クルマの設計屋ですが、以前自動車史の研究も仕事の一環だったので経験者、とさせて頂きました。
さてフォルクスワーゲン社自体に関しましては、様々な書籍が出版されています。自動車関連書籍を多くおいている書店、或いは書籍のネット販売サイトなどでも、2~3冊ぐらいはカンタンに発見出来るでしょう。
そこでワタシは歴史研究者らしく(?)『歴史のウラ話』を御紹介致します。ちょっと長くなってしまいそぅですが、本や雑誌には余り書かれない自動車史です。御質問の意図とはズレてしまう様な気もしますが・・・・(A^-^;)
1.政治的思惑で設立
フォルクスワーゲンとはその名の通り、Volks(=国民)のWagen(=車両)を作る為に生まれた会社で、当時の歴史的背景抜きには、その設立の真相は語れません。
当時(第二次世界大戦前)のドイツは第一次大戦の敗戦国として徹底的な経済制裁を受け、国民の生活はどん底でした。(勿論、労働者階層が自家用車など持てる経済状態ではありません。)
そんな中、政権を奪取したナチス党のアドルフ・ヒトラーは、人心の掌握の為に様々な国内経済活性化政策を打ち出します。その一つが『国民一人一人が自家用車を所有する社会を作る』で、そこで国民が買える値段で、しかも当時最も成功した大衆車であったフォード・タイプTの様な簡素なモノではない、『優秀なゲルマン民族に相応しい高性能車』を量産する自動車会社が必要でした。勿論この会社設立には、高い失業率対策としての大儀もあったでしょう。
そこで設立されたのがフォルクスワーゲン社です。
2.戦争用?
しかし、いきなり貧乏な国民が買える様な低価格なクルマは製造出来ません。そこでヒトラーは、国民各自が払える金額で積立をし、満額になったらクルマを渡す、とゆぅ公的な貯蓄制度を作りました。
しかしこの話にはウラがあります。結局、第二次大戦前には、極少数しか国民にクルマが渡ることは無かったといいます。製造された部品は、軍用車であるキューベルワーゲンやシュビムワーゲン用にストックされたのです。ヒトラーは、国内経済の建て直しを建前として、この時既に戦争突入の準備をしていた、と考えられます。
更に公的機関がプールしている『自動車積立貯金』があります。この資金を得てヒトラーは、第二次大戦に突入するのです。
3.実はタトラ?
ヒトラーは今日では単なる狂人の様に言われていますが、しかし狡猾な政治手腕も持っていました。彼は第二次大戦初期、他国を占領するとそこの工業を徹底的に解体し、経済活動を破壊します。そぅする事によって、反ドイツ勢力を弱体化させたのです。
しかしそのヒトラーも、あまりのすばらしさに工場解体を実施しなかった自動車メーカがありました。それはチェコのタトラです。
タトラでは当時既にV8気筒をリヤに積んだ流線型のリムジンを作っており、ヒトラーはいたくお気に入りだった様です。今日ではグロッサー(メルセデスのKシリーズ)に乗って凱旋行進するヒトラーの姿が有名ですが、チェコ入りする時は、わざわざタトラに乗ったほどでした。
そしてここで、悲劇の天才自動車設計家、フェルディナント・ポルシェが登場します。
既にメルセデス・ベンツSSK(ルパン三世のTV版ファーストシリーズでの愛車ですね)や史上初のミドシップ・レーシングカーであるV16気筒のアウトウニオンなどを設計し、名誉博士号を与えられていた彼は、ヒトラーに耳打ちされます。
『優秀なゲルマン民族に相応しい高性能なクルマが欲しい。タトラの様なクルマが。』
ポルシェはこの時、ピンと来たと思います。非常に短い期間でしたがポルシェはタトラ社の設計部長を勤めた事があり、その時、前任者であったハンス・レドヴィンカ(例のV8リムジンの設計者)が描いた図面を全て見る事が出来る立場にありました。(更に、当時既にレドヴィンカには、4気筒の小型タトラの構想があったとも言われています。)
そして誕生したのが、あの『ビートル』です。お椀を伏せた様な空力ボディ、甲虫の様なエンジンカバーや2分割のリヤウィンドゥなど、ビートルはタトラの特徴の多くを備えていました。
今日ではポルシェの天才的発想とその偉業のモニュメントとして歴史に名を残すビートルですが、実際はどこまでポルシェのオリジナル設計だったのか?今となっては誰もそれを明らかには出来ませんが、しかし一つだけ言える事があります。
タトラが欲しかったヒトラーはビートルを見て大喜びし、そしてポルシェに対して絶大な信頼を寄せ、ポルシェはエレファントやキング・タイガー、マウス等の高性能戦車の設計に係わらざるを得ない状況になってしまい、結果、戦後は戦犯として幽閉される事になるのです。
4.戦後のVW社は誰のもの?
ヒトラーの自殺でヨーロッパ戦線は終結を迎え、戦争処理に占領軍が乗り込んで来ます。
占領軍(米軍)は第一次大戦の厳しい経済制裁がヒトラーを生んだ事を反省し、ドイツの経済活動の早期再開(=ドイツ国民の自立)を目論見ます。(このあたりの事情は、日本も同じですね。)
ドイツ国民の仕事を確保する為にも、フォルクスワーゲン社を潰すワケには行きません。占領軍は、フォード社にフォルクスワーゲン社のコントロールを打診しますが色よい返答が得られませんでした。彼らはチッポケでズングリしたビートルを『売り物にならないオモチャのクルマ』と決め付けました。しかしこの決定が、戦後のフォルクスワーゲン社の独立性と、ドイツ国民の誇りを守ったと言えるでしょう。工場は爆撃で完全に破壊され、しかも援助の手も断ち切られた当時のフォルクスワーゲン社の重役連中の落胆と焦燥は、想像を絶するモノだったでしょうが・・・・
今日、同じドイツのフォルクスワーゲン社とオペル社は、EU全体を市場とする巨大自動車メーカです。しかし斯様な経緯を踏んだフォルクスワーゲン社には、特別な思い入れを持つドイツ国民も多いではないか?と思われます。
まさに、時代に翻弄されながらも激動の20世紀を生き抜いた会社、それがフォルクスワーゲン社です。これほど政治的なドラマを持った自動車会社は、他の国では考えられません。
・・・・近代のフォルクスワーゲン社は民族問題なども抱えており、新たなバッシングネタになっている面もある様ですが、長くなりましたのでこの辺りでやめておきます。近年の問題は、新聞などを根気よく調べられれば手掛かりが掴めるでしょう。
お礼
いろいろな情報を書いていただいて、しかもたくさん、 ありがとうございました。 主に、サイトで情報収集をしていたので、 表面的な内容のことしか分からなかったのですが、 興味深い裏話を知ることが出来て、本当に感謝です!!!