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ネット上での自己認識・自慢(?といえるのか)について

長文になってしまい申し訳ありません。 掲示板を使っていると、いろいろな方がおられます。 ところで、私だけの個人的感想かもしれませんが、幾度も見聞きした経験から、この頃次のようなことを感じています。 ・そんなにあからさまな自慢ではないのですが、「あらゆる分野の本を読んできました」、などと知識の量を自慢する人で、本当にその通りの人に出会ったことがないです。あらゆる分野を読むというのはそもそも無理なんですが、そういうことを言う人に限って、ちょっと話してみると、どちらかというと無教養な部類だと思います。 ・長年~~~してきました、という人の年齢はせいぜい20~30代までが多くて、あんまり長年でもない。年数をたのみに何かを主張するほど、そもそも年数がない。 もちろん、世の中には本当にどんな分野でも一通り知っているような方もいますし、長年~~~したと言える人もたくさんいるんですが、ネット上でそういう人が「私はどんな本でも読みました」とか言ってるのを見たことがありません。 こういうことを感じたことがある人、いますでしょうか? ネット上では、少し大きめに自分を表現したいのは分からなくもありませんが、しかし話せばすぐにばれてしまいます。なぜこんな見え見えの見栄を張るのだと思いますか? そもそも自覚がないのでしょうか? 同じような理由で、過去の艱難辛苦の経験をやたら自慢げに書く人にも、うさんくさいものを感じてしまいます。でも、これは知識があるかないかのようには、確かめる術はありませんから、ただの予感なのですが・・。 よろしくおねがいします。

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回答No.4

少し耳の痛い話題ですね(笑)。 私はサッカー歴25年の35歳ですが、サッカーの話題では『長くサッカーに関わってきましたが・・・』とか『これまで随分たくさんの試合を観てきましたが・・・』などと書くこともあります。別にそれほど深い意味はなく単なる前置きみたいなつもりですが。 ちょこっと言い訳させてもらいますと、サッカー歴何年、何級審判と何級指導者のライセンス有り、というのは一応『紛れもない事実』なので、それを書いたとしても特に見栄を張っているつもりはありません。それによって自分の回答に説得力を持たせようという気持ちは確かにあるかもしれませんし、人から見れば笑止千万、うさん臭いかもしれませんが(笑)。 自分ことを棚に上げさせてもらえば、不思議に思うのは『専門家』にチェックを入れている人ですね。サッカーの専門家と名乗っていいのはプロの選手やコーチ、審判くらいだと思うのですが、そういう人が明らかに間違った回答をしているのを見ると『いったい何の専門家?』と思うことはたまにあります。 また、#1さんの回答にある『知れば知るほど分からない事が増えてしまう』ということを私もサッカーの分野では日々感じているので、『自分はサッカーを熟知している』と人に言ったことはありませんしそう思ったことすらありません。ですので、ひどく断定的な物言いをしている回答を見ると、へえ・・・よくサッカーを知っているんだね・・・と少し皮肉っぽく思ってしまうこともありますね。

noname#20467
質問者

お礼

回答ありがとうございます。お返事が遅れまして申し訳ありません。 恐縮していただいたようですみません。でも話してみて、なるほどそうだと思える人には、あまりこんなことを感じないのですよ。 それにサッカー歴25年でしたら、そうおっしゃっても不自然とは思いません。ただ、たとえば25年サッカーしたと言いつつ、間に10年以上のブランクがあったりして、あるいはまともにやってないのに、その分を含めたような言い方をする人には、やはりうさんくささを感じてしまいます。これは話していればすぐに分かってしまいます。所持級に関しては事実ですので、別に何とも思いません。 あまり文意が伝わっていないところがあるのかもしれませんが、私の言うのはこういうのです、 たとえば、 >『これまで随分たくさんの試合を観てきましたが・・・』 ではなく、 →「私はこれまであらゆる試合を見てきましたが、」のような言い方をする人です。 本当に見たかどうかかなり怪しいですが、実際には見たとは思えない人ばかり。あるいはよほど物覚えが悪いのかと言いたくなってしまいます。 ですので、私の質問文自体にも「ネットにはいろんな人がいますね」と書いていますが、こいうのは別に本人も何とも思ってはおりません。 ですから、3番さんのおっしゃるような「いろんな本を読みました」ということにも特に何も感じません。子供でもいろいろな本を読みます。でもあらゆる本は読みません。 ちょっとしたことかもしれませんが、そうした違いなのです。たくさんの試合を見たと言っても、その量はまったくの主観ですし、それが分かるので何ともおもいませんが、あらゆる試合を見てきましたとか言われると、こいつどうしてそう言い切れるかねーと思ってしまうわけです。 細かくてすみません! でも、こういう人のいい加減さには辟易していて、見栄張りの説教好きなので、「あなたも勉強してくださいね」とか言われるんですが、「お前に言われたくないわーーーぃ」と思ってしまうのでした。というわけでした。 ありがとうございます。

その他の回答 (3)

  • rinousagi2
  • ベストアンサー率14% (241/1609)
回答No.3

それは、【色んな本を読みました】 の【色んな】の部分の範囲が発言者とそれを観た人との間で温度差が あるからでは? 井戸の中しか知らない人なら、あらゆる本を読んできただろうし 同じだけの本を読んでいても、世界中の蔵書のつまった図書館などを 知っている人なら、自分はこれっぽっちも博識ではないと知るでしょう。 その程度の差だと思いますが。

noname#20467
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 昨日、急用で質問したいことなどがあり、こちらの返事が遅れてしまい申し訳ありません。 あまり大した差などないということですね。そうかもしれませんね。

回答No.2

高校生です。 私もそういうふうに書く人はあまり信じられないです。他の人が褒めたことならともかく、自分のことを上げて(自慢げに)話すのは好きじゃないですね。。 なので私の場合、『特技は?』とか聞かれてもどこから「特技」と言っていいものなのか、分かりません。 成績がよかったり、数十人の中でちょっと上手いくらいでも『特技』になるのでしょうか。 こういうことを考えるとき、常に「上には上がいる」という言葉が思い浮かびます。 逆に、特技や自慢を堂々と言える人がうらやましくも感じます。 ちなみに私は、「どんな分野でも一通り知っているような人」を2人知っています(私がそう思っているだけですが)。 一人は社会の先生、もう一人は私の父です。 二人とも仕事柄で、ある程度のことは知っておかなきゃいけない人なんだとは思いますが、怖いくらいいろんな事を知っているんです。。本当に、「知らないことないんじゃないの?」と思ってしまいます。 答えのない質問でも、私の納得する事を言ってくれます。 学校の社会の先生なんて教科書の社会しか知らないと思っていましたが、この先生は特別でした!! 本当に「世界」を知っている人は見栄を張ったりしませんよね。みなさん、『素』で生きていきましょう!! (回答になっていますでしょうか;汗)

noname#20467
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 高校生ですかぁ、肌がつやつやですね(汗) 特技と敢えて聞かれると、私も特技らしい特技はないです・・・。指相撲が強いなんて、小学生なら可愛くて良かったんですが、回答者さんの倍近いおっさんが自慢してたら、マジ引きされかねません。 >一人は社会の先生、もう一人は私の父です。 えぇ、そういう人、いますよね。 ちょっとおかしいんじゃないの?と言いたくなるほどなんでも知っています。 そして、そういう人は結構身近なところにもたくさんいて、意外なほど普通の市民生活やってたりするんですよね。「何でも知ってますね~」とか言っても、「いや知らないこともあるよ」と淡々としていて、無理に謙遜もしていないという感じ。 こういう人と接すると自分が何ほどでもないことがよく分かると思うんですけどね。

  • omi3
  • ベストアンサー率20% (72/359)
回答No.1

あなたの長い文から、次の事をイメージしました。 参考になれば幸いです。 知識人は、知れば知るほど分からない事が増えてしまうそうです。 大切なのは、自分が何を知ってて、何を知らないのかを知ることです。 司馬遼太郎は、経験した日本軍の愚行を結局文章にできませんでした。 >艱難辛苦を自慢する人は、 分析力が無いようです。 価値観が狭いようです。 反面教師としての参考にはなります。

noname#20467
質問者

お礼

つい長い文章になってしまって、すみません。 読んでいただきありがとうございます。 >知識人は、知れば知るほど分からない事が増えてしまうそうです。 知識人とまではいかなくても、もうちょっと・・・と思うことが、何度かありましたので・・。 知らないなら知らないで、別に何の問題もないとは思うのですが、そういう人に限って断定形がすごく多いとも感じます。 艱難辛苦については、本当に苦労した人もいるとは思うんですけどね・・。どうなんでしょうね、こんなところであんまり言わないという気もします。

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