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24時間テレビを見て思ったこと
すごくいい番組だし、KAT-TUNの高感度もあがったんですが、どうも腑に落ちないというか、納得いかない点があるんです。 それは、上から目線な点です。 右半身が不自由な野球少年がやっとボールをまともに投げれたときの出演者の表情が、「おお!やったー!」みたいな表情じゃなくて、「ああ・・・やった・・・(涙)」みたいな。 なんで泣くんですか?って感じです。 泣くのは失礼じゃないでしょうか? 障害者ということを前提に、間違った親切心でその人を見てるような気がします。 本当の親切心って言うのは、その人のすべてを認めるということだと思うんですが・・・。 皆さんどう思いますか? 自分はまだまだ考えも未熟だと思うし偏った部分もあると思うので、いろんな方の意見をお聞きしたいです。 回答よろしくお願いします!
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- miffy_miffy_001
- ベストアンサー率14% (47/326)
同じ番組の、ケガしたのら猫を助けるところで泣いてしまった者です。 ただ、すべてののら猫が同じように助けてもらい人に飼われるという結末を迎えるとは思えません。たまたまテレビが来ているときにケガした猫だから救われたのかな、と思っている自分も確かにいます。 猫と人を同列に論じるつもりはありません。でものら猫があのまま、ケガは治ったけどもらわれる事もなく保健所に行ってしまっていたらすごく暗いテレビ番組ですよね。誰も見ませんよね。ボールを投げる少年も、わたしは見ていませんが、結局投げられなかったら番組として成り立たないのではないかと思います。 泣いてしまうのは、泣くように作っている番組の意図なんでしょうか。でも、本当に、障がい者の事を考えて作ってる番組であれば、翌日の今日も、アンガールズ完走ばっかりやってないで、障害者のことをつきつめてもいいと思います。 今回は猫好きなのでたまたまちょこっと見てしまいましたが、偽善な気がするので基本的には毎年絶対見ない様にしています。NO!と思えば見ない権利はあるのですから。
- toshipee
- ベストアンサー率10% (725/7148)
あなたは何か同じようなことを「してあげた」ことはあるでしょうか。あえてそう申しましたが、自分が同じ期間同じようにその経験をしてこなかった以上、どれだけ一部の期間一緒にいようと、全てをわかることはできません。表題は、これを前提に置いて「だから他人が感動したって所詮、上っ面でしかない」と結論づけるようなものに思います。これもある意味事実ですが、だからといって、「感動させる番組作り」でしらけて終わりでは哀しすぎる気がします。 例えばウチは、ADHDの疑いのある子どもを育てつつ、精神科に入院数回の姉と親戚づきあいしていますが、「それを解れ」というのも所詮ムリ。しかし、「全てでなくてもいいから知ってほしい」という思いはすごくあります。誰もがいきなり全てを知るわけではありません。この私もADHDの子どもと共に精神科をはじめいろいろな期間を駆けずり回ったときは、我が子も「こんなところに」と正直思いました。これは既に偏見の目があると言うことですよね。でも一度行ってご覧なさい。どんなに勉強して知識を蓄えていったって、現実を見れば、まずはショックです。そしてその中に入り、少しずつ理解していきます。それでもまだ全て理解して偏見がなくなったとは思えません。それでも戦い続けます。我が子のために。なんかわからんけど。 でも、テレビを見て作られた台本であろうが、なかろうが、私はいろいろな障害と闘っている姿を見れば、泣いてしまいます。全てを解っているわけではありません。ですが、しらけて泣けない人は逆に「かわいそう」と思ってしまいます。「なんかおもしろくないことあんのかな」とね。
- oilmoe273
- ベストアンサー率19% (9/47)
いい番組だとは思うのですが、私も何か違和感のようなものを感じていました。 同じように感じる方がいて、思わず書き込みしています。 障害者の方が「かわいそう」のような目線で進行していくのが、どうも違和感を感じ、自分はそういう風に思いたくないと思い、今はあまり見なくなってしまいました。自分の心がもっと揺るがず、強いものでしたら、きっといろいろなことを感じながら、見ることができるんでしょうけど。 ほめたたえるのも何かわざとらしい感じがしたりして…それこそ上から目線のような… もちろん障害者の方は、いろいろな方の助けが必要ですけれど、それは健常者も同じで、いろいろな方に助けられて生きているんですもん。障害者も健常者ももっと対等でいられる関係作りが理想だなと感じています。 ただ、番組を通して、いろんな方の一部を見ることができますし、とても勉強になる部分も多いのも事実。 人の価値観もそれぞれですし、いろんなことを踏まえた上で見ていけばいいのではと思います。
- kazu0112
- ベストアンサー率29% (54/186)
24時間テレビをはじめ、いろいろな局が同じような番組を作っています。 そこには、もちろん台本があり、筋書きのアルドラマなのです。 なぜなら、24時間ですべての放映を終了する必要があるからです。 本来ならば、障害者に対する取り上げ方は、その背景、問題点(特に社会的な問題点)などを深く掘り下げ、今本当に必要なことは何なのかを報道すべきですが、あの番組は「バラエティ番組」です。 したがって、筋書きのあるドラマでしか作れないのです。 よく、見てみると、レポーター役の方のなかで、非常に失礼きわまる質問をしているケースも多々あります。出演者からみれば、「あなた方のことを取り上げているのだから、感謝しなさい」みたいな態度も結構多いですよ。 無理やりなにかに挑戦させたりするのは、本当の意味で障害者の現状を明らかにしていることにはなりません。 まあ、夏枯れ時の穴埋め番組として作られてきたものですから、それほど気にする必要もないと思います。
- R34TOPGUN
- ベストアンサー率12% (24/192)
芸能人も仕事でやってますからねぇ。テレビ局的にも芸能人的にも画面の絵として(涙)のほうがいいと思っているんじゃないですか。 がんばっているのに涙は確かにおかしいと思う。「不自由であの人かわいそうだねぇ」的な間違った考え方が見え見え。
- lemon-7
- ベストアンサー率15% (22/140)
私もそう思います。 私は今回の24時間テレビは見てないので、質問者様の例えは知らないのですが、 24時間テレビに関わらず、上から目線な番組が多いと思います。 ずーっと前の24時間テレビでも、障害者の子(SPPEDファン)をSPEEDのコンサートに呼び、その子が楽屋に行った時、SPEEDのメンバーの一人が「写真とってあげるよ!」と言ってましたし、「今度家に遊びに行ってあげようと思います」とテレビに向かって言っておりました。 「○○してあげる」ではなく、対等に考えるなら(というか障害者健常者関係なく、これはファンを対等と見るならって感じですね)「○○しよう!」「○○したい!」となるのでは…?と思いました。 しょせんテレビは視聴率を上げたりお涙頂戴番組に仕上げたいために障害者の方を引っ張りだし何かしようとしますよね。 そういうずるい所が、見てて萎えてきます。
- mermaid222
- ベストアンサー率16% (1/6)
私は別に上から目線とは思いません。 涙が出てしまうのは自然な事ではないでしょうか? 事故や病気で障害者になられて、「つらかっただろうな~」「自分だったらどうしてるんだろう」とか 努力をして出きるようになって「頑張ったんだな~」「えらいな~」 と素直に感動して涙する事は失礼ではないと思います。 つらさや痛みがわからなければ人に優しくなんて出来ません。 その泣いた後に何か手助けがしたい!と思えたらそれは親切心と言えると思います。
- takoyaki1966
- ベストアンサー率34% (556/1619)
障がいのある方・難病の方など、今健康な自分とは異なる身体状態の方々と、一度も接しないよりも、接して学んだり感じることは大事だと思います。 その意味では芸能人の方々が、あの番組に参加することにも大きな意味はあるかと思うんですが。多分。 ただ、私も質問者さんと同じような気持ちになってからは、あまり共感的には見れないです。 私が感じたのは数年前ですが、モー娘の何人かが難病の少女と共に過ごし、彼女のためにできることを考えて実行していて、その様子を見終わった徳○アナウンサーが「君達、いいことしてあげたね」と言ったときでした。 その言葉に心底、がっかりしました。 モー娘の子達の姿が、病気の少女と一緒に何かする姿勢だった(ように見えた)だけに、徳○アナの感激の涙の「上から目線」が唖然…でした。 24時間テレビの募金の使い方にも「それが最良の使い方か?」と思い、私は、地域自立を支援する世界的組織への、毎月積み立て式の募金に変えました。 が、24時間テレビも、何も行動しないよりは何万倍も、24時間テレビで初めて感じる人たちがいるかもしれないので、有益かな、と思います。 あと、ボランティアは親切心で行うものではないと思います。親切心が悪いという意味ではなく、「役に立ちたい」という、自分の、行動を起こす気持ちから、だと。
- hanzo2000
- ベストアンサー率30% (552/1792)
努力と、その努力の結果得られたもの、に注目すれば、 障害者であれ健常者であれ、誰でも感動することではあると思います。 がんばった、それが実を結んだ、というプロセスは、 やっぱり感動しちゃいますよ。 でも、受験生が死ぬほど勉強して東京大学に合格することとか、 大学生が努力して有名企業に入社することとか、 そういうことにはフォーカスしませんね。 障害者のキャッチボールと、 受験生の東大合格と、 並列に扱ってもらえたら気持ち的には安心なんですが、 社会的弱者といわれる人たちに経済支援していこう、 という主旨の番組ですので、 障害者はこんなに大変なんだよ、という見せ方をせざるを得ませんし、 障害者にフォーカスすることは仕方ありません。 いろいろな意見がありますが、 障害者について少し考える時間を作ってくれることは 大切なことかな、と思います。 あなたのこうした質問も含めて。 ただし、自分が簡単にできることすらできないかわいそうな人が、 がんばって簡単なことをできるようになった、 という、「安全地帯からの感動」であることは否定できないかもしれません。 その点は私もちょっと鼻をつきますね。
- Lacsklein
- ベストアンサー率25% (166/651)
製作者の意図なんでしょうね。この番組ではわざとらしいくらいゲストの方々がそろって泣きます。本当に感動して泣いている人もいれば周りにつられて泣いている人もいればもしかすればプロデューサーから泣くように言われている人もいるかもれません。理想は障害者と健常者は同等に感じるべきだと思います。しかし、障害者が健常者と全く同じ生活をできるわけではありませんし、あなたはこの番組に差別らしき感覚を持っていらっしゃるようですが、障害者は健常者とはどうしたって違うという事を認めるべきだと思います。それは差別ではなく区別なんです。障害者は健常者とは違うという事を理解したうえで障害者自身がどこまでできるのか、我々がどういった支援ができるか、またどういった支援をすべきなのかを訴えていくことが大切なんだと思います。この放送はその手段でしかありません。ありのままの障害者の姿をドキュメンタリーとして伝え、その実情を視聴者に伝えるのが使命です。 確かに感動=泣くというのはとても貧相な感じもしますがそれはこの放送を作っている製作者の心の貧しさに他なりません。あなたのおっしゃるとおりもっと泣くのではなく歓喜・歓声という表現があってしかるべきだと思います。 障害者を健常者と同じ社会生活を営める社会にしていくのは何段階もあり長い道のりだと思います。この放送はあくまでもその最初の第一歩であり、障害者支援の活動を進めていく上でのプロパガンダに過ぎないと理解してみてはどうでしょう。 あなたの趣旨にそった答えでなかったらすみません。
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お礼
皆様回答ありがとうございます。 自分の中で、まだ答えが出ないので、一応締め切らせてもらいます。 まぁ、24時間テレビのネームバリューはあるんですから、一回ぐらい真剣な番組を作ってほしいです。 回答ありがとうございました。