ジャスティスの欺瞞
ジャスティスを観ました。が、この映画のラストがどうしても納得できません。
この映画の原作は「Hart's War」(ハートの戦争)ですから、ハート中尉の正義、成長物語から言えば納得するべきなのかもしれません。
しかし、この映画の最大のやま場は「脱走」です。脱走は後方かく乱のために、連合軍捕虜に与えられた任務です。ですから一旦脱走計画が動き出せば、その成功を最優先させるのが当然だろうと思います。
ところがハート中尉は最後に勇気ある“正義”の決断をして脱走計画を頓挫させてしまいます。そして悠々と現れたマクナマラ大佐が全責任を取って処刑され、“栄光”ある“犠牲”となります。これでいいんでしょうか?私にはアメリカ人道主義のシンボルとして、マクナマラ大佐を英雄にするこじつけのストーリーとしか思えません。本来はハート中尉が最後までニセ裁判を演じきり、その結果処刑される黒人将校が“栄光”ある“犠牲”ではないでしょうか。
第一この映画の後を考えた場合、脱走計画がバレず、工場が爆破されればいったい誰がやったのかとテンヤワンヤしている間に、脱走兵が逃げる時間がだいぶ稼げると思います。しかし脱走がバレ、工場が爆破されたとなればたちまち検問が敷かれ、脱走兵狩りが行われて、脱走兵は次々につかまり処刑されるでしょう。これでは黒人将校一人を助けて、脱走兵34人を見殺しにするのも同然です。脱走計画は大失敗です。
とにかく、私はマクナマラ大佐を英雄視したこの映画の終わり方はどうしても納得ができません。今まで数々の戦争映画を観てきましたが、これ程ハッキリとアメリカの欺瞞を見せ付けられたのは初めてです。腹が立ちました。
ジャスティスを観られた方はどうお考えでしょうか。
お礼
有難う御座いました。