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性的虐待の加害者心理とは?
性的虐待についての実態はよく見聞します。 が、その加害者心理というものをどうも無視している(私の知識不足もたぶんにあるでしょうが)ように思えます。それをなくしてこういう議論をしてもあまり有効でないのではないかと思われます。なぜ幼い子供に性的関心が行ってしまうのか、それはただ「異常性」として片付ければいいのか、どうもそうでないような気がします。 私なりに考えた一般的な動機というのは次のようなものです。大変節操もない下種な話になりますけど。 実の父親が小学生くらいの娘をターゲットにする場合、妻の肉体はかつての性的魅力を失いつつあり、また慢性的な飽きがある。娘の方はだんだんと女の雰囲気を身に付けてきたし、若さというのは抗えない魅力があり(もちろん子供に性的関心を寄せてしまう事は、異常性といえるでしょうが、極端ではないでしょう、この異常性を指摘したら、相当なパーセンテージの男性が当てはまってしまいます)、自分の娘だろうと何だろうと、自分の性エネルギーを倫理観でとどめる事は出来ない。 大体こんな理屈じゃないでしょうか。 継母とかそういう場合も似たようなものでしょう。 とにかく有り余る性的エネルギーが範囲を逸脱してしまうのです。 それが真相ではないでしょうか。 この解決策はわかりません。妻が夫を悩殺する工夫をするとか言う非現実性しかありませんでしょうかね。 また被害者と加害者はどうも性的な問題だけでなく、人間的にも距離があるところが問題なようなところがある気がしますがどうですか。性的に「獣」なお父さんだが、私の趣味にすごく詳しいとか遊ぶとすごく楽しいとか、人間的に尊敬できる感情が同時にあるとすれば、少しは救いのような気がするのですけど、どうなのでしょうか。
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実際もっとシンプルかつ本能的だと思います。 >もちろん子供に性的関心を寄せてしまう事は、異常性といえるでしょうが~ これに関しては少々異論を。 変な言い方になりますが異常性ではないんですよね、むしろ男親(女親も当然入りますね。事これに関しては、欲望の大小だけで性別というのはあまり関係ないですので)の昔からの人間の欲望と言うべきじゃないかと思います。 源氏物語を読んで頂いたら分かりますが、「子供を育ててそれを自分色に染めたい」というある種の欲求(本能)の延長線上だと思いますよ。 それに良く言うじゃないですか「近親相姦は禁断の果実」って。 不毛な行い程人間はその行為に魅力を感じますし、泥沼に嵌っていくものです。 親が男か女か、はてまた子供がどっちかという違いだけであって、親全てに当て嵌まる本能だと思います。その欲求の大きさの違いだけであって。
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- jamiru
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人として大切な、「昇華」が出来ない人間になります。 そんな人間を見て育つと、子供も「昇華」ではなく、「解消」という手段を選びます。 物事を跳ね除けるのではなく、臭いものにフタをして、 現実を処理する能力がなくなります。 倫理感ではなく、己が成長する事を自分で否定した人間です。 後は道連れを求めるだけです。救いは異次元への旅立ちくらいでしょうね。
お礼
そういう被害者の二次被害も出てくるようですね。
- joyfullife
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『子供を性欲の対象として実行』 してしまった場合、趣味にすごく詳しいとか 遊ぶとすごく楽しいとか、一見いい父親風で あったとしても、結局子供にそういう事したら 人間的尊厳と信用はすべてパーです。 人間として救いはない。 そしてほぼ再犯します。 しかし実行せずに思っているだけなら問題なし。 若い方がいいのは当り前。
お礼
ま、確かにそうでしょうね。そのことによって何もかもいいわけは通じない事になりましょう。 思っていることと実行する事には雲泥の差があるわけです。
- aho0xff
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個人的にはもっとシンプルなイメージです。何しろ欲望に直結することなので。 どんな事情、背景があろうが無かろうが、一線こえたらその方向へ突っ走る。それだけかと・・・ 昨今様々な性癖が「見えて」いますが、その方向性が違うだけで 根本は実はその程度なんじゃないかと思えます。 外国のニュースじゃその方向性が動物にいってしまって病気になってニュースになったりも していますしね。
お礼
そうですか。動物そのものが人間性の裏には隠されている。そういう理解で多分あっていると思います。要は、人間としてとどまれなかったものには、社会的にも個人的にも制裁が待っていると言うことらしいです。
お礼
そうですか。本能的に非人間性というものは宿しているものなんですね。それを実行してしまう事ととどまっている事の差がものすごくあるのだという話なんでしょうかね。