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バスター・キートンとチャップリンとロイド
バスター・キートンは絶頂期、チャップリンとハロルド・ロイドと人気を分け合っていたとききます。 現在、三大喜劇王と呼ばれよく一緒に名前が挙がりますが、若いころ接点があったという話を聞いたことがありません。 当時(だいたい1920~40)、キートンはこの二人と交流は全く無かったのでしょうか? この三人は本当にお互いライバル視していたのでしょうか? キートンの自伝によるとチャップリンの兄とはよくふざけあっていたらしいのですが。
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はい、キートンの自伝にもありますがチャップリンとは若い頃からの親友でした。 『ライムライト』まで競演の機会はありませんがしたが、交流はあったと考えられます。 自伝によると若い頃のチャップリンが共産主義の素晴らしさをキートンに説いて「全ての人が衣食住を確保できる国を我々は望んでいる」と言ったら「それを望まない人が世の中にいるのか?」と返してチャップリンは何も言えなくなったという逸話があります。 二人が老齢になった頃にチャップリンが「最近はテレビみたいなロクでもない物を見る人ばかりで誰も映画を観てくれない」と嘆いていたらキートンが「僕は最近絶好調だ」と答えると「へー、どんな仕事をしてるの?」「テレビの仕事だ」と答えてまたまたチャップリンは何も言えなくなったとあります。 キートンとチャップリンは長年の友達です。 ロイドに関しては良く知りませんが、キートンの自伝によると一番稼いだのはロイドだと書いてありました。 チャップリンは完璧主義で一本の映画を完成するまでに時間がかかりすぎる。 キートンは何度かノイローゼやアル中などの問題で映画制作会社からの信用が無くなって仕事も無くなった。 ロイドはそのような事もなく多くの作品を撮ったとあります。 関係ありませんがキートン映画のDVDを買ったら私が一番好きな「西部成金(Go West)」が入ってなかったのはショックでした。 もう一つ関係ないのですが、何年か前に三宅裕司が出てるクイズ番組で「キートンが映画で笑わなくなったのは?」という問題の答えは「父親のジョー・キートンの言葉が原因だ」という事でした。 それを見ていた私は「キートンが笑わなくなった原因は父親ではなくロスコー・アーバックルだ」とテレビ局に苦情のハガキを書いたのですが訂正はありませんでした。 ちなみに私生活ではよく笑っていたということです。
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No.1での訂正です。 誤 『ライムライト』まで競演の機会はありませんがしたが、 正 『ライムライト』まで競演の機会はありませんでしたが、 誤 ロイドに関しては良く知りませんが、 正 ロイドに関してはよく知りませんが、 今日は仕事が休みなので夜中までお酒を飲んでいたら間抜けな間違いをしてしまいました。 ごめんなさい。 キートンファンとしては許されないことなので反省してます。
お礼
>キートンファンとしては許されないことなので反省してます ご自分に厳しいですね笑 私は気づきませんでした。ご丁寧にありがとうございます。
補足
ロイドは情報が少なくて、引き続きお待ちしてます。 ロイドファンの方よろしくお願いします。
お礼
すばやく、すばらしい回答ありがとうございます! わわ、自伝読んだのですが、見落としていますね… 共産主義の話は老年のときの話だと勘違いしていました。 テレビの話は可笑しいですね。 親友!長年の友達!ライバルだったと聞いたことがあったので、なんだかすごくうれしいです。 「ロイドはキートンより興行収入が上だったし、息が長かったのにいつも三番手で語られる」という記事を読んだことがあります。ロイドファンにとっては納得いかないかもしれないですね。 なぜ西部成金はDVD化されてないんでしょうね?レンタルでも無くて、私はまだ観たことが無いんです。キートンファンの方が一番好きということはおもしろいんだろうなー。 キートンに関する本は今手に入れることができなくて、悲しいです。 せめて、自伝だけは再発してほしいです…。外国ではたくさんの研究本的なものがあってうらやましいです。 もし良ければ、お暇があれば、またキートンに関するエピソード、ぜひ教えてください。