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不倫3年目です
相手には奥さんと、小学生の子供が3人います。 私にも夫と小学生の息子が居ますが、私の家庭は既に目に見えて 崩壊しています。 不倫というのかよくわからない関係ですが この2年余り、週に1度、欠かさず会って食事をしてきました。 電話は日曜、祝日、連休意外は毎日30分~1時間ぐらい話す 時間があるでしょうか。 好きになれば、愛すれば、共に生きたいと思うのは 女の愚かさなのでしょうか、彼は着実に夫として、父親として 家庭を守っています。子供のスポーツの大会の役員や、町の自治会の役員、小学校のPTA、子ども会の世話など、とてもマメにご夫婦で 参加されて、しっかり生活されています。 私はそれが理解できないのです。 『家庭は壊さない、離婚は絶対にない、けどあなたとも別れない』 奥様とも仲良く、冗談を言い合ったり、普通以上の関係で暮らして 居るようです。 それでも私が必要だという感覚がわからない。 私は、そんな彼ですが、二言目には『離婚する、お前と一緒になる』 と、軽々しく言うような男の人と違い、家庭を持った責任を真っ当 される彼を愛していますし、嫌いになることが出来ないのです。 でも、理解ができない。 本当に私を愛したら、他のものはなにも要らなくなるのではないの? 何度も問いかけますが、「それはそれ、これはこれ。家庭を子供を持った責任がある。」というのです。客観的にそういう彼が好きで、 当事者の私は悲しい思いです。 『一生こうやっていればいいじゃないか』と彼は言います。 でも、彼が年老いて、看護の手が必要になったとき、 たとえば事故や病気になったとき、私は何をする権利も持たないのです。 浮気をする男の人の心理と本当の愛の意味を私は理解できないのです。 おしかりでも良いです。 ディスカッションの中で何か見えてくるような気がするので ご意見を頂きたいのです。お願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
再度失礼します、#24で回答させて頂いた者です。 御礼頂いたのを拝見し、質問者様の辛い気持ちがまた伝わって来ました。 前回は「目を覚まして欲しい」と思い、少しきつい調子で書きましたので、追い詰めてしまったかしら?と、心配でしたので、再度登場させて頂いた次第です。 恐らく、質問者様には、殆ど答えが見つかっていると思います。 なので、こんな内容を書き込めばまたぞろ決心が鈍るかもしれません。 以下は決して世間様では認められない「個人の意見」という事を念頭に置いて下さいね。 >私は「共に生きる」とは「衣食住」だと思うのです。 質問者様の「共に生きる」の定義は、全くその通りだと思います。そう出来れば一番良い人生の歩み方かも知れません。 ですが、私は彼の仰る「一緒に住んでいること=共に生きる。 ではない。」にも共感出来ます。 たとえ一緒に住んでいても、夫婦であろうと、四六時中一緒に居られる独身の恋人同士であろうと、目に見える状況だけで「共に生き」ているのでしょうか? 状況がどうであれ「双方の心の在り処」が近ければ「共に生きている」満足は得られる、とは思えませんか? 例えば、質問者様のご家庭は「冷え切っている」と仰ってますが、周囲からは「共に生きて」いる様に見えるだけで、貴女ご自信に家族と「共に生きている」実感がおありでしょうか? その実感が持てないからこそ、彼と「共に」と願われるのではないですか? 目に見えない「心の在り処」は、当の本人にしか分りません。 ですからこのサイト内でも、「連絡が少なくて不安」「逢えないのが不安」「一体私はどう思われているのだろう」という質問が山の様にあるのだと思います。 では、連絡が頻繁にあり、逢う回数が多ければ、双方の心は近い位置にあるのでしょうか。 たかだか数日連絡がないというだけで、不安でどうしようもなくなる様なふたりと、 目に見える形での繋がりはなくても、お互いに相手の心がそばにある実感があって、不安にならずにいられるふたり。 どちらが幸せで、どちらが「心の在り処」が近いでしょうか。 見えない「心」が実感出来る様になるには、信頼や愛情、ふたりの気持ちや行動の積み重ね、色々なものが複雑に絡んで、そして積み重なって、はじめてそういう気持ちになれるのだと思っています。 見えない心を信じ、それを育んで行くのも「共に生きる」形のひとつではないでしょうか? 例えお互い独身でなくとも、こういう気持ちを育てていれば、相手の家庭など問題にもなりません。 “家庭”は目に見える形として分かり易いですが、でも彼の「心」が共に生きているのは“貴女”だとしたら? 彼が家庭を大事にしているのは、家庭は大事なものだから、なのです。 家庭人としての彼の心は家庭にあり、夫としての心は妻に、父としての心は子供にある。それは壊せないし、壊してはならないものです。 彼の「心」の全てが欲しいなら、それはどう考えても無理な話です。 でも「ひとりの男」としての彼の心は“貴女”と共にあるのだとしたら? 傍目からは“都合のいい関係”にしか見えなくとも、当のふたりにしか見えない「心」だから、当のふたりにだけ実感出来る「心」であれば良い。 世間では不倫なんぞ、肯定しては貰えません。 男女の関係は目に見える、だから批判される。 心で実感し、心で繋がっているのは、誰からも見えない。 自分の心の隣に 彼の心が寄り添っていても、誰にも分らない。 その心を育てる過程は茨の道でも、心が繋がっていれば誰よりも、何よりも強くなれると思うのです。 私の考える「納得した付き合い」というのは、こういう事です。 それさえあれば、自分の心を強く持って生きられる自信。 相手に家庭があろうが、自分に事情があろうが、「それでも心は繋がっている」と自分で実感出来る強さ。 私は不倫を否定も肯定もしません。 相手の家庭も自分の家庭も配慮し、誰も傷付けず、自分の心の中で全てのマイナス感情を御せないなら、リスクを負う恋愛には賛成出来ないだけです。 >愚かな母であったと。冷静に振り返ってもらえれば とありましたが、私は貴女を愚かだとは思いません。 ご自分の感情をコントロールするのが、上手では無いだけだと思います。 こうして真剣に悩み、出口を求めていらっしゃる貴女は、不倫に向かない純粋な方なのだとお察しします。 少しでも貴女の心の負担が軽くなれば・・・と思い、長々と愚にもつかぬ私見を述べました。 公共のサイトなので、世間様の目を憚ってあまり過激な事が書けず、もどかしく思っています。 長文 失礼致しました。
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>好きになれば、愛すれば、共に生きたいと思うのは、女の愚かさなのでしょうか これは愚かさとは言いません。正常な考え方だと思います。ここで愚かなのは、既婚者なのにも係わらずそれを望んでしまっている貴女です。 >当事者の私は悲しい思いです。 では、その不倫相手との関係を清算してはどうでしょうか。 不倫なんて最初から良い方向には行かない事が解っていたはずです。私は、自分も既婚者なのに不倫をする人の思考回路が理解できません。独身者が既婚者と不倫関係になって壁にぶち当たるのは理解できるんですが(賛同はしないけど)既婚者同士の不倫は理解に苦しみます。貞操の義務を持ったもの同士が何故そんなくだらない事をするのだろうと、このサイトでこの手の投稿を見る度に感じます。
このままの状態でいいんじゃないですか? 少しの安らげる時間があるだけでいいじゃないですか? 相手の家庭を壊してまで得たいものってなんですか? ご自身の幸せですか?その結果があなたの家庭の崩壊じゃないですか? 人の家庭まで崩壊させる権利なんてないでしょう? 浮気をする男の心理は単純です。本当の愛に生きる男なら子供のスポーツの大会の役員や、町の自治会の役員、小学校のPTAなどやりません。悲しいですが本当の愛情はありません。だからといって相手に罪はありません。それはあなたにも原因があるからです。 もう一つ言わせていただくと本当に、本当に彼を愛していますか? 答えがYesでも報われない時があります。
お礼
このままの状態がいいんですよね。 判ってます。。 私も楽しんで二人の時間を持てばいい。 相手の家庭を壊すことは望んでは居ないのに 私だけの人であって欲しいと思うんですよね。 私の原因とおしゃる事もわかります。 休息を求めて「私」であるはずなのに 逆にストレスの元になってしまっている。 彼の事は愛しています。 家庭を大切にして、けして浮気におぼれないところも好きです。 報われるはずもありませんが、 彼に本当の愛情が無い。と言い切られてショックですが 第三者にそう言ってもらえて、うれしいです。 そうだよね、と。私の長い間鬱積していたものが 晴れてきます。 ありがとうございました。
- zuka-chan
- ベストアンサー率15% (11/72)
質問者さまの書かれているとおり、本当に愛し大切に思うのなら のちの人生はともに歩みたいと思われるでしょう。 でもおわかりのように、そうしない彼が現実です。 質問者さまと彼の思いは違います。 質問者さまとの時間があることで充電し、更に家庭生活を充実させているように見えます。 そういった意味で、大切な人であることに変わりはないと思います。 家庭を守りながら、一方でそうしてずっと過ごしていくことだけが、彼の希望でしょう。 老後の世話や、事故や病気の時、質問者さまの助けは必要としていないのが彼の生活です。 質問者さまが無茶をいうようなお子ちゃまではないとわかっての、彼の都合のいいわがままです。 ただ、もう少し彼と同じくらいのテンションになったほうが あとあと痛い思いをしないような気がします。 このままでは、質問者さまの家庭だけが壊れ、何も残りません。 それはお望みではありませんよね。
補足
ありがとうございます。 頭では理解していたけれども 形にならなかった言葉を書いて頂きました。 私の家庭は既に壊れていましたので 彼だけが痛い目に合わず、私が損をする、、 と、いった考えはないのですが、 彼と私の温度差ですね、 そこが私の悲しみなのです。 でも、彼の存在は無くてはならな物 温度差を抑える器用さも持っていません。 難しいものです。。
- sawadahana
- ベストアンサー率48% (263/543)
質問者さん、不倫・・・されていないと思うんですが。 彼も、不倫・・・してはいないですよね。 食事と電話とメールだけで、一線は越えていないんですよね? 彼にとっては、浮気相手というより、ちょっとした友達では。 >本当に私を愛したら、他のものはなにも要らなくなるのではないの? 彼が愛しているのは自分の家族で、質問者さんじゃない。 ただそれだけでは。 息子さんがいるんですよね、質問者さんには。 この彼に現抜かしている暇はないと思いますよ。 大切にする物、考えなきゃいけない事を放棄しすぎてませんか? 家庭が目に見えて崩壊しているのなら、そちらがまず先ですよ。
お礼
言いにくいので書きませんでしが、関係もあります。 普通に、たぶん奥様とも普通にでしょうけど(笑) 家庭は目に見えて崩壊しています。 子供には申し訳ないですが、 子供の父親を尊敬できず、愛せない。 子供には子供の人生があり、私は出来る限りバックアップして 生活していくつもりです。 ただ、私にも人生がある。 私はもうすぐ40歳です。 自分の人生を考えたいのです。
- nyangoro
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私にも、貴女も彼も理解できませんよ。 >本当に私を愛したら、他のものはなにも要らなくなるのではないの? そう思うのであれば、ご自身が実践されるべきではないですか? 自分で出来もしないで、人に求める事を、一般的に「我侭」といいます。 どうせ、不倫(道徳に反すること)をしている2人ですし、道徳のない方同士で道徳論を語っている事自体、お笑い種である事を理解すべきではないでしょうか? >浮気をする男の人の心理と本当の愛の意味を私は理解できないのです。 鏡で自分を見るべきではないでしょうか? 貴女や彼の勝手で、悲惨な思いをしなければいけない、相手の奥さんや貴女の旦那さんとお子さんだけが被害者ですね・・・ 発覚して、現実を見るのが一番ではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 道徳という観念に欠如していると思います。 私の方は実践し、夫婦間の話し合いの結果、 子供が立志するまでの保護人として共同生活してます。 それが愛の証だと言うつもりもなのですが。 女は2人の人に同じように愛は注げないのですよね。 発覚して、彼がどう立ち回るのか、 私も見てみたいです。 おっしゃる通り そういうときに真価が現れると思います。
- Dr_kaibun
- ベストアンサー率15% (98/636)
>たとえば事故や病気になったとき、私は何をする権利も持たないのです。 もう本人が一番気づいてるように見えますが。 それが「浮気」なんじゃないですか? 質問者様といると楽しい。でも生活は要らない。 ここの投稿としては珍しく「自己陶酔」ではなさそうなので まだ質問者様は間に合うと思います。 質問者様が対象者を想う気持ちは少なからず理解出来ますが 今お考えのことは 「自身がよければ人のことなんてどうでもよくない?」 というまさに盗人発想になりかけてます。 因果応報。 やれば必ずやりかえされます。 どうぞお気を確かに。
お礼
回答いただきましてありがとうございます。 「自分がよければ人のことなんてどうでもよくない?」 まさにその通りです。 奥様の気持ちにはなれないし、逆に毎日彼と過ごせて幸せな方だなあ、 と思っています。 自分の人生は一度しかなく、幸せになりたい。 子供も夫も同じでしょう、でも、彼らの人生は 彼らが切り開いていくのだと思っています。 誰かのために、自分がなにか出来る、、そう思うほうが奢っている ように思うのです。
お礼
ありがとうございます。 >状況がどうであれ「双方の心の在り処」が近ければ 「共に生きている」満足は得られる そうなんですね、「心の在り処」 彼の心がどこにあるのか、 それを考えるのです。 「私の処にあるの?」と聞くと 「心はここにある」と、言われる。 でも私には見えない。 どうして信用できないのか、私の被害妄想が強いのか、 でも、彼が存在している事は、私の生きる糧であり、 心の中にいつも座っていてくれて、カイロみたいに 私を温めてくれます。 それが、彼の心が私の処にあるからなのか、 無いけど私が彼を思うがあまり・・なのか。。。 >見えない「心」が実感出来る様になるには、信頼や愛情、 ふたりの気持ちや行動の積み重ね、色々なものが複雑に絡んで、 そして積み重なって、はじめてそういう気持ちになれるのだと 思っています。 >見えない心を信じ、それを育んで行くのも 「共に生きる」形のひとつではないでしょうか? rubi-さんの言葉を読みながら 彼の言葉を思い出しました 「どうして先(結論)を急ぐの、まだまだこれからでしょう」 私達はまだ3年弱です。 まだ積み重ねている途中なのでしょうか、 たとえば10年後、なにか変わっているのでしょうか。 それを作って行くのが、二人の『共に生きる』ことに なるのかも知れないですね。 私は『なにも積み重ならなかった10年後』が 怖いのかもしれません。 そういう道もあるのだと、とても心が動きました。 ありがとうございます。 >それさえあれば、自分の心を強く持って生きられる自信。 彼の存在は私のすべてです。 たとえ『別れ』を選んだとしても、この気持ちは変わらない。 rubi-さんありがとうございます。 彼は家庭人としての立場を放棄することは無く、 私と実質的に『共に生きる』ことは無い。 それが大前提なんです。そうです。 ただ私は『ここに心がある』事を願っている。 rubi-さんの言葉の全てが、私の気持ちを やさしく撫ぜてくれるようです。 とても、気持ちが楽になりました。 もっともっと考えてみたいと思います。