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何が大事なのか?
はじめまして。私は現在学生で、一人暮らしをしております。都会の普通の国立大学に通っており、周りにいる学生も普通、というなかで生活しています。 私は高校時代から理系の学生でした。理系といっても「科学がすべてだ」とか「科学こそが人類を幸福にする」なんて思ったこともないですし、「ノーベル賞をとるぞ」というような高尚な気持ちを持って理系になったわけでもありません。ただ、数学の成績が他と比べて少し良かったというだけなのです。ですから、歴史的建築物を見るのも好きですし、小説を読むのも好きというように私の興味自体は理系のみならず文系の内容もある普通の学生です。 そして現在私の周りにいる友人達も理系が多いのですが、彼らの大多数が株などに興味を持っているようです。実際に売買を行って何十万円という利益を出す人も中にはいるようです。私はまったく株(厳密には株の売買)には興味がなく、お金は汗を流して稼ぐものだと思っています。そんなそぶりを友人達に示すと「株こそ大人の知的なゲーム」とか「非常識だね、もっとと経済に詳しくならないと」などと言われてしまいます。なんでも、株のためには新聞を何誌も読んで社会情勢に詳しくないといけない、と自信満々に語ってきます。 私の意見としては「株だけが社会じゃない」と思ってます。もちろん株式取引に関する知識などを知ることは社会常識として必要なのかもしれませんが、それだけで良いわけではないと思います。歴史、文化、言葉、政治、などさまざまな一般教養を広く浅く知り、かつ自分の専門分野(私でいうところの理系の内容)を深く極めることが大学生として大事なことだと思っています。私は日本史や世界史、政経などの資料集を使って今でもニュースに出てきたわからないことを調べています。そうしていると、彼らの新聞などの断片的な知識のひけらかしを聞くと非常にさびしい気持ちになります。株という非常に目に見やすいものに安易に惹かれて本質を見ず(本質を見ている気になっているのだと思うのですが)、大人ぶっているようにしか見えません。まじめに、経済学(この学問であっているのかわかりませんが)を学んでいる方々や、株式会社の社員の方々に失礼だと思います。これでは、高校時代に徒然草を読んだ意味がないじゃないかと思います。この例えを出したときに「はぁ?」とまったく響かない対応しか取れていない友人にも少し興ざめしました。 このように、変にひねくれてしまう私はやはり変わり者なのでしょうか?また、若さゆえの感情なのでしょうか?こんな私でも社会生活を営んでいけるのでしょうか?そして、本当は何が大事なのか?皆様の意見をお聞かせください。
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お礼
回答ありがとうございます。 回答者様から私の人生の目標の1つをいただいた気がします。やはり、私は皮相の世界に生きながら、本当のものを見つけて生きたいと思います。たとえその本当のものが「皮相の世界」にあるものだとしても(表現が変になってすいません)。「若気の至りだね」などと簡単に返答せず、まじめに回答して下さいましてありがとうございます。