俗に言うベートーヴェンの偶数番号、というのがあります。
つまり同じベートーヴェンの交響曲でも、1,3,5,7,9番がどちらかといえば壮大で激しい音楽なのに対して、2,4,6,8番(ちなみにいわゆる「田園」は6番)はどちらかちえばおとなしい「やさしい」感じだというものです。
無論全曲を通して聴くとそれぞれに激しいところもやさしいところもあるけれど、大まかに言えばたしかにそういう感じがするようです。
無論#1さんも書いておられるように、演奏者によってもかなり違ってくるので、また同じ演奏者でも若い頃と年をとってからは違ったりもします。こういうのを聴き比べる楽しみもまたクラシック愛好の面白さの一つでしょうね。
ちなみにベートーヴェン以前のモーツァルトやハイドンの交響曲もまたかなり違った趣があります。たとえばモーツァルトの25番などは少年時代の作品ですが、小規模だけどかなり激しいものです。一方30番台の交響曲は一般に「優雅な」感じがします。もっともモーツァルトやハイドンの時代というのは交響曲の確立期であり、交響曲と呼ばれるものの中に今の私たちの観念では交響曲とは思えないものも入っていたりしますが。
これを「思想を表現」したり「ドラマ」を表現するようなものにしていったのが他ならぬベートーヴェンなので、ベートーヴェンといえばそういう「激しい」イメージがあるわけですが、これとて既に述べたようにかならずそうだということでもありません。
その後の時代でも#1さんが挙げておられるものの他に、たとえば
ブラームスの4番なんてのも老いたブラームスのしみじみとした音楽、と言う感じもあり、シューベルトの初期とか、ショスタコーヴィチの15番とか、「やさしい」とはいいませんがそんなに「激しく」ないのはいくつもあると思います。これまた演奏者によっても違うのですが。