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なぜ「逃げ」はいけないとされるのか
よく「逃げるな」「そんなのは逃げだ」という台詞を見ますが、何故逃げる事が行けない事と判断されるのでしょうか? 本人にとって逃げる事が本当に必要な場合もあると思うし、 そもそもその選択肢が「逃げ」かどうかというのは、そんなに簡単に他人にわかる事ではないと思うのです。 例えば『いじめられた時に不登校になるのは逃げだからダメだ』や 『今ここで転職をするのは逃げではないか』等、具体例に関してどう思うか、 など議論するのでは無く、一般論として 「逃げはダメだ」と言われる原因を自分なりに書いて下されば嬉しいです。 わかりにくくてすみません。
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そうですね、 まず前提として「逃げることはいい事でも悪いことでもなく行為である」ということです。自分の考えとしては「逃げなくても済むことは極力逃げない、しかしどうしても逃げなければならない状況だったら潔く逃げる」 これは大抵の人が納得してくれると思います。 次にどうして「逃げることはいけない事」というのが一般的に存在するのでしょうか。まず「逃げなくてもいい事で逃げること」「少しがんばれば逃げずに済むこと」などで逃げるのは自分のためにもあまりよくないことでしょう。その辺の線引きでしょう。ある人はここは逃げずに済む、しかしある人はここは逃げるしかない。人によって判断はそれぞれです。 そしてもう一つ、ある人にとってはそれは逃げだ。別の人にとってはそれは攻めだ。その判断の違いでしょう。転職などはこれに当てはまると思います。 まとめると、人による「逃げる」判断の線引きの違い。 そして「逃げる」ことの捕らえ方の違い。 が、さまざまな誤解を生んでると思います。 また日本では武士道や戦時中の教育などで逃げることは行けない事と叩き込まれてきたのもどこかに生きてるのではないかと思います。
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- mike_momo
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私もほぼ皆さんと同じ意見です。 「逃げ」といわれればすごく後ろ向きな感じがしますが、「回避」は前向きだと思いませんか。 「誰かに決められた道を必ず行かなくてはならない」という決まりでもあれば、それに従わなければ確かに「逃げ」だととられます。 でも、自分の進む道って誰かに決めてもらって行くものでしょうか。 子供の頃は確かに親に導かれ進んで行くかもしれませんが、自分の進路を決めていく時、親を含めた誰かと相談はしても最終的に自分の意思で決めて、自分の足であるいてきてはいませんか? 確かに物事には「道理」があります。でもみんなが同じことに「右へ倣え」をしていたら大変危険なことだと思います。思想は常識の範疇を超えなければ自由だと思います。 誰がどんな問題で悩み、苦しんでいたところで最終的には「変わりたい」「何とかしたい」という本人の意思ではないでしょうか。 何かの弊害があってまっすぐ歩いていくことができない道であれば、本人の意思でたとえ回り道をしてでも何とかしたいという「回避」は、ものすごく前向きな考え方だと思います。 今まで継続して行ってきたことを突然止め、別のことを始めたとしても十分考え正しいと決めて行うことなら、決して「逃げ」ではなく「回避」だと思います。 急がば回れと言いますよね。 「それは逃げだ」 「違う、回避だ!」ってね。 長文で失礼しました。
- wetton
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人間、「逃げ」と自分を「守る」が同居したときには、それは逃げにならないと私は思います。 ホントに簡単で申し訳ないです。
>本人にとって逃げる事が本当に必要な場合もあると思うし、 >そもそもその選択肢が「逃げ」かどうかというのは、そんなに簡単に >他人にわかる事ではないと思うのです。 その通りです。 私の知っている人に、学校で酷い暴力をともなったいじめを受けている人がいましたが、彼は、結局暴力を受けている中で、目を怪我させられ失明してしまいました。 彼は不登校した方が良かったのです。 危険は避けなければ、取り返しのつかない事態を招く可能性があるという事です。 人間は、逃げる事が必要な時は、逃げなければいけないのです。 kinakokanさんも、くれぐれも人生の判断を間違わないようにしてください。
- sonrisa003
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あくまでも、私の場合ですが。 その状況の原因が自分が蒔いた種であったり、少なからず自分に責任がある場合は逃げたくないし、逃げ切れたとしてもきっと後味が悪いと思います。 ※そのつもりはなかったのに、相手を傷つけたり怒らせたりしてしまった場合も、<私>に責任があるので謝ります。 要は、謝るべきところは逃げずに謝る、失敗を逃げずに認める、日々の生活や対人関係の小さなことをひとつひとつ逃げずに対処して行くことで人間は自信を得、周りからも信頼される人に成長して行けるのだと思うし、修羅場から逃げ続けて来た人というのは、お寺で座禅を組んでも、社会的に成功したとしても、ひとつひとつのことにちゃんとけじめや結末をつけて来なかった自分を誰よりも知っているので、いつも何かに急き立てられているような強迫的に気持ちに苛まれ、心が晴れないのではないでしょうか。。。 偉そうなことを書きましたが、今まで全ての事象に対して完璧に逃げずに対処して来たか?と訊かれれば、私の答えは当然「NO」です。(笑) でも、「自分のおとしまえは自分でつける。」という信念と気概だけは、しっかり持ち続けて生きていたいと思っています。
- pugpugstm
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人が問題に直面した時にとる手段は3つあるといわれています。「抵抗・闘争」「順応・服従」「逃避」です。 逃げ=逃避ですが、逃避ばかりになる事がいけないのではないでしょうか?同じように人が生きていく上で抵抗ばかりもダメだと思いますし順応ばかりも如何なものでしょうか?昔の戦国武将だって逃げるべき時はちゃんと逃げてましたよ。 目的を決めてそれに到達するように抵抗・順応・逃避を使い分けるのは良い事だと思います。しかし全てから逃避・何でも逃避では何のために生きているんだか分かりません。自分的にはこのように理解しています。
- G131
- ベストアンサー率26% (195/746)
>一般論として「逃げはダメだ」と言われる原因を自分なりに 一般論としては逃げ=責任逃れ(他者や自分、物事に対して)、だと思います。 でも、一般論では語れないですよね。 その環境や状況、立場によって「逃げ」の意味というか選択のひとつとしてあるからでしょう。 質問者さんが「そんなに簡単に他人にわかる事ではないと思うのです」と仰るように、一般論で語ることに無理があると思います。 また、20年前と今とでは「逃げ」の捉え方(社会情勢)も違いますので、世代や取り巻く環境によって左右されるものと思います。
- chocola
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なぜ「逃げ」はいけないかというと、「逃げる」という言葉は、否定するときに使う言葉だからです。 別の言葉に置き換えて考えた方が、言葉にとらわれずに、純粋に良い方法を思いつけるのではないでしょうか?
- PaPaJohn
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いままでの人生の中でかなり逃げをうってきましたが(笑)、逃げかどうかというのが簡単に他人にわかるということはないという質問者さんの意見にはまったく同感です。 今まで逃げてきた中でひとついえるのは場当たり的な逃げはよくないと言うことです。 たとえば職場で上司とどうしてもソリが合わなくてやめたいと思った。というときに、ぽっとやめてしまうというのは場当たり的な逃げですよね。 そうではなく、なぜ合わないのか?合わせる事は不可能なのか?辞めなくてもいい方法はないのか?辞めた場合、今より条件はよくなるのか?などいろいろ考えて行動した結果、新しい職場に行けば今よりもいい上司の元で働けるいう確証を得たから転職した。というところまで行き着けばそれは単なる逃げではないと思うのです。 最初のスタートが上司とうまくいかないというマイナスからはじまってますので、場当たり的な逃げでもプラスマイナスゼロもしくはプラスに転じてうまくいくこともあるでしょうが、それはあくまでもたまたまそうなったに過ぎません。 その原因を理解しないままでは同じようなことを繰り返してしまう可能性は非常に高いはずです。 人間生きていくからには日々いろんな問題を解決しなければなりません。逃げるというのも解決策のひとつですが、また同じ問題に直面する可能性があるかぎり、場当たり的な逃げというのは下策だと思います。 つまるところ、そこにその人の本当の幸せがあり、実行が可能であればニートになることも逃げではないと思っていますが、経済的に実行が可能かどうかを理解しないまま仕事がイヤだからといってニートになることは場当たり的な逃げ、つまり本当の逃げとして避けなければいけないものだと思ってます。
- chajin
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諸説あるかと存じますが、私見をご紹介させて頂きます。 結論から申しますと1「逃げ癖」がつく2「後悔が残る」からではないでしょうか。 「全力を出し切っていないハンパな状態」で途中で投げ出してしまうと、次に同じようにしんどい局面で「この前も投げたし、今回もイイや。」となってしまう事、あとあと「もう少し頑張っておけば良かった」と後悔する事があるように思います。 だから「逃げるな!」と言われるのだと思います。 追いつめたいと言う気持ちから発せられるのではなく、 思いやりからでる厳しいながらも熱のこもった言葉であると思います。 しかしながら「限界ギリギリ一杯々々」の人に「逃げるな!」って言う事は残酷な事だと思います。どうしようもないんですから。また、「限界ギリギリ一杯々々」ならば、出来なかった事に対して後悔もしないと思いますし、次にトライするときの糧になるように思います。 「逃げるな!」と言われた場合は、自分と向き合ってみて、一時の感情で投げ出してしまって良いものかよくよく考えてみるのが良いと思います。
- 11-22
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どうなんでしょうねぇ。 「逃げる」というのは、現在自分のおかれている状況から外にでる。つまり今「困っている状況」から外に出るという事ですよね。 しかし、「外に出る」という事以外に「選択」するものはないのでしょうか?もし選択するものがあって、それを試す事無く、あるいは、考えもしないで「外に出る」という事は、果たして正しいのでしょうか?ひょっとしたら、「外に出る」という選択以外にもっとベターなものがあるかもしれません。そのベターな選択を考える事もなく、また実行に移すことなく、ただその状況から逃れたい一心のみでとる行動を「逃げる」というのだと思います。 例えば「大雨」という困った状況におかれた場合、「雨に濡れたくない」と思って、「雨の降ってないところに行けば濡れない」と短絡的に考えて行動するのが「逃げる」ということ。それ以外にも「傘をさす」とか「とりあえず近くの軒先で雨宿りする」というチョイスもあるわけですよ。でも「雨の降っていないところに行けば濡れない」という答えはある意味「真」ですけどね(^^;。しかしながら「雨が降らない地域」は今いる場所からものすごく遠かった場合、果たしてそれがベターなチョイスかというと…な場合もありますよね。 だから、結果的に出たベターな選択が「逃げる」ということもあると思いますよ。方便かもしれませんが「三十六計逃げるにしかず」って名言もありますし(^-^)。
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