのです・・。 冷静であること 主体のある人間に可能である限りの客観を有すること 試してみます・・。 ありがとうございます。

  • akisaki
  • ベストアンサー率56% (9/16)
回答No.2

  同じく30代女性です。私にも似ているところがあるので少しドキッとしました。   間違っていたらごめんなさい。質問者様はひょっとして、自己防衛反応が強いのではないでしょうか。私がそうだから、そう思ってしまうのですが。   本気で勝負して、負けたときのショックを先に考えてしまい、早めに勝負から手を引いてしまう。本当にのめり込んで傷つくのを恐れて、先に諦めたと思い込もうとしている。   自分がそうなのです。新しいパートを始めたのですが、人より覚えも要領も悪いと自覚しています。そうすると、すぐに、自分に否定的な言葉を使い、できないアピールをして、予防線を張ってしまいます。けれど、心の底には、絶対追いついてやるという気持ちを持って、自分の方法で頑張ったり、人の話を聞いて行動しています。   今は、しんどいけれど、とりあえずやってみようと思います。期間を決めてやってみて無理ならそこで考えようと思います。   質問者様だからできないのではなくて、あきらめるからできないのだと思います。まず、人との勝負ではなく、自分の中のハードルをつくり、考え、頑張ってみる。その中で、参考になる人がいれば、自分のやり方に取り入れる。というのは、どうでしょう。   自分も、すごいとか、うらやましいと思う人がいたら、どんどん聞いて取り入れようと思っています。時々、なんでそんな簡単なこと分からないの?という態度をとられることもあります。むかつくと思いつつ、いい意味で利用するぞ。と思い切り替えます。   ただ、具体的にどういう風に自分に取り入れるかが分からなくて戸惑うこともあります。そんなときは、メンタルな部分も含め、友人や両親、いやな人の助言も受け、行動することを心がけます。  余り、人と自分を比較する必要はないと思います。見方や考え方を変えれば、長所も短所になるのではないでしょうか。   今、やり遂げたいことがあるとのこと。せっかく前向きな気持ちを持っておられるのだから、 人のことは余り考えず、目標に集中されるといいと思います。   だって、以前にに好意を寄せた男性がいらっしゃったのですから、質問者様は、素敵な要素をもちあわせているのだと思いますよ。   こんな私もウルトラネガティブな人間で、いつまでも失敗を引きずるたちですが、お互いあせらずいきましょう。   生意気ばかり申しあげて、お気を悪くしたらごめんなさい。半分自分に言い聞かせるような気持ちで、コメントさせていただきました。

yumemi6
質問者

お礼

ご解答ありがとうございます。 >本当にのめり込んで傷つくのを恐れて、先に諦めたと思い込もうとしている これ、その通りです。傷つくと立ち直ることができないから、傷つく前にやめてしまう・・。 心の底でがんばっておられる回答者さまは、ずっと立派ですね。 私は会話の受け答えが下手なので、それを質問に書いた彼女から学べればと思いますが、いかんせん会話における頭の回転というのは「とんち」の領域もありとりいれるのができずまた悩んでしまったり・・。 人と比較して卑下する癖、どうにかやめたいです。 人に褒められても、「お世辞でしょう」としか思えず思いっきり後ろ向きですし・・。 自分との勝負、とても怖いです・・・。

  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7257)
回答No.1

>日常生活ではあまり現れませんが、劣等感が強いのです。 人はコンプレックスをばねとして精進して次のステップにいけるのです。 しかし・・・ >「ちっくしょーあいつ!私のほうが!」と思える人がとにかくうらやましいです。 いささか、あなたはコンプレックスとは何かを勘違いしている。 うらやましいという気持ちはいいのですが、相手を否定している。 それに気づきませんか? コンプレックスとは、相手のとの優劣に基づく関係性において 自分が劣っているということを認めるに過ぎず、相手を否定することではない。 >「くそー私だって!」とはならず >「あの女!」のような嫉妬心ではなくて >友人に「なによ!」という感情よりも 相手を否定することで自我を保つことしか手法がないようですが、 コレでは相手の優秀さを認めることで「模倣」すると言うトレーニングもできない。 たとえば、モエちゃんとかエビちゃんとか(私には違いがよくわかりませんが)モデルの真似を若い子はしている。 渋谷を歩くと、似たようなこぎれいな子がたっーくさん歩いている。 とりあえず、「模倣」することで、テクを盗み、表面上は 何がしかの「進歩」を得ることができている。 ひがみ根性で相手を指定して、何か得るものがありますか? もうひとつ、コンプレックスの反対の状態というのが あなたには、「くそー私だって!」「あの女!」「なによ!」という状態しかないのがおかしい。 相手を否定して優位に立てるほど物事は簡単ではない。 オリンピック種目にもたくさんあるように、人としての優劣の基準というのもたくさんあり、それぞれを評価する人によっては評価される 元がちがう。 それをあなたが考えるようなものしかないとするのが、まず世界が狭い。 それは、あなたの生活がすべてあなた自身の価値基準を逸脱しているような人を否定することでしか成り立たないから。 そういう人もいるものだ、すばらしいと認める。 で、できれば、私もそうなりたいと思えば、人は、走る練習もすれば 泳ぐ練習もする、同じことではないですか? 相手を認めるということが自分を認めることにつながります。

yumemi6
質問者

お礼

ご解答ありがとうございます。 まさにその通りだと思います。 「くそー」というのを書いたのは、私の感情に対する両極だと思い書いたので、そうなれればずいぶんらくだろうな、という気持ちからでした。けして「そうなりたくってしかたがないです!」というつもりでかいたのではありません、すいません。 私の現在の考え方は 「わぁ、あの人はすごいな。」(だからそれができない自分はダメな人間だ) ですが、これを 「わぁ、あの人はすごいな。」だからそっから学ぼう!私もがんばらなくっちゃ! に変えていくべきなのですね。 ・・・どうすれば変えられるのかがわからず、相談しました。 よろしければまたご解答お願いします。