※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:胸がしめつけられます)
胸が痛む相談内容とは?
ここで二回ほど相談に乗っていただき感じたことです。
沢山の参考になるお答えや、励ましやお叱り等本当にありがたかったです。
しかし、中にはとても個人的な感情云々にいたるまで踏み込んでお話される方もいらっしゃることに胸が痛みます。
相談した内容の一部に「大切なものを無くされ、その事について相手から誠意ある謝罪がないのです」というような事を載せたことがあります。
その事について頂いた回答に、「私も大切な物をなくした事があります。しかし、その事にいつまでも拘るのはいかがなものか」
というようなお言葉を頂いたことがあります。
「なくされる事」と「なくす事」同じなのでしょうか?
胸の痛みは遥かに違うと私は思うのです。
無くす原因となったであろう経緯や、預かったものを無くしてしまった事について謝罪をしてほしいと願い、その事にこだわる私は間違っているのでしょうか?
私も20余年間生きてきてどうにもならない辛い経験をしてきたことは多々あります。
しかし、人にはどうしても諦められない事や、曖昧なまま手を引くことなど出来ない事があると思います。
その大切な事(物・人)がたまたま傷つけられる事無く過ごす人もいれば、私のような目にあう方もいらっしゃると思います。
その痛みは本人にしかわからず、胸の締め付けられる思いをずっと抱えていくんです。
どうか、様々な質問に回答をお書きになるときは、質問者の気持ちをまずお考え下さい。
藁をも掴むような気持ちで掲示板に書き込んでいる方もいらっしゃいます。
裁判や調停を控えた方は、どうにか勝訴につなげたいと思いアドバイスを求めている方もいらっしゃいます。
どんな答えであれ、応援する気持ちを忘れないであげてください。
質問者の敵、質問者を傷つけるのは今問題を投げかけている現実の相手だけで十分です。
私事の意見で申し訳ありませんでした。
お礼
ご回答ありがとうございます。 思いやることで誰かを救えるかもしれない、力になれるかもしれない、とてもすばらしい事だと思います。 自分の知識や経験だけを書きなぐっても、相手にどう伝わるかを考えなければ思いやりにはならないと思います。 私事の意見に回答下さり本当にありがとうございます。