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数珠を持つことの意味
できましたら僧籍にある方にご教示いただきたいと思います。 数珠は本来は数を数えるための道具、と認識しております。 1.今日では数珠自体が法具の一つとして、何かしらの意味合いを持つのでしょうか? 2.上記と関連しますが、 葬儀、法要の折には数珠を持つべきという考えが一般的ですが、 参列者が数珠を持つことによって、何を表せるでしょうか。 故人を悼む時は「目に見える表現」として喪服を着用しますが、 心に於いて、冥福を祈ることがそもそも大切なことなのではないかと思います。 そこに数珠というアイテムが何故必要なのかがわからないのです。
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坊さんです。 > 数珠は本来は数を数えるための道具、と認識しております。 数珠がそのような役割に発展しそのように用いる宗派もあるという意味合いなら合っています。 > 1.今日では数珠自体が法具の一つとして、何かしらの意味合いを持つのでしょうか? 一概には言えませんが、念珠(数珠)を持ち、合掌礼拝することが、仏教徒としてのまずあかしであり、重要な宗教法具です。起源については、いろいろな説があって一定しませんが、人間には108の煩悩があると言われ、この108を基本として念珠が作られています。 日常使う念珠は略念珠といって、「108」を「3」とか「4」の整数で割ったものを使用することが多いですが、仏前で合掌礼拝するときに、念珠をかけて手を合わせます。ことさら念珠をかけなくても「冥福を祈ることがそもそも大切なことなので」との自己理解で無くてもよいとも思われる方もいますが、私たちが人と会うとき身なりを整えるように、念珠をかけることが仏様に対する礼儀作法であるとともに、自分の心を引き締める機会であると言えます。 蓮如上人は「数珠(念珠)を持たないでは、仏を手づかみにしたようなもの」ともおっしゃっています > 2.上記と関連しますが、 > 葬儀、法要の折には数珠を持つべきという考えが一般的ですが、 > 参列者が数珠を持つことによって、何を表せるでしょうか。 仏教徒であること。礼儀作法として正しいこと。また、宗派的な違いもありますが法事や葬儀のときに持つのは故人の冥福を祈る心を増幅させるためのものと看做されるほか、玉1個ずつ百八煩悩を司る仏様として人間の全ての煩悩を念珠が引き受けてくれるというような厄除け的お守り的な役割も果たしているとする宗派もあります。
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- m_inoue
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ごめんなさい僧侶では有りません たんなる習慣でしょう 坊さんの持つ「払子(ほっす)」も、もともとはインドにおいて、殺生を禁じられている僧侶が説法の際に、蝿を追いはらうためにつかっていた物 木魚もお経の際の居眠り防止だと聞いています 数珠はお経を読む回数や鐘突の回数を数えるときに使うそうですね
お礼
ご回答ありがとうございます。 本来の用途から転化しているにせよ、そこに何かしらの意味合いがあれば、 安心して(?)祈念できるのではないかと思っています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 一番いただきたかったamida3様からのご回答、感激しております。 数珠のことに限らず他のことでも、形骸化している事柄があるとすれば、 それはかえって真剣さが足りないことになるのではないか、 そのような思いからの質問でした。 「それが当たり前だから」数珠を持つ、のではなく、 「このような理由で」数珠を持つ、そうありたかったのです。 今後は堂々と(?)数珠を持ちたいと思います。 ところで29日は妻の祖母の、13回忌の法要でした。 (真宗(大谷派ですが)ということもあり、amida3様にご回答いただけてよかったです。) 出かける直前にご回答を拝見し、「よし!」という思いで出かけたのですが・・。 子供が法話の初めから騒いでいて同席ままならず、立場上私が別室であやして、 ようやく寝付いた時には読経供養が終わっておりました・・・。 そのあとの会席では予想通りの酒量で、昨日30日は終始頭痛に悩まされておりました(^^; お礼が遅れましたのはそのような次第でございます。ご容赦下さいませm(_ _)m