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L.A.コンフィデンシャルのラスト

前々から思っていたのですが、少なくとも僕のまわりでは誰も疑問に思ってる様子がうかがえないので、もやもやをすっきりさせたいのですが、「L.A.コンフィデンシャル」のラストはおかしい。「危険な情事」や「ブレードランナー」は試写の観客の反応を見てラストを変更した。ハリウッドでは日常茶飯事なのでしょう。どうでもいい映画のストーリーが多少破綻していても「まあいいじゃないですか」といった感じなのですが、「L.A.~」はそのラストまでは完璧に大好きな映画なのでそうはいかない。「L.A.~」のラストがおかしいと思うゆえんは、どうも、本来のラストシーンは主役のG・ピアースが、表彰されて、キム・ベイシンガーと腕を組んで外へ向かい廊下を歩いていくシーンだったのではないかと思えるからです。腕を組んでですよ?で、その後館外のシーンが丸ごと後から試写の反応のせいか何かで付け加えられたのではないかとの見解です。外に出てみると包帯ぐるぐる巻きのラッセル・クロウが表れそれまでの「俺は俺」的なやつらがまるで「ブラックレイン」の高倉健とM・ダグラスのように厚い(暑い)友情を語り合いめでたしめでたしとなる(突然くさいセリフ連発となる)。さらに、これを裏付けるおかしな点は表彰式の前のシーンで警察署でガイが尋問を受けてる最中に警察の誰かが「あいつさえ黙らせられればLAPDの威信は守れる」みたいな発言をする。これはラッセルクロウの存在を完全に無視したシーンでどう考えてもラッセルは死んでいる設定としか考えられない。ですので本当はラッセルは銃撃戦で死んでいて、ガイが秘密を守り表彰され、キムとうまくやる、という話だと思うのです。これを裏付ける記事か証言があれば教えて下さい。

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回答No.4

MONKEYMONKEYさん、こんばんは。 みたびです。 なんだか逆にお気を使わせてしまったようですが、まず、MONKEYMONKEYさんがお気を悪くされてなくてよかったです。 私はといえば、もし嫌ならこんなに何度も書き込みしませんよ~。 映画に関しては語り好きなので、すごく楽しんでしまいました。 キム・ベイシンガーが、心に清いものを持ってはいても、世間のしがらみやらなんやらのせいで、本当に愛するバドとの生活を諦めずにはいられなかったというラストだったら、それはそれでシニカルなラストですね。 この映画の主人公がキム・ベイシンガー演じる女性ならば、そういうラストでも良かったかも。 きれいごとでは生きていけない現実みたいなものも、この映画の魅力ですからね。 結局正義が必ず勝ち、主人公は清く正しく美しく、みたいな単なるヒーローものとは一線を隔している映画でしたから。 バドの生死をちょっとどんでん返しっぽくもってきたのは、エドとバドという二人の主要人物をようしていたからではないかなと思います。 観客からすると、正義感の塊のようなエドは、典型的なヒーローというか、主人公タイプです。 そこに、権力に巻かれて汚れ仕事にも手を染めていたバドという男が登場し、エドとともに事件の解明に乗り出し、ダーティーだった男が正義に目覚め出すというか、正義側のエドの強力な味方になりつつある。 典型的な主人公のエドの動向も気になるところではありますが、おいしいところはバドがもっていっている気もします。 観客の中にも、エド以上に、バドをかっこいいと思う人も多くいるのではないかと思います。 制作側が、バドというキャラクターが持つ魅力に観客が引き込まれるのを予測していたとしたら、バドの生死を明らかにするのをちょっとひっぱったりして、思わせぶりな見せ方をすることも考えられることと思われます。 私の周りでも「L.A.~」の評価は高いですが、この映画でここまで考えさせられたことは初めてです。 いい映画はやっぱり深いですね。 原作をお持ちとのことなのでご存知かとも思いますが、「L.A.~」はジェームズ・エルロイのL.A.4部作の中の3作目ですよね。(おせっかいな下記参考URL) 私自身も「L.A.~」しか読んでいませんが、原作はなんだかもっと濃いです。 映画の中では、観客に爽快感を持たせるために片付けてしまったことが、原作の方では片付いていなかったので、その行方を見届けるためにも少なくとも「ホワイト・ジャズ」は読もうかと思っています。 結局3回ともダラダラと書いてしまいました。 長々とお付き合い下さり、有難うございました。 また機会がありましたら、お会いしましょう。

参考URL:
http://www.asahi-net.or.jp/~ue4k-ngt/bnavi/ellroy.html
MONKEYMONKEY
質問者

お礼

楽しんみましたというお言葉を頂き「ほっ」としました。実はこの質問が私のvirgin qestionでしたので、色々勉強になりました。あれからいろんな過去のページを見てみたのですが、私の「このOKwebってすごい!画期的!」という単純な認識を考え直さなければならないことを知りました。ここは一つの「社会」のようですね。決して「百科事典」ではない。社会には問題があり「OKweb」自体のあり方に多くの方が意見を交わしているのも拝見いたしました。点のあげかた一つ取っても場合によって大変問題になっているみたいですね(もちろんここはあくまで「百科事典」だと言う意見の人がいてもいいと思います。その多様性がまた「社会」たるゆえんですから)。さて、ここでこんな話はこれくらいにして、最初は私は単純に「ラストが変えられた」という事を確認したかったというところから入ったのですが、やがてその命題はお二方の手によってゆるやかに溶かされてゆき、結果的にラストが変えられたかどうかという事よりこの映画の本質について探る、教えられる事となりました。本当に有意義な時間を過ごせ、大変嬉しく思いました。こんな事はなかなかない事です。おっしゃる通り私もバドが「おいしい」と思った一人です。今回の一連のお話の中でバド=ダーティという話がありましたが、実は、というか常に心底ダーティだった瞬間はありませんよね。人を殴るのはダーティ性ではありますが、彼にとってそれは「ゆるしがたい」時に自分でも制止不能な「怒り」が込み上げてきて(超人ハルク的に)そうしてしまう。幼少時代のトラウマがそうさせてしまう。ボスの扱うヤマの「なぐり役」も利用されてたに過ぎない。そういう意味ではダーティだったのはジャック。金で動いていた。あるいは黒人の貧しさを利用した。ここまで内面を見せたという意味では、バドは、エドやジャックを凌ぎます(エドの父を殺した「ロロトマシ」も泣かせますし、ジャックのなんで刑事になったんだ?の答えの「覚えてない」にも深い哀しみを覚え、そして最後の意地の一発ロロトマシ!土俵際捨て身のうっちゃり!)。ですのでおっしゃるとおり観客の感情移入的主人公はバドに他ならず、そのバドに「ささやかな」幸福を最後に用意するというのは至極当然の事のように思えます。この映画がこんなにすばらしいのはなぜでしょうか?私はこれは警察という特殊な世界の腐敗を描いた話ですが、実は我々の社会も(自分の会社でも)全く同じだと気づくからではないでしょうか?あのボスをやっつければ全ては解決するのでしょうか?たぶんそれは違うのだと思います。「純粋」を維持すればどんなにいいところまでいっても結局世直しをする為の権力を手に入れる事はできず、バドのようなアリゾナ行きの結果に終わるし(それは幸福かもしれませんが)、逆にその権力を手に入れるエドは致命的な汚れを体内に同居させてしまう。あのボスも元はエドだったのかもしれない。しかし、「権力のいいなりだったバド」も「出世の鬼だったエド」も「金に汚れていたジャック」も一瞬だけではあるが確かに「純粋」に腐敗に立ち向かった。その「輝き」を見ることができたからではないでしょうか?その「輝き」は本当に一瞬で、ジャックは死に、バドは退職し、エドは再び出世の鬼となる。でも、その輝きが一瞬でも、それがあまりにまぶしい輝きだった為、我々に生きる勇気を与えてくれたのではないでしょうか?そして、女性の事を語るのは気がとがめるのですが(ほんまにわかっとるんかあ?と言われそうで。わかってません。わかってたらこんな苦労しません)籠の中の鳥だったキムもまた彼らと同時に一瞬の輝きを見せる。コールガールという「恋心」というものを利用する最も罪深き商売をしていながら(せざるをえなかったのだが)、そして「決して惚れさせても惚れるな」というコールガールの「鉄則」をバドの為に破りエドをたぶらかす。それが見事に裏目にでるのだが、災い転じて事件を解決に向かわせる。という事でこれは一種、日ごろいろいろな事をごまかし、とぼけて生きている我々への強烈な一撃である。「腐敗」しているのはあなたのBOSSだが(雪印・みずほだけではない)「権力に屈っしてるのも」「金に動かされてるのも」「出世の為にうそをつくのも」全て「おまえだ!」という強烈な浜田バリの(あるいは中田ボタンバリの)つっこみではないか?すいません。興奮してしまいました。chewbaccaさんもbluefishさんも、ほんとうにありがとうございました。名残惜しいのであと若干の余裕を残し(って、こん平の帰りのかばんか)、それから、締め切りとさせていただきます。では。

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noname#1929
noname#1929
回答No.6

再びっす(^^ゞ…『L.A…』に関してはもう既に、chewbaccaさんがより詳細な解釈とアドヴァイスをなさっていて、MONKEYMONKEYさんも自己解釈なされて、疑問点も解消しつつあるので…出番は無いですが。 ハリウッド映画のラストがご都合主義なのは、『L.A.…』に限らず大部分がそうです。但し、あの映画はギリギリの線で「アメリカの暗部」を描く事に成功し、且つヒットした近年稀な作品です。 ヴェトナム以降、アメリカ人は「自分たちの悪行」を内省し、ある意味悔いたり、シニカルに見つめた良心的な作品を、たま~に作ります。 例)『地獄の黙示録』『フルメタル・ジャケット』『アメリカン・ビューティー』『トラフィック』…毛色が違うけど『存在の耐えられない軽さ』『ジュリア』などなど。 ただ、映画大国・ご都合主義大国のアメリカでは、自国参賀・娯楽に徹した映画が絶対的な売り上げに繋がるので、ラストはカネの流れでいかようにも換えられてしまいます。 良い意味でも悪しでも、他国の映画とは一線を画しているのが、ハリウッド製でしょう。 それも「個性」です。解りやすい例では『ライフ・イズ・ビューティフル』と『ソフイーの選択』…同じホロコーストを扱っていても、イタリア製とアメリカ製では全く解釈~作りも違います。 近年は、批評家協会やペンクラブ系が後押しした作品が表舞台に立つ事も多くなり、『L.A.…』もジェイムズ・エルロイの凄い原作に圧倒されて批評家連中が相当オシたと何かで読みました。 但し、エルロイの原作通りだと、映画人や観客からブーイングが出るかも…との危惧があったでしょうね。実際、出たからあのラストなのでしょう。 ただ、本当にギリギリの線でよくぞ作ったなあ。と拍手したいです。 …「トラフィック」もその点、「忠実」ですが、詰めは甘い点がありますよね。 それがハリウッド映画なんだと私は思います。 って、今度はアホな映画論を展開してしまいました(^_^;)、 MONKEYMONKEYさんのご質問で、私の映画ライフも充実しそうです。 映画鑑賞は、多色の価値観があってこそ、充実するものです。ありがとうございました。 蛇足…konkonさんも凄い映画ツウですよv 「社会」…てなそんな大それたもんやないですよ。まあ「色んな人(善人も悪人も)が居る」って事で「社会」かも知れませんが(^^)。LAPDのようにねv それでは、またいつか…鯖でした♪

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

~「LAPDはどこにでもある(「マトリックスはどこにでもある」風)」~。政治にも、うちの会社にも(ぐちか?)このwebにだってあるのかもしれない。我々は常に腐敗と隣り合わせなのだ。などと言いつつ...。鯖様、再度お便り有り難うございます。konkon様もすごい映画通なのですね。そうですか。また、いろいろと教えて頂きたいですね。こうして何度も回答を頂けるとなんか仲間に入れて頂けたようでうれしいです(なんつって勝手に入るな)。ハリウッド映画について、そう言われれば、原点に立ちもどり、全くそのとおりですね。誰も見なくていいなら、どんな映画も作れるが、大勢のお客を映画館に呼び寄せた上にこれだけのクォリティを維持したという意味でこの映画は偉大といえるわけですね。簡単に「ハリウッド映画はこれだから(はぁ~&ため息)」と批判するのは浅はかなのかもしれませんね。ゲイリー・オールドマンはハリウッド映画でアホな役をやって金を稼ぎ、その金を自分の作りたい映画に投入するとうライフサイクルらしいですが、この「いい映画(良心的な映画とおっしゃいましたね。それです。)を作る為には悪い映画に出なければならない」という関係は「LAPDの腐敗を無くす為には自分も腐敗しなければならない」という関係とダブります。ビートたけしはデビュー当時「これまでの規制をぶちこわす」「毒舌」のイメージで成功したが、実は観客への受け取られ方には細心の注意を払ったそうです。貧乏人ネタは自分家も貧乏だからゆるされる。山形ネタは自分家も足立区だからゆるされる。ブスネタも自分も不細工だから許される、など、「毒舌」といっても本当に人の反感を買うような事は一言も言ってない。と。本当に人の感情を逆なでする事ばっかり言ってたらすぐに干される。ビートたけしは決して好き勝手な事をしゃべったから成功したのではなく、どこまで許されるかの「枠」をよく考えたから成功したのだと、自分で言ってはりました。つまりある枠(ルール)の中でどれだけ人を驚かせるか、楽しませるか?というのがハリウッド映画(「ハリウッド」と限定すべきか?)なわけで、「L.A.」はその枠ギリギリをやったと。アウトコース低め一杯(ちょっと外れればホワイトなら見送る。フォアボール。押し出し。)。出世の為に仲間を売り、村八分になっても意にも介さなかったエドも真の腐敗を目の当たりにし、一度は出世レース度外視で事件に立ち向かった。これもギリギリの選択です。結果はオーライでしたけど。「L.A.」って前評判高くて、見たいな~と思っていて、日本での公開遅れた。で、じらされて期待度わくわく最高潮で映画を見てその期待を上回る出来で、そして何年もたってこうして語ってしまう。類まれな映画です。多くの映画は初めから期待していない。たまーに、「こ、これは期待できるぞっ!」という映画がある。しかし、それらは大概は期待はずれに終わる。その大きな理由は期待が災いし、点が辛くなるからである。が、しかし、本当に力があればわがままな我が期待をもこうして跳ね返してくれるのだー。鯖様、この度はほんとうにお付き合いくださいまして有難うございました。今後も映画論楽しみにしています!。それからベトナム以降のアメリカのお話も納得ですし、ペンクラブの話もどういう構造かちょっとわかりませんが始めて聞く話でそうなのかーと思いました(原作を売る為に押すという事でしょうか?)。では、また!!。

MONKEYMONKEY
質問者

補足

みなさん有難うございました。 ♪今後の予定。 ■監督:カーティス・ハンソン 「ワンダーボーイズ(2000)」。知りませんでした(なに、のがしとんねん)。見てません。面白いんでしょうか?などをへて。 ⇒「8miles(2002)」。キム・ベイシンガーが出てます。期待。 ■脚本:ブライアン・ヘルゲランド 脚本のみとして「陰謀のセオリー」「ポストマン」をへて 監督として ⇒「ペイバック(1999)」最高! ⇒「A Knights tale(2001)」知らん!なんで知らん? ⇒「The sin eater(2002)」全然わからん! ■主演:ケビン・スペイシー いろいろへて ⇒「オースティン・パワーズ、ゴールドメンバー(2002)」これは期待です! ⇒「The life of David Gale(2002)」アラン・パーカー!「ミシシッピ‐・バーニング」大好き!「LA」同様「アンタッチャブル」なKKKへG・ハックマンとW・デフォーが「やっちゃう!」。「男の仕事」ぶりの描写は「LA」並。かっこいーねー。 ■ラッセル・クロウ ⇒「Master and Commander(2003)」ピーター・ウィアー。「トルーマンショー」以来、久々。「ジョン・ブック」もよかったですね。そうそう「LA」見たときこれを思い出した。犯人同じですからね。 ■ガイ・ピアース 「メメント」DVD、逆回転バージョン(時間軸どおり)必見です! ⇒今後は、、、あんまりよさそうなのないなあ「タイム・マシン(2002)」見ないだろうなー。 ■キム・ベイシンガー ⇒ハンソンの「8miles(2002)」。他はあんまりない。8マイルってなんだろ?12.8km。なんの距離? みなさん有難うございました。

回答No.5

申し訳有りません、回答じゃないのですがどうしても一言おじゃましたくて、参上致しました。締め切られて無くて、良かったぁ。 実はMONKEYMONKEY様がこの質問を立ち上げた時、「おおっ、凄いのが来た!」という感じで、こっそりと他の方の回答を待っていました。そうしたところ、なんと密度の濃い、ハイレベルな討論が繰り広げられ、傍観者としても大変興奮してしまいました。 映画の解釈について、新しい発見の連続でした。 当初は、実は全面的にMONKEYMONKEY様の意見に賛成だったのです。あの映画の質にして、あのラストのハリウッド的泥臭さ。貴方の仰るシニカルな終わり方の方が、現実味はあります。しかし、チューバッカ様と鯖様の回答を拝見して、またまた目から鱗。は~、そうか、そういう風に読めば、これまた納得がいく・・・。 とにかくお三方とも素晴らしい質問・回答をありがとうございます。と言いたい! 本当に、楽しかったです。 いつか私も、こんな凄い質問を立ち上げ、こんな凄い回答をする事ができれば・・・と願ってやみません。 とりあえずは、週末「L.A.コンフィデンシャル」を借りに行こうっと。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

いやー私はいっぱいいっぱいです。bluefishさんは「鯖」様というんですか?!うーん、やはり社会だ。ただならぬ付き合いの深さを感じます。こんな私でよろしければ(ううっアホで恥ずかしい!ばれてるっ!)、これからもよろしくお願いいたします。konkon様、率直(そっちょく)な感想をいただけまして有難うございます。日常の一対一の会話では得られない、こうした多方面からのお言葉を頂くと事が立体的に見えてくるようでありがたいです。次にこの映画を見るとき皆様の影響で又違った風に感じるのかなあと思うと楽しみですねー。

回答No.3

MONKEYMONKEYさん、こんにちは。 前回の回答の最後に、映画の解釈は人それぞれ、というふうに書いたのは、MONKEYMONKEYさんの解釈が間違っていると思ったからではなく、千人いれば千通りの解釈が生まれる「映画」という文化の一作品に関して意見を述べる際に、自分とは違う意見をもつ人に自分の考えを押し付けたくなかったからです。 あんなに長々と自分の意見を書いたので、「いや、なにもここまで・・・」とひいてしまわれるかと思い不安でしたが、ご丁寧なご意見、ありがとうございました。 キム・ベイシンガーとガイ・ピアースが腕を組んで廊下を歩くシーン。 彼女がエドと腕を組んだのは、エドに対しても少なからず好意を抱いてたからだと、私は解釈しています。 出世してこの先も順風満帆であろうと思われるエドと、ケガをして引退し去っていくバド。 あえて勝敗をつけるなら、エドの方に軍配があがりますが、結局キム・ベイシンガーを手に入れるのがバドであることから、その点ではバドに軍配があがるのです。 どちらを選んでもよかったのに、エドには約束された将来があるから自分はバドとともに行く(「あなたは将来を手に入れ、彼は元娼婦を手に入れた」とかなんとか)という結論に至ったキムが、自立したすごくいい女に見えます。 男を手玉に取ることのプロですが、したたかではあっても心の中に汚されていないものをもっていて、だからこそバドとエドの二人がやっきになって手に入れようとする女。 上層部との戦いに勝利し、約束された将来と栄光を手に入れたエドでさえ、惚れた女を手に入れられないという構図が面白いと思いました。 ハリウッド作品では、観客受けがいいように、ラストを変えるという事実があることは聞いたことがあります。 そのために、異なったラストをいくつか用意することがあるようですね。 残念ながら、ブライアン・ヘルゲランドに関しては、よく知りません。 「ペイバック」は元々どういうラストだったのでしょうか。 原作を曲げてでも、観客受けのいいように作り変えた映画は実際にあるので、その点はMONKEYMONKEYさんの妄想ではないと思います。 「L.A.~」に関しても事実、重大な点で原作とは異なる部分があるので、元々用意されていたラストが、原作とは異なったものである可能性は、十二分にあります。 最後になってしまいましたが、ひょっとしてお気を悪くされたでしょうか。 もしそうならば、大変申し訳ございませんでした。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

chewbacca さん。まず、ひつこい私に再回答くださいまして本当にありがとうございます。本当にこんなハイレベルな返答をいただけるとは思ってなかったものですから、とにかく感謝感激しています。それから私の言葉不足からお気を使わせてしまってすいません。「ひとそれぞれ」は押し付けたくないという意味というのは了解しておりました。ただ映画は「どっちでも解釈しうる」という場合と「完全な誤った解釈」の場合があり、私の場合後者たりえたのではないでしょうか?それから文の最後に「気を悪くされたでしょうか?」とありましたがもちろんとんでもない!!やはり最初の質問の仕方がさも「大発見」を聞いてくれーみたいな態度であったからでしょうか?(もちろん、そんなつもりはなかったのですが、、ちょっとあったのかなあ?)その鼻をへし折ってしまったと?すいません。おぼろどうふのような鼻でした。どうかお気をつかわずに...。こんなに最高の回答を頂いた上にそんなにあやまられたりされてしまってはもう僕の居場所がありません!ひょっとして気を悪くされたのはchewbaccaさんの方?(だとしたら、すいませ~ん!)この前のbluefishさんの文とchewbaccaさんの今回の文と両方読んだ上でbluefishさんへの「お礼」を書いたので、今からどう書くのかはたと困っているのですが、同じ事を二度言っても仕方がないのでbleufishさんへの「お礼」のところもできたらみてただきたいです。腕を組んでのところもコメントいただきまして有難うございます。納得いたしました。どうも、映画的サインの読み違いというか浅いというか、「腕を組む」で「くっつく」と決め付けてしまいました。それに、廊下を二人で向こうに向かって歩いていくというのも「ラストっぽい」と決め付けていました。ただ、その後のシーンがbleufishさんのところでも書いたように「(なんとなく安易な)どんでん返し」っぽくて「むむっ?」と思ってしまった事は確かです。これは最初にした「ラスト付け加えたのでは」という質問からはずれてしまいますが(その答えは既に納得して完了しています)、なんかトーンが違うような気がしました。もう、こうなると感想の域ですね。うざければ無視してください。気が向いたらまた「おぼろ鼻」をへし折っていただきたいです(教えてくださいというのが「押し付け」になってしまうのであれば「ご意見」をお聞かせください)。お二人の言葉を頂いて確かにキム・ベイシンガーがいい女であったと再認識できました。もちろん、その前にもバドとのベッド会話で「心のなかに汚されてないものをもってる」事は認識できました。ですので、ないことを延々語るつもりはないのですが、僕が勝手に思い込んだ「ブラックなラスト」というたわごとも、ブラックといいつつキム的には「心に汚されてないものをもちつつ、それを心の奥にひっそりとしのばせつつエドとくっつく」という意味でして、キムが「へっへっへ、してやってりだぜ」なんて思ってるという事ではありません(そんな風にはとられてないか)。本当はバドと傷をなめあいたいが、それでも現実はままならず、今まで通り、したたかに、でもひそかに清い部分は捨てずに生きていくのだ!という、感じ。です。以上単なる自己弁明です。ブライアン・ヘルゲランドうんぬんもちょっと適当な事を言い過ぎました。なんとかニュアンスを伝えようとしたあまり、、、。僕もヘルゲランドを良く知ってるわけではございませんでした。「ペイバック」では監督を途中降板させられたと聞いただけで、ラストが変えられたとか言う話はありません。(ペイで)途中降板があるくらいだから、(L.A.で)ラスト変えられる事もあるかな?という意味で話題にしました。L.A.は重大な点で原作と異なる点があるとの事。読んでみます。尚、他の当サイトの質問で時々とんちんかんな質問に対して「OKwebを理解してない!」とお叱りを受けてるのを見たことがあるので私の認識不足だった(原作を読んでないなど)今回の質問がそれに当てはまってるのでは?と気がかりになってしまいました。もしそうであればお許しを。余談ですが、一般的評判は芳しくないですが僕は個人的には「ペイバック」は「L.A.」並み好きな映画です。タイプは違いますが。それでブライアン・ヘルゲランドって才能あるんだなあ、と思ってました。「L.A.」ってケビン・スペイシーが「ユージュアル・サスペクツ」後で、ガイ・ピアースがこの後「メメント」でなんかこの映画には素敵な映画が「関連」として周りにあって、「L.A.」は時間軸的に見て各才能が奇跡的にその一点ですれ違った(そしてもっとも輝く形でそれが表現された)「才能の交差点(地球で言えばアフガニスタン?)」のような映画だなあと思います。「ブレードランナー」もそんな感じだったなあ。バンゲリスとかシド・ミードとかその他大勢の才能が偶然にその一点で集結しすれ違っていった。

noname#1929
noname#1929
回答No.2

こんにちは。 (前置き:ボキャが貧困ですので、ご期待にそえぬと思います、お許し下さい(苦笑)) 私もMONKEYMONKEYさんと、似た疑問をラストで感じた一人です。ただ、chewbaccaさんへのお礼で「ハリウッド製の甘さ」を指摘しておられますが、それは多分にアリでしょう。 ラストのアリゾナへの逃避行は、シーン(セリフ)自体が陳腐な訳で、確かに慌てて作った感は否めません。ただ、あのような腐敗の奥深さ・組織の人間の闇を描いた作品を影像化する場合、ラストである種の展望を持たせずしては完結出来ないとも思われます。 chewbaccaさんが仰るように、原作より映画に「甘さ」が残るのは、その辺に起因しているとも言えます。 唯一、純粋な存在だったガイ・ピアースが段々と腐敗(ラストでは腐敗を利用して生きて行く)していくのは、他でもない、キム・ベイシンガーを愛した事で得た知恵とも言えます。 キムはプロ根性をガイに与えて(それが、廊下で腕を組むシーンで暗示…と個人的に思う・決して「おめでとう」ではないと思われる)、そしてひとときの「純粋さ」をラッセル・クロウに求めて去る。 アリゾナでも二人に希望に満ちあふれた生活はない事も暗にして解ります。 ~ラストの3人の表情(演技)が秀逸で、ここらは3俳優の名演で「陳腐さ」も有る程度差し引かれる~ まあ、私は女ですので(笑)キム・ベイシンガーの観点に立った観方ですが…。でないと、キー・ウーマンとしての彼女の存在すら無意味な物になってしまいます。 >「エドとキム・ベイシンガーがくっつくラスト」 うんうん。非常に気持ちは解りますし、私もその方があそこまで暗い映画ならいっそのこと…と思ったんですが…。 プロであっても、心の何処かに安住の地を求めるとエドでは、ずっとあのままの生活が続きますよね。傷を舐め合うのはやはりバドしか考えられないのです。 あの位の「イイ女」ですと、2人の男を同時に愛し労れるのです。 …なーんて(恥恥)オンナの深層心理論と化してしまい申し訳ありません(*^^*)。 まあ、こういう見方もあるって事でお許し下さい。 …それにしても良い映画でしたね。出演俳優達の全てがのめり込んで演技をしている、近年稀な、傑作でした。私の映画ライフ・ベスト上位に入ってます(笑)。 この映画については、もっと語ってしまいそうなので、この辺で…(苦笑) 大変有意義なご質問、ありがとうございました。また宜しく♪

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

bluefishさんへ bluefishさんもchewbaccaさんも私の何倍も知的でお言葉のひとつひとつが「目からうろこ」ものです。私のようなものにこんな鋭いお言葉をいただけてなんて感謝してよいやら...(原作も読んでないし、いや買ってはあるんです。読みます。)。そしてなんとも懐の深い事。まるで一旦子供の視線にしゃがんで丁寧に説明するような(ほんと子供でした、実際はええ年こいてますが)。ほんとうは恥ずかしくて穴があったら入りたい状態なんですが、以下お礼の言葉を。⇒ガイ・ピアースがキム・ベイシンガーを愛したことで得た知恵。なるほど!。「腐敗」は「知恵」や「プロ根性」と言い換える事もできるという事。腐敗を一元的に「×」とはいえない。そもそも我々は「牛を食わなければ生きていけない」という原点に立てば(或いはレタスでもいいんですが、要するに弱肉強食とか)「完全な純粋」ではいられないように、人生とは「腐敗(悪?)」と付き合いながら(染まりながら)生きて行かなければならない宿命をあらかじめ背負っている。このテーマは「トレーニング・デイ」を見た時も考えさせられました(自らが腐敗しなければ本当の腐敗の根源を見つけられないというジレンマ)。キムはひとときの「純粋さ」を求めてラッセルに。これはわかります。実際枕のエピソードで複線張られてるわけですしね。全然しっくりきます。ラストは実際陳腐さがあったんでしょうかね。いろいろ鋭い指摘を受けてるうちに実は分からなくなってきましたが.ただ、ひっかかったのは確かにここです。私は理解力がなくどうも単純に「ハッピーエンド」か否かでまずひっかかってしまったようですが、基本的にですね「現実の渋さ」を描く映画がハッピーエンドであって欲しくないというのがありまして、それはなぜかと言うと、こっちは映画によってただいま現実の渋さを目の当たりにしてそれを認識して映画館を出て覚悟して生きねば、、などと映画の問題提起を自己の現実に重ねようとしているのにラストで「もう、解決しました!」と明るく言われると「なんじゃそら、今までの苦労はなんだったんだ?」と逆にそれまでの2時間の問題提起が軽く思えてしまうからです。というわけで「トラフィック」のいろいろあったけど実はなんにも解決してへんで、みなさんどう思いますか?というラストが好きだし、「フレンチコネクション」で最後犯人をつかまえられないというラストもそんなラストだけにそれまでの苦労が「大変な相手と戦っていた」という風に再認識されてしっくりくる。もちろん完全なエンターテインメントの場合は別です。「バック・トゥー・ザ・フューチャー」のような都合の良いハッピーエンドも大好きです。すいません話がそれつつあります。やはり原作読んで見ます。こうなってくると原作読んでないと語る資格なしですね。いずれにしてもbluefishさんに教えられればエドもバドもハッピーエンドではないわけです。エドは腐敗と付き合うという宿命を背負うし、バドのアリゾナも決してハッピーなわけではない。そういわれるともう納得です。あ、今回想しつつ語ってしまいますが、小屋の銃撃戦の後シーンはエドの尋問に行って、まず「バドどうなったんだ?」と私は思いました。その前にケビン・スペイシーが一発で死んでるという前例があるだけに「基本は死にやな」とも思いました。それで、表彰があって、外にでてそこで初めてバドの生存が確認される。あれは、観客にやはり一瞬「バドは死んだか?」そしてなんなら「エドとくっつくのか」と迷わしといて「いえ、バドは生きてました」という「どんでん返し」的演出上の狙いが入ってたでしょうか?重要度的にはエドの尋問より人の生死でしょう。ならばバドの生存を観客に確認させてからエドの尋問に行って欲しかった。もし、「どんでん返し」的演出を狙ったとしたらやはり演出的にそこだけ「陳腐」じゃないかなあ?それまでのトーンが重厚なだけにね。「3人の演技に支えられてる」のは全くその通り。そう思います(なんつってその表情からbleufishさんのようにちゃんと真実を読めなかったくせに)。オンナの深層心理論!もっと聞きたいです。この映画についてはもっと語ってしまいそうなので、この辺で...ってその余韻..とっても気になるんですがあ。とっくに質問には答えて頂いててこれ以上しつこくしてはいけないのでしょうか?OKwebはQ&Aを簡潔にしなければいけないのかなあ。そうなんだろうなあ。あと、有意義な質問と言って頂いて(そんなのうそだよ)「いやあ、それほどでもお」と、ちょっと舞い上がってます(ポリポリ)。単純なもので。最後に本当にしつこくて申し訳ありません。決して「わからずや」になるつもりは毛頭ありません。それだけ好きな映画な訳で、知りたいだけ、納得したいだけですので、ご勘弁ください。予想をはるかに上回るレベルのご返答にとても嬉しく思いまた、深く感謝いたします。

回答No.1

MONKEYMONKEYさん、こんばんは。 ご質問に対するきちんとした回答ではないのですが、なかば老婆心的な気持ちで回答させて下さい。 「L.A.コンフィデンシャル」本当にいい映画でした。 映画の前に原作を読んだのですが、映画は若干原作とラストが違うものの、ほぼ原作どおりです。 問題のラッセル・クロウですが、彼は原作でもちゃっかり生き残っています。 以下は、映画のラストシーンの個人的な見解です。 今までまじめで堅物だったガイ・ピアース(エドワード・エクスリー)が、警察内部だけでなく、その上層組織にまで至る腐敗の構造を目の当たりにし、最後にはその腐敗を知っていることを逆手にとって、自分の出世に役立てようとする。 一連の事件の中で、純粋だった部分が汚されてしまうわけです。 逆にダーティーな刑事とも言えたラッセル・クロウ(バド・ホワイト)は、一連の事件を追う中であまりにも腐りきったものを見せ付けられ、身体的に大きな代償を支払って、愛する女性と暮らすという、純粋な幸福を手に入れるわけです。 警察の人間が、「あいつさえ黙らせれば~」というのは、例えバドが生きているとしても、あの体では職場に復帰できないし、例え告発したとしても、それは自分自身の汚れた部分や、何より大事にしていた友人の汚れた部分を世間に知らしめることになるので、彼がそこまでしないということをわかっていたため、彼自身は無害として判断されたためではないかと思うのです。 その点エドは、真面目で実直な刑事として知られていたので、彼の方が、告発する可能性大だと思われたのではないでしょうか。 エドは自分が知っている事実を利用して出世しますが、ラストでのバドとの語らいから、バドの為にも自分が出世し、もっと組織の上にいってから腐敗を取り除いてやるんだ、という心意気を感じます。 そもそも、バドが再起不能の重症を追ったのは、銃撃戦の中でエドをかばったせいだったので、なおさらな気がします。 黙したまま、惚れた女と世間から隔別した田舎へと向かうバドにも、全てをエドに託したという雰囲気が感じられます。 原作を読んだからかもしれませんが、コールガールの中でもプロ中のプロであるキム・ベイシンガーを惚れさせたのがラッセル・クロウであるので、例え彼が銃撃戦で死んだからと言って、キムがガイ・ピアースとあんなにすぐにくっつくということはないかな、という気がします。 なんだかえらそうに色々書いてしまいましたが、原作も読んだうえでの感想ですので、映画を観てどう感じるかは人それぞれだと思います。 ただ、こういう解釈もあるんだなぁぐらいの、ご参考までに。

MONKEYMONKEY
質問者

お礼

有り難うございます。凄くよく映画の内容を把握されていて、とても感心致しました。バド:「ダーティからクリーンへ」、エド:「クリーンからダーティへ」という対照的な図式は意識してなかったので新鮮でした。「参考までに」とか、「人それぞれ」ともおっしゃってたので、これ以上付き合いきれないかもしれませんが、私の誤解はまるっきり、私の解釈ミスでしょうか?それともそう考える人がいてもおかしくないという部分もあるでしょうか?これ以上甘えるな!もういいよ!とお叱りを受けてしまいそうですが、お話の中に「廊下を腕を組んで出て行く」については触れておられなかったのですが、これもささいな事でしょうか。単に「おめでとう」ぐらいの意味合いだったのでしょうか。原作と同じというのは揺るぎ無き重要な点ですね。きっとおっしゃる通りなんでしょうね。ラストについてそこまで考えられなくて恥ずかしい限りなんですが、エドはバドに対して「俺が出世して意志を継ぐ」と命の恩人に対して思っていたが、それは同時に「純真さを失う」という大きな代償を払っている事でもあるという二重の意味あいを含んでいるという事なのですね。エドは「そうはならない」と思ってはいるがこの度のエドの行動は腐敗への道を一歩進んだ事に他ならないわけですね。なるほど。それと「あいつさえ黙らせれば~」についても納得しました。ただ、キム・ベイシンガーは確かにバドを愛したが、彼が死んでしまって、エドに乗り換えるという「芸当」を身につけているとしてもおかしくはないと思ったのです。そして、エドはそれに簡単にだまされるであろう事も。だからこそ最高級コールガールなわけで。「現実的」とは「夢は夢のまま」という気がするのですが、そういう意味でブラックな「エドとキム・ベイシンガーがくっつくラスト」の方が大人っぽい気がしたのです。あと、(しつこいね~)ブライアン・ヘルゲランドがどうも甘いハッピーエンドを書くとは思えない。「ペイバック」でも途中で代えられたじゃないですか?ブライアンが辛口なストーリーを書き(なんなら原作をまげてでも)、いつもハリウッドに「ソフト」に変更されてしまうのではないかと思ったわけです。妄想でしたか?とにかく深く解釈されている方からありがたいお教えを頂けてとてもうれしく思います。又教えて頂ける事があったら教えただきたいです。

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