- ベストアンサー
文系で院か就職か。
私は大学で哲学の勉強をしています。とにかく哲学が大好きなんですが、両親はほとんど収入がなくて自分ができるだけ就職して早く親孝行がしてあげたいです。また院に行くとなると、現在の大学へ進学することになるんですが、両親のいる実家から遠く離れているため、土地柄や友人関係にも不安があります。(なぜか今の大学のある地方の人や場所柄に馴染めない状態です。)また好きなはずの哲学なのですが、大勢の前で発表をすることがどうも苦手で、先生との人間関係も疲れやすい性格です。また2年も浪人しているため、あせりもあります。就職しても通信制の大学院で勉強はできるとも思います。 でも院に進学して空いた時間を利用しながら何か独立可能な資格を取得して卒業する、というのが当初の私の希望進路でした。歳を取ってから本を出版しながら知的な仕事も行いたいです。この歳であせらず院で好きなことを学び、苦手なプレゼンも克服し、現在の国立大修士の地位を得ておきたいとも思います。そこで文系で同じように悩んだ経験のある方、就職して後悔したこと、院に進学して後悔したこと、またそれぞれ良かったことなどを教えてください。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
ご両親がほとんど収入がないとのことですが、院の学費と生活費はどのようにされるおつもりでしょうか? 私の経験から言えば、文系では修士だけ持っていても何の役にも立ちません。あくまで博士課程の前期なので、中途半端なリタイヤになるだけです。就職上のメリットもありません(就職課も「院に進学したならなぜ博士に行かないの」という感じで、あまり積極的にはサポートしてくれませんでした)。いずれ民間に就職しなければならないのなら、スタートが遅れる分不利です。私は英文学専攻なので、語学を活かした職にありつけましたが(とは言っても修士号が給与に反映されるわけではありません)、哲学はさらに厳しいのでは? 正直な話、大学という閉じられた場でも折り合いを付けるのが苦手なのであれば、修士で二年モラトリアムを過ごすと、その性格が助長されるだけだと思います。いつまでも逃げられるものじゃない、いつか克服しなければならないものなら、早い方がいいですよ。 >院に進学して空いた時間を利用しながら何か独立可能な資格を取得して卒業する これは院をなめすぎです。ご家庭の経済状況を考えたら、多少なりともアルバイトは必要なのだろうと推測しますが、それに加えて、何がしかの国家資格の勉強ができるほど暇じゃありません。院でも自分の専門とは違うゼミの単位を取らなければなりませんし、次の授業までに一冊読んで来いと言われるのもザラですし(もちろんただ読めばいいというものじゃない)、人数が少ない分発表の順番が回ってくるも早いです(自分の担当じゃない回だって意見は聞かれます)。 私が院に進学したのも、自分が会社員に向く性格でないと思ったのと、そもそも勉強が好きだからでした。とは言え、好きな作家だけを研究できるわけではないし、教授同士の人間関係に巻き込まれたこともあります。具体的に研究したい対象が絞り込まれていないと、2年で修士を出るのは大変だと思いますよ。漠然と哲学が好きではやっていけません。今の勉強が好きという気持ちを大事にしたいなら、在野の研究者でいた方が個人的には幸せじゃないかなと思います。 就職して後悔したことはありません。これまでそれなりに優秀なつもりだった自分の至らなさを知ることができましたし、結局のところ、好きなことをやるには資金が要りますから、収入が安定したことで学生のころにはできなかったことに挑戦することができました。 >歳を取ってから本を出版しながら知的な仕事も行いたい 本気でこの夢をかなえたいなら、若いうちにお金ためないと。 何か参考になりましたでしょうか?
その他の回答 (3)
- kirin_beer
- ベストアンサー率23% (163/687)
#3です 私は文系が理系より低位とは一言も書いて無いですよ?思った事もありません、私も貴方のように学問が好きで博士課程まで進み、今は研究を仕事としています。研究分野は文理融合領域ですので、両方の現状を把握しているが理系出身としての意見ですという意味で書きました。私が「文面どおり理解した」と言ったのは、貴方のように想像による予断をもって物事を見たくなかったからです。これは理系文系に限らず、学問全てにとって大切な事です。 私の書き方で、怒らせてしまったようで申し訳ありませんでした。大学院は受身の勉強しに行く所ではなく、研究しに行く所だという事を言いたかっただけです。本当に申し訳ありません。
お礼
「予断をもって物事を見」ていないから、このように質問させていただいております。ただこちらこそ申し訳ありませんでした。ネットでも周囲からも文系というだけで、一辺倒な返事をくらい、自分の好きなことが否定されることが多いため、また進路にずっと悩んでいたこともあり、過敏に反応してしまいました。こちらこそ失礼で不快なコメントをしてしまい、大変恐縮しております。やはりあなたがおっしゃるとおり、就職して親孝行をしたいと思います。あなたほどご立派な仕事は恐らく私にはできませんが、私なりに頑張りたいと思っております。本当にありがとうございました。
- kirin_beer
- ベストアンサー率23% (163/687)
理系の視点からお答えします。 理系にとって修士に進むの理由は「就職に有利」だからです。有利どころか、理系職に付きたかったら修士を出ていないと無理という状況も多々あります。 文系にとって修士に進むと「就職が不利」になると聞きます。文系にとって大学院に行くのは「この学問で一生飯を食います」という意味になります。他の方も仰っていますが博士課程もセットで、なおかつ博士号がすんなり取れる世界でも無いという事です。 さて、で、貴方は『国立大修士の地位を得ておきたい』というのが理由だと思います。国立大文系修士の地位って何でしょう?理系なら就職で評価されますが、文系の修士はどこで誰が評価するのでしょうか?現在の日本では誰も評価しないと思います。(この日本ではMBAだって殆ど評価されていないのですから、哲学修士なんて・・・) >院に進学して空いた時間を利用しながら何か独立可能な資格を取得して卒業する 空いた時間があったら研究する。それが大学院ですよ。独立可能な資格を取ったり、ただの勉強なら、大学院へ進まなくても出来ると思います。#2さんも言ってますが、院を舐めてると思います。(まぁそういうモラトリアムな学生も多いのは事実ですが・・・) ともあれ、質問文を文面どおり理解した上での回答ですので、質問者さんにとっても、哲学を修めるにあたって質問文には書かれていないもっと崇高な理由というのもあるかもしれません。それだったら失礼をいたしました。
お礼
「質問文を文面どおり理解した」と書かれておりますが、理系のあなたの限界です。あなたは質問とは逸脱して終始「就職に有利か不利か」という理系らしい発想を誇示し続け、「お金を得る=幸せ」という低俗な固定観念に縛られています。全てが数字で測れるとでも思っているのでしょうか。私は哲学が好きですので、多少の経済的困窮に苦労しても哲学をすることで幸せなのです。「独立可能な資格」の取得については、確かに難しいことは自覚しております。しかし院をなめているのではなく、あなたの言うように文系の院進学にとって就職上の問題が生じるからこそ、ここで頑張らないと駄目なんです。あなたのように就職の問題を論点にして、理系を優位に文系を低位にしたがるのは、ネット上に蔓延している浅薄な人生観です。あなたは経済的に自立はできても、人間的には自律できておらず、依然モラトリアムにいる人間だと私は思います。ご回答はうれしく思いますが、そもそも私はあなたのような人を想定して「文系で同じように悩んだ経験のある方」と回答者を限定しておりますので、恐縮ながら直接の参考にはなりませんでした。
オーストラリアの政治大学院に留学しました。 後悔ではないですが、文系大学院を卒業した場合、起業や官庁派遣の学生でなければ、日本ではコネがないと大学の教職員にも専門知識を活かす機会も先ずありません。ニホンにとっては、もったいない話です。 私は、食うためにやむなくフリーの通訳・翻訳業をしています。 貴殿が、哲学を追求するのはいいことですが、実際に教授とかなろうと思ったら、かなり至難の技で、貴殿の学力よりも、有力者のコネがものを言います。
お礼
迅速な回答を下さいまして、本当にうれしく思います。ありがとうございます。そうですか、やはり文系研究者の道は険しいのですね。私は向学心が強いようで、先生にはかなり気に入ってもらっております。研究会に2つほど所属させてもらえていますので、この程度であれば一応のコネはできています。就職して、夏の合宿等にだけでも参加しつつ、新たな通信制大学院でさらにコネクションを作っていくのも有効なのかもしれません。この場合、あらたにお聞きしたいのですが、大学の学歴などはコネと比べて大きな要素にはならないのでしょうか。何分、通信制で大学の偏差値はかなり低いところへ進学することになります。(もちろん就職をします)現在の大学は、一応は国立のそれなりの大学なのですが、私個人は自分の勉学心の問題ですので、大学には一切こだわりを持っておりません。しかし不本意ながら世の中には依然として、大学の名前を見る人もいます。アカデミックな地位や業績を求めるなら、大学の名前等がグラつくのは、どれほど致命的なものになるでしょうか。あなた様は留学された立派なご経歴をお持ちです。この点について、何かアドバイスをいただけますでしょうか?
お礼
大変、参考になりましたよ。詳しく教えていただき、ほんとうに感謝しています。「漠然と哲学が好き」というのは誤解です。かなり具体的に自分の特定分野がありますが、それを書くのは質問の趣旨から逸れるので書きませんでした。「知的な仕事をしたい」というのが、私の主に知りたいことです。私は知的な仕事(たとえば好きな哲学者の翻訳や論文を書いて、どこかに公表されること)を行って、いずれ本を書けたらなーと思っています。そのために、学歴上は文系でも修士の地位は必要なのかどうかが、具体的に知りたいところです。そのために経済的な困窮と多忙を覚悟で頑張る価値が、現実にあるのでしょうか? この点についても、もしよろしければ教えて下さいませ。「在野の研究者」になるためには、院の進学は不要だと思われますでしょうか?